No.753


 東京に来ています。8月20日の日曜日、親戚の葬儀に参列してから幡ヶ谷の火葬場へ。火葬終了後は新宿に出て、出版関係の打ち合わせをしました。その後、新宿武蔵野館を訪れ、上映中の「アウシュヴィッツの生還者」を観ました。ナチスの蛮行を描いただけでなく、ハリー・ハフトという実在のプロボクサーが主人公ということで、ボクシング映画の側面もあり、非常に興味深かったです。
 
 映画ナタリーの「解説」には、「アウシュヴィッツ強制収容所の生還者の息子が父親の半生について綴った実話を映画化。渡米した生還者が、恋人に生存を知らせようとする姿を描く。監督を務めたのは、『レインマン』のバリー・レヴィンソン。『インフェルノ』のベン・フォスターが主演を務め、ヴィッキー・クリープス、ビリー・マグヌッセン、ピーター・サースガードらが共演する」とあります。
 
 映画ナタリーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「1949年。アウシュヴィッツから生還したハリーは、渡米しボクサーとして活躍していた。生き別れた恋人のレアを探し、生存を知らせようとしていた彼は記者の取材を受ける。彼は、収容所で開かれていたナチス主催の賭けボクシングに勝ち続けたと語りはじめ......」
 
 アウシュヴィッツ強制収容所でナチスからユダヤ人が虐待されるシーンは、まことに悲惨です。同収容所は、ナチスドイツが第二次世界大戦中に国家を挙げて推進した人種差別による絶滅政策(ホロコースト)および強制労働により、最大級の犠牲者を出した強制収容所です。収容者の90%がユダヤ人(アシュケナジム)でした。アウシュヴィッツ第一強制収容所は、ドイツ占領地のポーランド南部オシフィエンチム市(ドイツ語名アウシュヴィッツ)に、アウシュヴィッツ第二強制収容所は隣接するブジェジンカ村(ドイツ語名ビルケナウ)に作られた。周辺には同様の施設が多数建設されていました。
 
 アウシュヴィッツ強制収容所から生還したハリー・ハウトは、アメリカに渡って、プロボクサーとして活躍します。その一方で、彼は生き別れになった恋人レアを探していました。レアに自分の生存を知らせようと、記者の取材を受けたハリーは、「自分が生き延びた理由は、ナチスが主催する賭けボクシングで、同胞のユダヤ人と闘って勝ち続けたからだ」と告白します。収容所の囚人時代、ドイツ兵に反抗したハリーは、あるドイツ軍将校に別室に連れて行かれます。そこで、ユダヤ人捕虜同士が立てなくなるまで闘う賭けボクシングの話を聞くのでした。結局、ハリーはリングに上がることになりますが、それは負けた方は銃殺されるという残酷この上ないサバイバルゲームでした。
 
 最初、ハリーはユダヤ人同胞を倒すことに躊躇します。でも、自らが生き延びて恋人に再会する日のために、彼は闘い続けるのでした。わたしは、一条真也の映画館「サウルの息子」で紹介した2016年の映画を思い出しました。第68回カンヌ国­際映画祭にてグランプリに輝いた大傑作です。強制収容所でユダヤ人の同胞をガス室に送り込む任務につく主人公サウルに焦点を当て、想像を絶する惨劇を観客に見せます。仲間たちの死体処理を請け負うサウルが、息子と思われる少年をユダヤ人として正しい儀式で弔うために収容所内を駆けずり回ります。ユダヤ人がいかに「葬」というものを大切にしているかを見事に描いていましたが、「アウシュヴィッツの生還者」にも、そういったシーンがありました。ハリーが殴り倒した同胞に祈りを捧げながら絶命させる痛ましいシーンです。
 
