No.591


 5月13日の金曜日の夜、この日から公開されたばかりの日本映画「シン・ウルトラマン」をユナイテッド・シネマ金沢のレイトショーで観ました。まず、わたしは子どもの頃からウルトラマンが大好きで、一条真也の映画館「シン・ゴジラ」で紹介した名作のメガホンを取った庵野秀明監督の企画・脚本でもあり、かつ米津玄師が主題歌を歌ったこともあり、結構この映画には期待していたのですが、実際に鑑賞してみると「うーん?」といった感じでした。

 ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「1966年の放送開始以来親しまれている特撮ヒーロー『ウルトラマン』を、『シン・ゴジラ』などの庵野秀明が企画・脚本、樋口真嗣が監督を務め新たに映画化。謎の巨大生物「禍威獣(カイジュウ)」が現れ危機に直面した現代の日本を舞台に、未知の存在であるウルトラマンが出現した世界を描く。主人公を『麻雀放浪記2020』などの斎藤工、彼の相棒を『MOTHER マザー』などの長澤まさみ、禍威獣対策組織のメンバーを西島秀俊、有岡大貴、早見あかり、田中哲司が演じるほか、山本耕史、嶋田久作らが出演する」

 ヤフー映画の「あらすじ」は、「謎の巨大生物『禍威獣(カイジュウ)』が次々に現れ、その存在が日常となった日本。通常兵器が全く通用せず事態が長期化する中、政府は禍威獣対策の専従組織・通称『禍特対(カトクタイ)』を設立する。田村君男(西島秀俊)を班長に、さまざまな分野のスペシャリストから成るメンバーが任務に当たる中、銀色の巨人が突如出現。巨人対策のため、禍特対には分析官・浅見弘子(長澤まさみ)が新たに配属され、作戦立案担当官・神永新二(斎藤工)と組む」です。

 「シン・ウルトラマン」は新型コロナウイルスの感染拡大という不測の事態もあって、非常に製作期間が長かった作品です。脚本検討稿は2019年2月5日に脱稿し、同年8月1日にウルトラシリーズの新作映画として製作が公表され、主要スタッフおよびキャストが同時に公開されました。庵野監督は同時期に 一条真也の映画館「シン・エヴァンゲリオン劇場版」で紹介したアニメ映画の製作がありましたが、同作の完成後に「シン・ウルトラマン」をの製作に本格的に取り組む予定であると発表。撮影開始時期は未発表ですが、2019年秋のエキストラ撮影に向けて同年8月20日にエキストラ募集がかけられ、同年11月23日の「第2回熱海怪獣映画祭」において、すでに撮影が終了したことが発表されています。

 ようやく完成し、公開された「シン・ウルトラマン」。観終わったわたしは、かつてのTVドラマ「ウルトラマン」のエピソードを詰め込み過ぎているのではないかという印象を受けました。戦後日本最大のヒーロー「ウルトラマン」は、1966年7月17日放送の第1話「ウルトラ作戦第一号」でブラウン管にその姿を現しました。銀色に輝く巨大宇宙人という前代未聞のアイディアにたどり着くまで、金城哲夫をはじめスタッフは文字通り産みの苦しみを味わいました。そして誕生したヒーローの物語は、驚くべき発展を遂げていくのでした。

わが家の「円谷プロ」DVDコーナー



 わが家の映像ルームには、「ウルトラマン」や「ウルトラセブン」のDVDーBOXをはじめ、円谷プロの特撮ドラマのDVDがほとんど全作品揃っています。シリーズ大作である「ウルトラQ」も全作品が揃っています。「シン・ウルトラマン」のオープニングには、いきなり「ウルトラQ」の第1話に登場した怪獣ゴメスが出てきます。その後も、マンモスフラワーやぺギラやラルゲユウスといった「ウルトラQ」怪獣が次々に日本に出現して退治された後、銀色の巨人であるウルトラマンが地球に到着するという流れになっています。

 いわゆる「ウルトラマン」怪獣で登場するのは、ネロンガ、ガボラ、ゼットンなど。宇宙人で登場するのがザラブ星人、メフィラス星人などですが、このチョイスもちょっと「?」でしたね。宇宙人ならば、やはりウルトラマンの宿敵であるバルタン星人を出してほしかったし、怪獣ならば、ウルトラマン怪獣の代名詞ともいえるレッドキングを見たかったですね。でも、ザラブ星人、メフィラス星人、そしてゼットンの物語を書いたのは、名脚本家として知られる金城哲夫です。1938年に沖縄県島尻郡南風原町に生まれた彼は、「ウルトラQ」「ウルトラマン」「ウルトラセブン」など第1期ウルトラシリーズを企画し、文芸部長としてシリーズの基礎を作り上げた1人です。彼が手掛けた物語には、沖縄人の想いが溢れていますが。15日に本土復帰50周年を迎える沖縄の歴史に残る人物です。

