No.813
12月9日、前日の8日から公開されたアニメ映画「窓ぎわのトットちゃん」をシネプレックス小倉で観ました。原作はあまりにも有名な超ベストセラーですが、わたしは未読です。何の予備知識もなく本作を観たのですが、想像を超える感動作で、最後はボロ泣きしました。観て良かった!
ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「タレント、司会者などマルチに活動する黒柳徹子が自身の幼少期をつづった『窓ぎわのトットちゃん』をアニメ映画化。落ち着きがないことを理由に小学校を退学になったトットちゃんが、ユニークな教育方針のトモエ学園に転校する。アニメーション制作を『クレヨンしんちゃん』シリーズなどのシンエイ動画、監督を『映画ドラえもん』シリーズなどの八鍬新之介が担当。トットちゃんを大野りりあなが担当するほか、小栗旬、杏、滝沢カレン、役所広司らが声優陣に名を連ねる」
ヤフーの「あらすじ」は、「好奇心旺盛でおてんばな女の子・トットちゃんは、落ち着きがないという理由で小学校を退学になる。新たに通うことになったトモエ学園は、電車が教室として使われているユニークな学校だった。周囲から困った子と言われて傷ついていたトットちゃんだったが、そこで自分の話に耳を傾けてくれる校長・小林先生と出会う。トモエ学園の自由な校風のもとで、トットちゃんはのびのびと成長していく」です。
このアニメ映画の原作である黒柳徹子氏の自伝的小説『窓ぎわのトットちゃん』が大ベストセラーであることは有名ですが、そのスケールは度外れています。1981年に発売され、世界累計発行部数は2500万部を突破。20以上の言語で翻訳されています。国内だけでも800万部以上売れており、戦後最大のベストセラーとなっています。それぞれの時代を代表するベストセラー1位といえば、江戸は滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』、明治は福沢諭吉の『学問のすゝめ』、大正は賀川豊彦の『死線を超えて』ですが、昭和・平成・令和を通じての最大のベストセラーが『窓ぎわのトットちゃん』なのです。もはや、日本史上最も読まれた本といっても過言ではありません。
そんな超ベストセラーを、わたしはなぜ読まなかったのか。それは、著者の黒柳徹子氏がちょっと苦手だったからです。TBSの伝説的音楽番組「ザ・ベストテン」を毎週楽しみに観ていたのですが、相方の久米宏氏とともにマシンガンのように早口で喋りまくる黒柳氏が苦手でした。『窓ぎわのトットちゃん』は第二次世界大戦が終わる少し前まで、実際に東京にあった小学校と、そこに本当に通っていた女の子のことについて書かれた物語ですが、その冒頭には「新しい学校の門をくぐる前に、トットちゃんのママが、なぜ不安なのかを説明すると、それは、トットちゃんが、小学一年生なのにかかわらず、すでに学校を退学になったからだった。一年生で!!」と書かれています。
落ち着きがないことを理由に、トットちゃんは小学校を退学になってしまったわけですが、これは現在では発達障害(LD、ADHD)だと思われます。「トットちゃん」と呼ばれた多動な黒柳氏は、ユニークな教育方針を貫くトモエ学園に転校して、その個性を伸ばせるようになりました。大人になってからは、アナウンサー・マルチタレント・ユニセフ親善大使として大活躍した黒柳氏ですが、著書『小さいときから考えてきたこと』(新潮文庫)所収のエッセイ「私ってLDだったの?」で、自身が発達障害であったと気づいたことを書いています。「エジソン、アインシュタイン、そして黒柳徹子はLDだった」という内容の文章が印刷されている雑誌の切抜きがニューヨークから送られてきて、それを読んだそうです。また、学習障害の子どもについて特集したNHKのTV番組を観たことで「私ってLDだったの!」と悟ったといいます。
多動ゆえに小学校を退学になった、そんなトットちゃんを受け入れてくれたのは「トモエ学園」でした。東京都目黒区自由ヶ丘(現在の自由が丘)に存在した私立幼稚園・小学校(旧制)です。リトミック教育を日本で初めて実践的に取り入れた学校として知られます。創設者で校長だった小林宗作は、日本におけるリズム教育・音響教育・ピアノ教育・総合リズム教育をひらいた人物です。小林校長は、初めて会ったトットちゃんの話をたっぷり4時間も、身を乗り出して聴いてくれました。そして、「君は、本当は、いい子なんだよ」と言ってくれます。黒柳氏はその後の人生をずっと、その言葉を心の支えにして生きてきたそうです。映画の終盤で、戦争が激しくなってトットちゃんが疎開するとき、彼女は小林校長に「わたし、大人になったらこの学校の先生になってあげるわ」と言います。それを聴いた校長はたまらずトットちゃんを抱きしめ、「君は、本当に、いい子だなあ!」と言うのです。このシーンを観て、わたしは涙が止まりませんでした。