 ハリーは生き延びて恋人と再会するために、過酷な選択をしました。映画の中で、ハリーは新聞記者に「帽子をなくした囚人」の話をします。強制収容所での点呼の際に捕虜が帽子をしていなかったら銃殺される。あるとき、帽子をなくした囚人がいた。彼は同胞の帽子を被って点呼に向かった。その同胞は殺された。彼は帽子を盗んだとき、同胞の運命を知っていながらその選択をしたのだ。他にも、「歯茎からの出血が止まらない」「腹を壊して下痢が止まらない」「どうにも故郷の家族が恋しくなった」などなど、さまざまなケースで、捕虜たちは同胞を裏切る選択をしてきたといいます。ナチス時代のユダヤ人たちは、日々、さまざまな「選択」をしてきたわけですが、極限ともいえる選択を描いたのがアメリカ映画「ソフィーの選択」(1982年)です。ホロコーストを題材に、メリル・ストリープがその圧倒的な演技でアカデミー賞主演女優賞ほか多くの映画賞を受賞した魂が震える感動作です。
 
「サウルの息子」も「ソフィーの選択」も、ナチスの愚行を描いた映画史に残る大傑作ですが、本作「アウシュヴィッツの生還者」も新たに生まれた傑作だと思いました。一条真也の読書館『ナチス映画史』で紹介した馬庭教二氏の著書によれば、近年、ヒトラーやナチスを題材とする映画が多数製作、公開されています。2015年から2021年の7年間に日本で劇場公開された外国映画のうち、ヒトラー、ナチスを直接的テーマとするものや、第2次大戦欧州戦線、戦後東西ドイツ等を題材にした作品は筆者がざっと数えただけで70本ほどありました。この間毎年10本、ほぼ月に1本のペースでこうした映画が封切られていたことになるわけで、その異常なまでの数の多さに驚かされます。ユダヤ資本が支えているハリウッドを始め、映画産業そのものがナチスへの憎悪の上に成立している気さえします。
 
 ナチスといえば、最近、興味深い本を読みました。『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』小野寺拓也・田野大輔著(岩波ブックレット)という本です。「ナチスは良いこともした」という言説は、国内外で定期的に議論の的になり続けています。アウトバーンを建設した、失業率を低下させた、福祉政策を行った――功績とされがちな事象をとりあげ、ナチズム研究の蓄積をもとに事実性や文脈を検証。歴史修正主義が影響力を持つ現在、多角的な視点で歴史を考察することの大切さを訴えた良書です。同書の中で、当時、ユダヤ人を迫害していたのはドイツだけでなく世界中がそうだったという記述があります。アメリカでも同様で、戦後も1950年代まで全米の約30%のホテルがユダヤ人の宿泊を拒否するなどの差別的行為をしていたという衝撃的な記述がありました。「アウシュヴィッツの生還者」の中では、ユダヤ人たちが自分たちを受け容れてくれた自由の国アメリカを称えるシーンが流れました。この問題は気になるので、詳しく調べてみたいと思います。

ユダヤ教vsキリスト教vsイスラム教
 
 
 
 ユダヤ人問題は宗教問題でもあります。ユダヤ人は、ユダヤ教を信仰します。ドイツ人はカトリックを、アメリカ人はプロテスタントを信仰します。「アウシュヴィッツの生還者」の中で、ハリーはレアを探すことで知り合った公務員のミリアム(ヴィッキークリーブス)と恋に落ちます。ミリアムから誘われてプロテスタントの教会に足を踏み入れたハリーは、「ここがシナゴーグだったら良いのにな」と言います。シナゴーグとはユダヤ教の礼拝所です。しかし、拙著『ユダヤ教vsキリスト教vsイスラム教』(だいわ文庫)に書いたように、ユダヤ教の「ヤーヴェ」とキリスト教の「ゴッド」とイスラム教の「アッラー」は基本的には同じ神です。もともとユダヤ教からキリスト教とイスラム教が派生したというのは歴史的事実です。実際、3つの宗教はともに『旧約聖書』を聖典としています。同書において、3つの宗教の関係を、わたしは長女がユダヤ教で、次女がキリスト教で、三女がイスラム教というように「三姉妹」として表現し、なぜ彼女たちが行き違ってしまったのか、なぜこんなに衝突するのかを説明しました。
 
