No.606


 7月1日の夜、この日から公開された映画「エルヴィス」をシネプレックス小倉のレイトショーで観ました。禁断の音楽‟ロック"で、世界を変えたエルヴィス・プレスリー。彼の人生が深いグリーフに包まれたものであることを初めて知りました。久々に観た音楽映画ですが、プレスリーのヒットナンバーの数々が今も色褪せない名曲揃いということを改めて確認しました。傑作です!

 ヤフー映画の「解説」には、「『キング・オブ・ロックンロール』と称される、エルヴィス・プレスリーの半生を描く伝記ドラマ。ロックとセンセーショナルなダンスで、無名の歌手からスーパースターに上り詰めていくエルヴィスを映し出す。監督などを手掛けるのは『ムーラン・ルージュ』などのバズ・ラーマン。『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』などのオースティン・バトラーがエルヴィス、『幸せへのまわり道』などのトム・ハンクスがそのマネージャーにふんしている」と書かれています。

 ヤフー映画の「あらすじ」は、「1950年代、エルヴィス・プレスリー(オースティン・バトラー)は歌手としてデビューする。彼の個性的なパフォーマンスは若者たちに熱狂的な支持を受ける一方で、批判や中傷にもさらされる。やがてエルヴィスは警察の監視下に置かれた会場でライブを行うことになり、マネージャーのトム・パーカー(トム・ハンクス)が彼に忠告を与える」です。

 エルヴィス・プレスリーは、1935年1月8日に生まれ、1977年8月16日に亡くなりました。50年代にチャック・ベリーやファッツ・ドミノ、リトル・リチャード、カール・パーキンス、ジェリー・リー・ルイス、ビル・ヘイリーらと共にロック・アンド・ロール(ロックンロール)の誕生と普及に大きく貢献した、いわゆる創始者の1人であり、後進のアーティストに多大なる影響を与えました。その功績から「キング・オブ・ロックンロール」または「キング」と称され、ギネス・ワールド・レコーズでは「史上最も成功したソロ・アーティスト」として認定されています。ちなみに、2位はマイケル・ジャクソン、3位はエルトン・ジョン、4位はマドンナ、5位はリアーナです。エルヴィスより売り上げが多かったのは、わずか1組のグループ、すなわち、ザ・ビートルズだけです。

 映画「エルヴィス」のハイライトは、予告編にも登場するクネクネダンスの初披露シーンです。エルヴィスのセクシーなパフォーマンスを見た女子たちは熱狂(発狂?)し、「このとき、ロックンロールが誕生した」とさえ言われています。50年代、エルヴィスはアメリカやイギリスをはじめとする多くの若者をロックンロールによって熱狂させ、それは20世紀後半のポピュラー音楽の中で、最初の大きなムーブメントを引き起こしました。また、極貧の幼少時代から一気にスーパースターにまで上り詰めたことから、アメリカンドリームの象徴であるとされます。ザ・ビートルズ、ボブ・ディラン、エルトン・ジョン、ボブ・シーガー、ロバート・プラント、フレディ・マーキュリーなど、後に音楽業界で成功したロック・ミュージシャン、特にボーカリストたちが憧れたことでも知られる。

 初期のプレスリーのスタイルは、黒人の音楽であるブルースやリズムアンドブルースと白人の音楽であるカントリー・アンド・ウェスタンを融合した音楽であるといわれています。それは深刻な人種問題を抱えていた当時のアメリカでは画期的なことでした。わたしは、彼がじつは「白い黒人」であり、黒人差別に反対していたことを知りませんでした。この映画では、エルヴィスと「ブルースの神様」と呼ばれたBB・キングと親交があったことや、黒人の解放に尽力したキング牧師やケネディ大統領の暗殺に、エルヴィスが衝撃を受けるシーンも登場します。

 全米のスーパースターとなった彼でしたが、保守層には「ロックンロールが青少年の非行の原因だ」と中傷され、PTAはテレビ放送の禁止要求を行うなど、様々な批判、中傷の的になった。KWKラジオではプレスリーのレコード(「ハウンドドッグ」)を叩き割り、「ロックンロールとは絶縁だ」と放送。さらにフロリダの演奏では、下半身を動かすなとPTAやYMCAに言われて、仕方なく小指を動かして歌ったこともあります。この時には警官がショーを撮影し、下半身を動かすと逮捕されることになっていたといいいますから、今では信じられない話ですね。

