No.659


 12月9日から公開された日本映画「ラーゲリより愛を込めて」をT・ジョイリバーウォーク北九州で観ました。第35回東京国際映画祭のオープニング作品です。名作「硫黄島からの手紙」の二宮和也が主演の戦争モノと聞けば、観ないわけにはいきません。しかも、彼の妻役は北川景子。これはもう、「必ず泣くやつ」だということがわかります。実際、出演者たちの泣く演技が「涙の競演会」かと思えるほどに素晴らしい、グリーフケア映画の傑作でした。
 
 ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「辺見じゅんのノンフィクション『収容所から来た遺書』を原作にしたドラマ。第2次世界大戦終結後、ソ連軍の捕虜として不当にシベリアの収容所に抑留された日本人・山本幡男氏の姿を描く。メガホンを取るのは『とんび』などの瀬々敬久。『浅田家!などの二宮和也、『ファーストラヴ』などの北川景子らが出演する」
 
 ヤフー映画の「あらすじ」は、「第2次世界大戦が終結した1945年。シベリアの強制収容所では、ソ連軍の捕虜となった山本幡男(二宮和也)ら多くの日本軍兵士たちが収容されていた。わずかな食料しか与えられず、零下40度という過酷な状況下で重労働を強いられる彼らに、山本は『生きる希望を捨ててはいけません。帰国の日は必ずやって来ます』と訴え続ける。山本の信念と仲間を思う行動に勇気づけられる捕虜たち。8年後、山本のもとへ妻からのはがきが届き、帰国の日は近いと感じる山本だったが、その体は病にむしばまれていた」となっています。
 
 原作となった辺見じゅん著『収容所から来た遺書』(文春文庫)は、大宅賞、講談社ノンフィクション賞、ダブル受賞に輝いた感動ノンフィクションです。アマゾンには、「敗戦から12年目に遺族が手にした6通の遺書。ソ連軍に捕われ、極寒と飢餓と重労働のシベリア抑留中に死んだ男のその遺書は、彼を欽慕する仲間達の驚くべき方法により厳しいソ連監視網をかい潜ったものだった。悪名高き強制収容所に屈しなかった男達のしたたかな知性と人間性を発掘した労作。著者は、「非力もかえりみず偉大なる凡人の生涯、それもシベリアの地で逝った一人の男の肖像を描きたいと思ったのは、その不屈の精神と生命力に感動したからに他ならない」と書いています。
 
 映画「ラーゲリより愛を込めて」は、実話に基づいています。主人公である山本幡男(1908年〈明治41年〉9月10日~1954年〈昭和29年〉8月25日)は、島根県隠岐郡西ノ島町出身。彼は、第2次世界大戦終結後に旧ソビエト連邦によるシベリア抑留を経験した日本人の1人です。日本への帰国が絶望的な状況下において、強制収容所(ラーゲリ)内の日本人俘虜たちに日本の文化と帰国への希望を広め、一同の精神的支柱になり続けました。自身は帰国の夢が叶わず収容所内で病死しましたが、死の間際に家族宛ての遺書を遺しており、同志たちがその文面を暗記することで日本の遺族へ届けたことでも知られます。
 
 映画「ラーゲリより愛を込めて」には、シベリア抑留の悲惨さが描かれています。シベリア抑留では、第2次世界大戦の終戦後、武装解除され投降した日本軍捕虜や民間人らが、ソビエト連邦(ソ連)によってシベリアなどソ連各地やソ連の衛星国モンゴル人民共和国などへ労働力として連行されました。また、長期にわたる抑留生活と奴隷的強制労働により多数の人的被害を生じました。男性が多いが女性も抑留されています。ソ連対日参戦によってソ連軍に占領された満州、朝鮮半島北部、南樺太、千島列島で戦後にかけて抑留された日本人は約57万5000人に上ります。厳寒環境下で満足な食事や休養も与えられず、苛烈な労働を強要させられたことにより、約5万8000人が死亡しました。このうち氏名など個人が特定された数は2019年12月時点で4万1362人に過ぎません。
 
 シベリア抑留におけるソ連の行為は、武装解除した日本兵の家庭への復帰を保証したポツダム宣言に反するものでした。ソ連の継承国であるロシア連邦のエリツィン大統領は1993年(平成5年)10月に訪日した際、「非人間的な行為」として謝罪の意を表しました。ただし、ロシア側は、移送した日本軍将兵は戦闘継続中に合法的に拘束した「捕虜」であり、戦争終結後に不当に留め置いた「抑留者」には該当しないとしました。シベリア抑留者の集団帰国は1956年に終了、ソ連政府は1958年12月に「日本人の送還問題は既に完了したと考えている」と発言しました。しかし、ソ連占領下の南樺太で逮捕されるなどしてソ連崩壊後まで帰国が許されなかった民間人もおり、ソ連政府は日本政府による安否確認や帰国の意向調査を妨害し続けたのです。怒りをおぼえずにはいられません。
 