「アウシュヴィッツの生還者」の主人公ハリー・ハフトは実在の人物です。この映画は伝記映画の要素が強く、強制収容所でのナチスの賭けボクシングから始まった彼のボクサーとしての人生を描いています。1948年、ハリーはアメリカに移住し、すぐにプロボクシング・サーキットに入りました。1949年に、後にプロレスラーとして有名になるパット・オコナーに敗れていますが、その前は12連勝でした。ボクサーになっていたハリーが自分が生きていることをレアに示すために、当時チャンピオンになる道を歩んでいる連戦連勝のロッキー・マルシアノへの挑戦をジムで宣言します。でも、直近で負け続きのハフトとはやるはずがありません。そこで、以前からアウシュヴィッツ収容所での様子を取材したいという記者の取材を受けて、生き残るための賭けボクシングについて語りました。そうすれば、記事を見てレアから反応があると思ったのです。
 
 その記事が世間の話題となり、ついにロッキー・マルシアノとハリーの対戦が決定します。マルシアノといえば、黒人のジョー・ルイスとともに「史上最強のボクサー」と呼ばれています。イタリア移民の両親を持ち、マサチューセッツ州ブロックトンで育った彼は、軍隊経験を経てボクシングを始め、1947年にプロデビュー。典型的なファイターで、相手のパンチを貰うことなどお構いないしに真正面から打ち合い、パンチの強さと打たれ強さを競い合うかのようなファイトでファンを魅了しました。1955年9月、ライトヘビー級王者アーチー・ムーアを逆転KOで退けて引退。生涯戦績は49戦49勝43KO。全勝無敗のまま引退した唯一のヘビー級王者として歴史にその名を刻みました。この世界王者の全勝記録は2017年8月26日、フロイド・メイウェザーが50連勝をマークするまで破られませんでした。
 
 ハリーを演じたベン・フォスターの熱演は素晴らしかったです。特に、アウシュヴィッツ時代の過酷な状況を表現するにあたり、体重を28kg落としたのち、戦後のシーンを撮影するために元の体重に戻したことは感服するしかありません。戦前と戦後ではまったくの別人に見えましたが、フォスターは「この種の肉体改造の限界に挑戦した」とコメントしています。わたしは、彼がロバート・デ・ニーロによく似ていると思いました。特に、1980年のアメリカ映画「レイジング・ブル」に主演したときのデ・ニーロにそっくりでした。実在のプロボクサー、ジェイク・ラモッタの伝記映画ですが、デ・ニーロは、ミドル級チャンピオンまで上り詰めた鍛え上げられた肉体と、引退後の肥満体型を表現するために体重を27kg増量し、第53回アカデミー主演男優賞を受賞しました。フォスターがデ・ニーロを意識したことは明らかですね。
 
「アウシュヴィッツの生還者」では、ユダヤ差別が描かれますが、差別といえば黒人差別も多くの名作映画を生んできました。そんな中に、一条真也の映画館「ジャンゴ 繋がれざる者」で紹介した2012年のアメリカ映画があります。1859年のアメリカ南部。賞金稼ぎのキング・シュルツ(クリストフ・ヴァルツ)と出会い、奴隷の鎖から解放されたジャンゴ(ジェイミー・フォックス)は、昔、奴隷市場で別れたきりの妻ブルームヒルダ(ケリー・ワシントン)を見つけて救い出すために奮闘します。同作の中で、レオナルド・ディカプリオ演じる領主が奴隷同士を殺し合いのような真剣勝負で闘わせるシーンがありました。それが「アウシュヴィッツの生還者」に登場したナチスの賭けボクシングにそっくりなのです。
 
 欧米では、同じ人間を差別するのみならず、同胞同士で殺し合いをさせる残酷な遊びに興じてきた歴史を忘れてはなりません。この「ジャンゴ 繋がれざる者」の監督は、クエンティン・タランティーノ。この日、新宿武蔵野館で「アウシュヴィッツの生還者」を観たわたしは、続けて新宿シネマカリテでドキュメンタリー映画「クエンティン・タランティーノ 映画に愛された男」を鑑賞しました。