 しかし、プレスリーの音楽によって多くの人々が初めてロックンロールに触れ、ロックンロールは一気にメジャーなものとなりました。それまで音楽など聴かなかった若年層(特に若い女性)が、音楽を積極的に聴くようになり、ほぼ同時期に普及した安価なテレビジョンやレコードプレーヤーとともに音楽消費を増加させる原動力になったとされています。さらには、音楽だけでなくファッションや髪型などの流行も若者たちの間に芽生え、若者文化が台頭しました。彼は世界の音楽および大衆文化に圧倒的な影響を与えたのです。晩年はその活動をラスベガスのホテルでのショーやコンサート中心に移しました。そして、1977年8月16日、自宅であるグレイスランドにて42歳の若さで死去したのです。

 映画「エルヴィス」を観て、エルヴィス・プレスリーが常にグリーフを抱えていたことを知りました。まず、彼はマザコンといってもいいぐらいに母親を愛しており、母もまたエルヴィスを溺愛していましたが、その母がアル中で亡くなった後は、あまりにも深い悲嘆を抱え、その悲嘆に付け込んだマネジャーのパーカー大佐(トム・ハンクス)の言いなりになってしまいます。トム・ハンクスには珍しく、この映画では完全な悪役を見事に演じ切っていますね。過去に問題があり、アメリカから出国もできないパーカー大佐から売上の50%を取られた他、さまざまな搾取を受けたエルヴィスは身体と精神が傷つけられます。本来、エルヴィスを守るべき存在は事務所の社長である実の父親ヴァーノンのはずでした。しかし、若い頃に不渡小切手で服役し、エルヴィスら家族に極貧生活を強いたヴァーノンはまるで無力で、息子には内緒でパーカー大佐から多額の借金をしているという情けない有様で、さらにエルヴィスを深い孤独に追い込んでいきます。

 愛する妻と娘とも引き離されたエルヴィスは、さらなるグリーフを抱えて生きることになります。その長年積み重なったグリーフは、ついに彼の心臓の動きを止めたのでした。このように悲しみに包まれたエルヴィスの人生ですが、そのグリーフはケアされないまま、彼は人生を幕を閉じたように思えます。しかし、彼の歌は多くの人々の孤独な心を慰めました。そう、彼は歌で世界中の人々をケアしたのです。もともとミュージシャンという仕事の本質はファンの心の「ケア」ではないかと思いますが、史上最も成功したソロ・アーティストであるエルヴィスは、「グレイテスト・ショーマン」であると同時に「グレイテスト・ケアラー」でもあったのです。映画のラストで、実際のエルヴィスが亡くなる26日前のコンサートで「アンチェインド・メロディ」を切々と歌うシーンがあります。体が衰弱し切って、もう立っていられなくなったエルヴィスは、ピアノを弾きながら歌います。これが魂を揺さぶるような熱唱で、わたしは聴いているうちに涙が出てきました。

 主演のオースティン・バトラーはエルヴィス・プレスリーに似ていたし、素晴らしい熱演でした。でも、最後にエルヴィス本人の映像がスクリーンに映し出されると、やはり本物はオーラが違います。現時点で観ても、ものすごいハンサムであり、セクシーさがハンパではありません。どこから見ても、人類史に燦然と輝くスーパースターです。エルヴィスはジェームス・ディーンに憧れていたそうですが、確かにちょっとジミーの雰囲気に似ていますね。ちなみに、わたしが最も好きなエルヴィスのナンバーは「好きにならずにいられない」(Can't Help Falling In Love)です。エルヴィスの数多い名曲の中で、カラオケで歌える唯一の曲でもあります。コロナ禍中で力尽きて閉店し、今はもう存在しない赤坂見附のカラオケスナック「DAN」のスタンドマイクでよく歌いましたね♪ また、コロナが落ち着いたら、どこかで歌いたいです!

好きにならずにいられない♪