 わたしは、シベリア抑留は、ナチスドイツのユダヤ人虐殺、アメリカの原爆投下と並ぶ人類史に残る最大級の愚行だと考えています。わたしの仲人の前野徹氏(東急エージェンシー元社長)は、原爆を「火の爆弾」、シベリア抑留を「氷の爆弾」と表現し、「日本人は火と氷の2つの爆弾によって地獄を体験した」と述べられました。収容所内で生きる日本人捕虜たちに「人間の尊厳」など与えられませんでしたが、もっとも辛かったのは、過酷な環境や労働によって命を落としたり、あるいは逃亡を図ったとして射殺された仲間の弔いができなかったことだそうです。映画にも、射殺された若い捕虜の死を悼んで、仲間たちが祈りを捧げていたとき、ソ連兵がやってきて「お前たち、何をやっている! 集会は禁止だ!」とまくしたてるシーンが登場します。二宮和也演じる山本幡男が「これは死者を悼むセレモニーだ!」と必死で説得しますが、無駄でした。

唯葬論』(三五館)
 
 
 
 わたしは、このソ連兵が日本人の葬送儀礼を妨害するシーンに強い怒りを感じました。拙著『唯葬論』(三五館、サンガ文庫)にも書いたように、わたしは、葬儀とは人類の存在基盤であり、発展基盤でもあると思っています。約7万年前に死者を埋葬したとされるネアンデルタール人たちは「他界」の観念を知っていたとされます。世界各地の埋葬が行われた遺跡からは、さまざまな事実が明らかになっています。最期のセレモニーである葬儀は、故人の魂を送ることはもちろんですが、残された人々の魂にもエネルギーを与えてくれます。もし葬儀を行われなければ、配偶者や子供など大切な家族の死によって遺族の心には大きな穴が開き、おそらくは自殺の連鎖が起きたことでしょう。葬儀という営みをやめれば、人が人でなくなります。葬儀というカタチは人類の滅亡を防ぐ知恵なのです。そんな最重要事を認めないソ連の共産主義など非人間的イデオロギー以外の何物でもありません。
 
 しかし、共産主義は葬儀という人類の文化装置を破壊することはできませんでした。映画「ラーゲリより愛を込めて」には、第2代ソビエト連邦最高指導者であったヨシフ・スターリンの肖像画が何度も登場しますが、彼が1953年3月5日に脳卒中で74歳で逝去した際、盛大な国葬が開催され、4日間の国民的服喪が義務づけられました。その後、スターリンの遺体は防腐処理され、1961年までレーニン=スターリン廟に安置されていました。ちなみに、スターリンの葬儀を取り仕切ったのは、ニキータ・フルシチョフ、ゲオルギー・マレンコフ、ヴャチェスラフ・モロトフ、ラヴレンチー・ベリヤらのソ連共産党の大幹部たちでした。唯物論を謳い、無神論を唱える共産主義者でさえ、いや共産主義者の方が、より盛大に葬儀を行うという皮肉な結果になったのです。

儀式論』(弘文堂)
 
 
 
 拙著『儀式論』(弘文堂)にも書きましたが、わたしは、人間は神話と儀式を必要としていると考えます。社会と人生が合理性のみになったら、人間の心は悲鳴を上げてしまうのではないでしょうか。結婚式も葬儀も、人類の普遍的文化です。多くの人間が経験する結婚というち慶事には結婚式、全ての人間に訪れる死という弔事には葬儀という儀式によって、喜怒哀楽の感情を周囲の人々と分かち合います。このような習慣は、人種・民族・宗教を超えて、太古から現在に至るまで行われています。儀式とは人類の行為の中で最古のものなのです。人類最古の営みといえば、他にもあります。石器をつくるとか、洞窟に壁画を描くとか、雨乞いの祈りをするなどです。しかし現在、そんなことをしている民族はいません。儀式だけが現在も続けられているわけです。最古にして現在進行形ということは、儀式という営みには普遍性があるのではないでしょうか。ならば、人類は未来永劫にわたって儀式を続けるはずです。

『葬式不滅』(オリーブの木)
 
 
 
