No.752
8月18日の夜、この日から公開された映画「ふたりのマエストロ」をシネプレックス小倉で観ました。父子の心が通じ合う感動的な場面が描かれたドラマでした。ハリウッド映画の基調に流れるのは「父と子の対立」ですが、このフランス映画は「父と子の和解」を見事に描いていました。
ヤフー検索の「解説」には、こう書かれています。
「『コーダ あいのうた』などのフィリップ・ルスレが製作を務めたドラマ。あるベテラン指揮者がミラノ・スカラ座から音楽監督就任の依頼を受けるが、それが同じく指揮者である息子への依頼だったことがわかる。メガホンを取るのは『バルニーのちょっとした心配事』などのブリュノ・シッシュ。『マイ・ドッグ・ステューピッド』などのイヴァン・アタル、『ベル・エポックでもう一度』などのピエール・アルディティのほか、ミュウ=ミュウ、キャロリーヌ・アングラーデらが出演する」
ヤフー検索の「あらすじ」は、以下の通りです。
「ドニは指揮者としてパリのクラシック界で脚光を浴びているが、彼の父でベテラン指揮者の父フランソワは息子の活躍を素直に喜べずにいた。あるとき、フランソワのもとにミラノ・スカラ座から音楽監督就任の依頼が届くが、その一方でドニはスカラ座の総裁から呼び出され、フランソワへの依頼がドニへの依頼の誤りだったと知らされる。夢にまで見ていたオファーに浮き足立つ父に、その真実をどう伝えるべきか、ドニは苦悩する」
この映画の中で、ひときわ目を引いたのが、世界的巨匠・小澤征爾がスカラ座でアヴェ・マリアを指揮するシーンです。劇中でマエストロ親子を悩ますミラノ・スカラ座とは、長い伝統を持つイタリアオペラ界の最高峰と呼ばれる劇場です。現在の建物は1778年8月3日に落成しています。ドニは全指揮者の憧れでもあるポジションに信じられない思いと嬉しさを感じながらも、一方で父親にはオファーが間違いであった事実を伝えなければならない過酷な現実と直面していました。眠れない夜を過ごす中、ふと若かりし小澤征爾がスカラ座でアヴェ・マリアを振る映像を流すドニ。伸びやかで豊かな調べが部屋中に響く中で、ふとドニは父に対して手紙を描き始めるのでした。
「ふたりのマエストロ」の冒頭には、ドニが名誉ある賞を受賞するシーンが流されます。次々に家族への感謝を述べるドニですが、同じく指揮者である父フランソワの姿は会場にありません。その後、オーケストラの練習に現れたフランソワが、「おめでとう!」「息子さん、すごいね!」「素晴らしい息子さんを持って誇りでしょう!」とみんなから声をかけられ、不機嫌になる様子が描かれます。どうやら、この父は息子に対してライバル心を抱いており、息子の受賞にジェラシーさえ感じていることが明らかになります。父と息子というのは、いくつになってもライバル関係であるというのは、心理学者フロイトのいう「エディプス・コンプレックス」を連想します。
エディプス・コンプレックスとは、男の子が無意識のうちに同性である父を憎み、母を性的に思慕する傾向のこと。これゆえに父親と息子は根本的に心が通じないそうです。エディプスが、父とは知らずに父を殺し母を妻とした、というギリシャ神話の「エディプス王」にちなんでフロイトが名づけたものです。「ふたりのマエストロ」では、フランソワは「妻が浮気をして妊娠した。自分に似ていないドニは、浮気相手の子ではないか」といった暗い想像に陥っていました。エディプス・コンプレックスに似たもので、エレクトラ・コンプレックスというものもあります。女の子が母を憎み、父を思慕する傾向のことです。
もう予告編やポスター自体がネタバレになっているので書きますが、この映画の最後では、憧れのミラノ・スカラ座でフランソワとドニの父子が2人でオーケストラを指揮します。このシーンを見て、わたしは「オーケストラは会社と同じだな。そして、ふたりのマエストロとは会長と社長のことじゃないか」と思いました。かつて、若者だけで立ち上げたベンチャー企業が社会を騒がせる事件を起こしたことがありました。代表的な事例が「ライブドア事件」です。事件を起こした原因はいろいろと言われていますが、わたしは、結局あの事件の根本は経営者が「礼」を知らなかったことだったと思います。ホリエモンが公式な場でもTシャツ姿で通したことではありません。粉飾決算などによって株主への礼、顧客への礼、従業員への礼、そして社会への礼を失したのです。すべては「礼の問題」です。
若者に「礼」を教えることは、年長者の役割です。ライブドアには会長や相談役がいませんでした。つまり、人生の経験豊かな年長者が会社にいなかったということです。当時33歳だったホリエモン以下、みんな若かった。平均年齢も低かった。そのぶん、年代の厚みがなかったのです。会社でも社会でも、若者がいて年長者がいて、はじめて健全であり、成り立ってゆきます。アクセルを踏む若者ばかりで、ブレーキ役がいないとどうなるか。暴走ゆえに崖から転落する運命が最後には待っています。そのために、会社には社長だけでなく会長がいるのです。日本では、会長と社長の年齢が親子ぐらいに離れていることが多いですが、わが社の会長は本当の父親です。
『礼を求めて』(2012年6月3日刊行)
さて、この映画は息子の受賞シーンから始まりますが、わたしも本来は父が先に受賞するべきであった賞を頂いた経験があります。ブログ「孔子文化賞授賞式」で紹介したように、孔子と『論語』の精神を普及した人物に与えられる「孔子文化賞」をわたしは父の目の前で授与されました。しかも、尊敬申し上げていた稲盛文化財団の稲盛和夫理事長との同時受賞でした。受賞スピーチの冒頭で、「わたしは、冠婚葬祭の会社を経営しています。日々、多くの結婚式や葬儀のお手伝いをさせていただいていますが、冠婚葬祭の基本となる思想は『礼』です」と述べました。
孔子文化賞受賞記念パーティーで
続いて、わたしは「『礼』とは、『人間尊重』ということだと思います。ちなみに、わが社のミッションも『人間尊重』です。また、わたしは大学の客員教授として多くの日本人や中国人留学生に孔子の思想を教えてきました。これまで多くの本も書いてきました。孔子や『論語』にまつわる著書もございます。それらの活動は、バラバラのようで、じつは全部つながっていると考えています。それらは、すべて『天下布礼』ということ。2500年前に孔子が訴えた『礼』という人間尊重思想を広く世に広めることが「天下布礼」です」と述べました。
受賞スピーチで父に感謝!