 沖縄には今でも米軍基地が存在しますが、ウルトラマン自体が米軍のような存在であったと考えられています。そもそも、ウルトラマンはなぜ、自分の星でもない地球のために戦ってくれたのか? その謎を突き詰めると、どうしても地球=日本、ウルトラマン=アメリカという構図が見えてきます。もっとも地球にも科学特捜隊すなわち科特隊(映画では禍特対)が存在しますが、これはまさに自衛隊のような組織であると言えるでしょう。『ウルトラマンの伝言』倉山満著(PHP新書)には、「最終回の脚本はメインライターの金城哲夫である。最初の脚本では、ゾフィーがゼットンを倒す予定だったが、地球人の自主防衛の話にした。『ウルトラマン』の最終話が放映されたのは1967年4月7日。折しも小笠原諸島の日本復帰に向けての交渉がなされているときであり、当時の日本政府は沖縄返還も持ち掛けていた」と書かれています。

 映画「シン・ウルトラマン」では、禍特対の協力もあったにせよ、ウルトラマンの自己犠牲的な特攻によって最強の敵ゼットンを倒します。しかし、金城哲夫はドラマ「ウルトラマン」の最終回で、ウルトラマンに自己犠牲を強いずに地球人が自主防衛する物語を描いていました。同書には、「金城の、『自分たちが弱いからこんな目に遭うのではないか』との思いが、『ウルトラマン』の終わり方に現れた。『ウルトラマン』が始まる前、岸信介内閣が1960年に締結した日米安全保障条約は、事実として日本の自主防衛を前提にしていた。高い視聴率に乗じて、『ウルトラマン』にそうした政治的メッセージを入れていたのではないかとの見方をする人もいる」とも書かれています。

「ウルトラマン」放映時の日本の首相は、岸信介の弟の佐藤栄作でした。彼はニクソンに核武装を仄めかしながら、「非核三原則」で答えた人です。ベトナム戦争で苦しむアメリカをあざ笑った格好ですが、佐藤政権は「永遠に日本は敗戦国のままでいる」「二度と自分の力で自分の国を守る国にはならない」と宣言した政権でした。ちなみに、「ウルトラマン」の後継番組は「ウルトラセブン」でした。俗説では、ウルトラセブンとは「アメリカ第七艦隊」の意味だと言われました。本当はウルトラ警備隊の「七番目の隊員」という意味ですが、脚本家の市川森一が「ウルトラセブンは第七艦隊」と広めてしまったようです。のちに、市川はNHKのテレビ番組「私が愛したウルトラセブン」のシナリオを書きましたが、劇中で金城哲夫に「ウルトラセブンは第七艦隊に見える」と言わせています。

 映画「シン・ウルトラマン」の主題歌は、米津玄師の「M八七」です。このタイトルに違和感をおぼえた人は多いはず。なぜなら、ウルトラマンといえば、M78星雲にある「光の国」から地球に来た宇宙人という設定だからです。しかし、実際に存在するのは「M87」という天体で、おとめ座を指すようです。じつは、TVドラマ「ウルトラマン」では、当初はウルトラマンの故郷は「M87星雲」という設定ではあったものの、台本の誤植により「M78星雲」と表記されてしまい、現在までそのままになっているという経緯があるようです。その意味では、米津は初期設定に戻したことになりますが、じつは、沖縄の人々の間で「M78」は「南の那覇」の意味だという説があるとか。確かに、「光の国」のモデルが陽光降り注ぐ那覇だというのはイメージに合います。そこには、沖縄の人々の平和への祈りも込めれていたのかもしれません。そうなると単なる誤植ではなく、金城哲夫による暗号だった可能性もあるわけで、米津も勝手に改変してはいけませんね。

 改変といえば、わたしが子どもの頃に夢中になって観た特撮番組「ウルトラマン」のリメイクでありながら、「シン・ウルトラマン」には重大な相違点があります。カラータイマーがないことです。これまでウルトラマンの胸にはカラータイマーがあり、3分間のリミットが近づくと点滅する設定になってきましたが、「シン・ウルトラマン」では登場しません。それは、初代ウルトラマンのデザインを手がけた故・成田亨のコンセプトを再現するためでした。ウルトラマンの当初のデザイン案には、カラータイマーは存在しませんでした。成田は著書『特撮と怪獣 わが造形美術 増補改訂版』(リットーミュージック)で、ウルトラマンは「宇宙人らしく、もう肌なのか服なのかわからんようにしてしまう」という発想だったと述べています。