 わたしは、儀式を行うことは人類の本能ではないかと考えます。わたしは、この本能を「礼欲」と名づけました。 ブログ「葬式の行方は」で紹介したように、まもなく3年が経過するコロナ禍で、葬式の簡略化が急速に進んだように見えます。しかし、わが師である東京大学名誉教授で宗教学者の島薗進先生は、「死者との別れとその後の交わりに形をあたえることを、人類が忘れることはないだろう」と書かれています。わたしは、人類のさまざまな謎は儀式という営みの中にすべて隠されていると考えています。わたしたちは、いつから人間になったのか。そして、いつまで人間でいられるのか。その答えは、すべて儀式という営みの中にあるのです。やはり、人類にとって儀式は必要不可欠であると思わざるをえません。そして、なぜ儀式が必要かと言うと、人間には「礼欲」という本能があるというのがわたしの仮説です。礼欲がある限り、葬儀をはじめとした儀式は不滅であると言えるでしょう。
 
 映画「ラーゲリより愛を込めて」に描かれる非人間的なラーゲリ(強制収容所)の様子は悲惨のきわみですが、それでも山本幡男は「希望を持って生きろ!」と仲間に訴え続けます。その姿は、アウシュビッツの強制収容所から生還したユダヤ人精神科医のヴィクトル・フランクルを連想させました。名著『夜と霧』を書いたフランクルは、強制収容所で生き延びる人々は約5パーセントであると見積もっていました。同時に、それだから落胆したり、希望を捨てる必要はないとも考えていました。なぜなら、いかなる人間も未来を知らないし、次の瞬間に何が起こるかを予想できないからです。フランクルは生きて地獄のような強制収容所を出ることができました。生きる望みも少なく、生きる目的も奪われた状況において、彼はなぜ生き延びることができたのでしょうか。彼は発想の転換が必要だと言います。わたしたちが絶望しても、なおも、わたしたちが人生に何を期待できるのかではなく、反対に、人生がわたしたちに何を期待しているのかが問われるのだというのです。
 
「ラーゲリより愛を込めて」の観客は、ラーゲリ内での非人間的な描写に心を痛め、あれほど家族と再会したがっていた山本幡男の死に絶望します。しかし、その後、大きな感動を与えられます。山本の仲間たちが彼の遺書を分担記憶していて、それを遺族の前で読み上げるのです。本を丸ごと暗記する行為なら、レイ・ブラッドベリ原作でフランソワ・トリュフォーのSF映画「華氏451」(1966年)に登場しました。しかし、遺書を丸ごと、それも複数の人間が分担して記憶するというのは衝撃的でした。遺書には亡くなる前の人間の「想い」が言葉として込められていますが、それを記憶できるのは本物の「絆」がある同志だからと思います。「きずな」という文字の中には「きず」が入っています。真の絆とは、傷を負った者同士の心に生まれるのです。だから、「戦友会」や「被害者の会」などには最強の絆があるのだと思います。
 
 戦地にしろ、強制収容所にしろ、極限の非人間的な場所から、愛する人へメッセージを届ける......この「ラーゲリより愛を込めて」のテーマは、主演・二宮和也の代表作の1つである「硫黄島からの手紙」(2006年)に通じます。クリント・イーストウッドがメガホンを取り、第31回日本アカデミー賞の最優秀外国映画賞などに輝きました。戦況が悪化の一途をたどる1944年6月、アメリカ留学の経験を持ち、西洋の軍事力も知り尽くしている陸軍中将の栗林忠道(渡辺謙)が、本土防衛の最後の砦ともいうべき硫黄島へ向かいます。指揮官に着任した彼は、長年の場当たり的な作戦を変更し、西郷(二宮和也)ら部下に対する理不尽な体罰も戒めるなど、作戦の近代化に着手するのでした。戦争映画の歴史に残る名作です。硫黄島の地にも、兵士たちの究極の「絆」がありました。
 
『結魂論〜なぜ人は結婚するのか』(成甲書房)
 
 
 
 そして、「ラーゲリより愛を込めて」には、離れ離れになっても互いを求め合い、再会を信じ合っている夫婦の姿が描かれます。それはもはや「絆」をも超えた魂の結びつきとしての「結魂」だと思いました。山本幡男の妻モジミを演じた北川景子の演技が超弩級の迫力でした。夫の安否がずっと確認できなくても、「あの人はきっと帰ってきます。約束したんです、日本で落ち合おうって...」と健気に語っていた彼女が、ついに夫の訃報に接したとき、庭に転がり落ちて泣き叫びます。それは、まさに「慟哭」というべきもので、悲しみの大きさがスクリーンを通して伝わってきました。わたしは、「北川景子って、こんなに凄い女優になったのか!」と呆然としました。そして、この映画の冒頭にも、最後にも、結婚披露宴のシーンが登場します。人間は戦争という愚行も冒せば、結婚式で最高の感動も得られるのです。 サンレーの冠婚副本部長(本部長は、わたし)である山下格取締役が隣の席で何度も目をこする姿を横目で見ながら、わたしは「結婚は最高の平和である」というわが信条を噛みしめていました。

結婚は最高の平和である