さらに、わたしは「今日みなさまにぜひお伝えしたいことは、日本の冠婚葬祭業は、孔子が説いた「礼」の精神をしっかりと守っているということです。孔子文化賞を授与され、わたしは本当にこれ以上ない喜びに打ち震えています。というのも、わたしは人類史上で孔子をもっとも尊敬しているからです。ブッダやイエスも偉大ですが、孔子ほど「社会の中で人間がどう幸せに生きるか」を考え抜いた人はいないと思います。世に多くの賞あれど、自分が心から尊敬している人の名前が入った賞を授与される喜びはひとしおです」と述べました。
「礼」の思想を教えてくれた佐久間進会長と
そして、わたしは「最後に、今日はこの会場に来ておりますが、かつて幼いわたしに「礼」という素晴らしい人間尊重の思想を教えくれ、今も教え続けてくれている父に心から感謝したいと思います。今回の受賞を励みに、これからも世のため人のためのお役に立ちたいと心より願っております。本日は、誠にありがとうございました。謝謝(シェイシェイ)!」と述べたのでした。そう、フランソワと違って、わが父は息子の授賞式に駆け付けて祝ってくれたのです。最高に嬉しかったです!
『ウェルビーイング?』(オリーブの木)
拙著『ウェルビーイング?』(オリーブの木)の「まえがき」にも書いたように、わたしは父を心尊敬しています。現在、時代のキーワードの「ウェルビーイング」に父は40年も前から注目していました。國學院大學で日本民俗学を学び、その後はYMCAホテル専門学校でサービスの実務を学んだ父は、「冠婚葬祭」や「ホスピタリティ」に強い興味を抱き、自身のライフワークにすると決めました。
佐久間進会長
そして、「心身医学の父」と呼ばれた九州大学名誉教授の池見酉次郎先生との出会いから、「ウェルビーイング」という人間の理想にめぐり合ったのです。わたしも当時はサンレー社長であった父から、「ウェルビーイング」の考え方を学んできました。その実現方法についても語り合ってきました。結果、わたしの一連の著作のキーワードにもなった「ハートフル」が生まれ、わたしなりに経営および人生のコンセプトにしてきました。
サンレーの佐久間進会長と
『ウェルビーイング?』でコラム「父子で取り組んできたウェルビーイング」では、京都大学名誉教授の鎌田東二先生が「佐久間進会長はその国学的求道心を持ち続けて、独自のSAKUMAウェルビーイングである『八美道』を提唱し実践されてきた。株式会社サンレーにはその精神が隅々まで行きわたっている。その佐久間会長の精神性を受け継ぎ、さらなる進化をクリエイトしたのが佐久間庸和サンレー社長である。わたしはこの親子を『日本最強の父子』と思っている。ここまで父の価値観を深く理解し共感し受け継ぎ、そして勇猛果敢に進化発展させた息子をわたしは知らない」と書いて下さいました。
サンレー創立50周年記念式典で父と
鎌田先生にはまことに恐縮の至りですが、父とわたしが二人三脚で「礼」を求めて生き、「天下布礼」を進めてきたという自負はあります。フランソワとドニは顔が似ていませんでしたが、わたしは多くの方々から「ますます親父さんに似てきましたね!」とよく言われます。その父も高齢となり、「ふたりのマエストロ」を観た18日に行われた会社行事には欠席しました。寂しかったです。いつもは会長である父が30分、社長であるわたしが30分話すのですが、この日はわたしが1時間話しました。この映画を観て、わたしは、いつまでも父に元気でいてほしいと願いました。だって、会社というオーケストラには会長・社長の2人の指揮者が必要なのですから......。