 しかし、地球上では3分しかエネルギーがもたないウルトラマンの特撮シーンを3分で終わらせなければならない演出上の事情もあって、「ウルトラマン」の企画と脚本を手がけた金城哲夫から、ウルトラマンの「エネルギー切れ」を象徴するものとして、胸にピコピコと点滅する装置をつけて欲しいという依頼があったそうです。ウルトラマンの危機を視覚的に分かりやすく表現する手法を導入したかったのですね。「ピコピコするのはロボットであり、宇宙人が危なくなったらピコピコするのはおかしい」と成田は反対しましたが、最終的には折れました。不本意ながらカラータイマーをつけることになったのでした。ちなみに、ウルトラマンのデザイン・コンセプトは、仏像とギリシャ彫刻のアウフヘーベンだそうです。すなわち、それぞれの要素を取り入れて発展させたのがウルトラマンなのです。

 2019年12月14日、円谷プロダクションによるラインナップ発表会「TSUBURAYA CONVENTION 2019」のオープニングセレモニーに主人公役を演じる斎藤工が登壇し、シン・ウルトラマンのデザインやタイトルロゴが発表されました。その壇上にて斎藤は父がかつて「ウルトラマンタロウ」の現場(東北新社)で爆破担当として働いていたことを明かした上で「まさか自分がウルトラマンを演じるとは思っていなかったが、話を頂いてだから自分が演じるのかという気持ちになった」と語りました。その斎藤の演技はすごく良かったと思います。彼のバディ役を演じた長澤まさみも良かったですが、巨大化したり、赤面する身体検査を受けたり、何日も風呂に入っていない体を斎藤工からクンクン嗅がれたり、なんだか過剰な存在感(笑)を示していましたね。彼女のファンにはたまらなかったのではないでしょうか。映画完成披露のレッドカーペットイベントでも目立っていました。

満月交感 ムーンサルトレター』上下巻(水曜社)



 最後に、わたしは自分のことを「シン・ウルトラマン」だと考えていたことを告白します。わたしは、満月の夜ごとに「バク転神道ソングライター」こと宗教哲学者の鎌田東二先生とWeb上の往復書簡「シンとトニーのムーンサルトレター」を交わしていますが、その第1信から第30信までを収録した『満月交感 ムーンサルトレター(上)』(水曜社)が2011年1月27日に刊行されました。その「あとがき」で、鎌田先生(トニーさん)は、「 一条真也氏は一種の『超人』あるいは『ウルトラマン』である。冠婚葬祭業の大手会社の社長を務めながら、業界の広報委員長の役目を強い使命感を持って果たし、『葬式は、要らない』という論客に対して『葬式は必要!』と果敢に打って出る。経営者の傍ら50冊以上の書物を出版する作家であり、大学の客員教授としても教壇に立つ。並みの人間にできることではない。『ウルトラマン』と言いたくなるのも理解してくださるだろう」と書いて下さいました。

満月交感 ムーンサルトレター(上)



「あとがき」 わたしは、この文章を読んで、もう恐縮の至りなどという次元を通り越して、穴が入ったら入りたい心境でした。その旨を鎌田先生にも申し上げたところ、「いいじゃないですか」と笑っておられました。普通は「超人」というと「スーパーマン」が出てくるところですが、なぜ「ウルトラマン」なのか。これには2つの理由があるそうです。1つには、スーパーマンは等身大ですが、ウルトラマンは巨大だから。もう1つは、スーパーマンはアメリカ生まれですが、ウルトラマンは日本が生んだヒーローだからだそうです。いやはや、本当に申し訳ないような気持ちでいっぱいです。そして、鎌田先生がこの「あとがき」を書かれてから10年後に「シン・ウルトラマン」(!)というタイトルの映画が作られると知ったとき、わたしは「おいおい、俺のことか?(笑)」と思いました。まさに、シン(!)クロニシティではないですか!(笑)

購入したシン・ウルトラマンのフィギュア(右)の箱



その鎌田先生は「シン・ゴジラ」を絶賛されており、ゴジラを駆除すべき怪獣ではなく人類と共生する巨大生物として描くべきであると訴えていました。ならば、怪獣を「禍威獣」などと表現し、忌避する対象とすることに猛反対されるでしょうね。きっと。わたしはといえば、アマゾンで購入した「シン・ウルトラマン」のフィギュアを「ウルトラマン」フィギュアと一緒に書斎に並べてニヤニヤ眺めているのでした。仏像のイメージが入っているだけあって、まるで弥勒菩薩のような表情をしたウルトラマンの顔を見ていると心が落ち着きます。

フィギュアの箱の裏