トモエ学園の前身は「自由が丘学園」とうのですが、現在の自由が丘の地名と駅名は、自由ヶ丘学園の名称に由来するそうです。跡地は「ピーコックストア自由が丘店」となっていましたが、2000年代に入りイオン傘下に入った同店は、建て替えに伴い、2021年5月末に閉店。その後はイオングループの商業施設「JIYUGAOKA de aone」が建設され、2023年10月20日に開業。1988年(昭和63年)、有志により、跡地に記念碑が建立されました。この碑は「JIYUGAOKA de aone」のオープンに伴ってリニューアルされ、2023年11月24日に除幕式が行われました。黒柳氏もセレモニーに参加し、恩師の小林校長について「『君は本当は良い子なんだよ』と言って下さって、わたしはその度に『はい!良い子です!』と。この学校に来られなければ、わたしは今のようにはなっていないと思いますので、ありがたい学校だったなと改めて思います」と述べています。
このように、トモエ学園の舞台は自由が丘であり、映画には田園調布の教会なども登場します。つまり、東京の中でも富裕層が住んでいた土地であり、トモエ学園の生徒たちは裕福な家の子が多かったようです。在籍児童の保護者に東京横浜電鉄の重役がいた関係から、廃車となった電車を譲り受け、教室として使用していた時期がありました。このころに黒柳氏が転入しており、原作小説やアニメ映画では、電車を教室として使用していたことが印象的に描かれています。特にアニメ映画「窓ぎわのトットちゃん」では、トットちゃんが大井町線に乗ってトモエ学園に通学する様子がファンタジックに描かれており、この映画の中でも屈指の名シーンでした。また、新しい電車が夜中に搬入されるというので、生徒たちが寝間着を用意して学園に泊まり込むのですが、結局は明け方に電車が朝靄の中から姿を現すところも感動的でした。しかも、その電車はなんと図書室として使用されるのです!
トモエ学園に掲げられた「陰陽太極図」
トモエ学園が実践していたリトミック教育とは、19世紀末から20世紀初頭にかけて、新教育運動の絶頂期に、スイスの音楽教育家で作曲家でもあったエミール・ジャック・ダルクローズが開発した音楽教育の手法です。そんなことを聞くと、小林校長が西洋かぶれのように思う人もいるかもしれませんが、そんなことはありません。彼は東洋思想にも通じていました。なぜ、そんなことがわかるのかというと、トモエ学園には「陰陽太極図」が掲げられていたからです。太極図では、陰と陽が1つの円を作っています。陰陽は相反するものでなく、ともに必要なものです。特に、学園に持参するお弁当に"海のもの"と"山のもの"を必ず入れさせることに、小林校長の陰陽思想が見事に表れていました。例えば、海のものとは焼鮭やメザシであり、山のものとはキンピラごぼうやタクワンです。陰陽が合体することを「産霊(むすび)」といいますが、トモエ学園の児童たちは産霊を食べていたのです!
『ウェルビーイング?』と『コンパッション!』
わたしは、今年、陰陽についての著書を出しました。『ウェルビーイング?』と『コンパッション!』(ともに、オリーブの木)です。ウェルビーイングとは「幸せ」の追求であり、コンパッションとは「思いやり」の実践です。ともに、トモエ学園の教育方針そのものであると思いました。現在ブームになっているウェルビーイングの定義は、「健康とは、たんに病気や虚弱でないというだけでなく、身体的にも精神的にも社会的にも良好な状態」というものです。ただ、幸福の正体は、ウェルビーイングだけでは解き明かせません。また、コンパッションだけでも解き明かせません。陰陽の2本の光線を交互に投射したとき、初めて幸福の姿が立体的に浮かび上ってくるように思います。それは、「死」があるからこそ「生」が輝くことにも通じています。「陰陽太極図」に描かれているように、陰と陽の光があたり、1つの円が見えてくるという感覚です。言い換えると、陰と陽がないと円は見えてきません。そして陰陽が繋がることによって「産霊」が起動するのです。
「ウェルビーイング」という考え方が生まれたのは1948年ですが、そこには明らかに戦争の影響があったと思います。ウェルビーイング・ソングとして名高いビートルズの「LET IT BE」のメッセージをアップデートしたものがジョン・レノンの「IMAGINE」ではないでしょうか。つまり、ウェルビーイングには「平和」への志向があるのだと思います。実際、ベトナム戦争に反対する対抗文化(カウンターカルチャー)として「ウェルビーイング」は注目されました。現在、ロシア・ウクライナ戦争が行われていますが、このような戦争の時代に「ウェルビーイング」は再注目されました。「窓ぎわのトットちゃん」は、ウェルビーイング映画です。そして、平和を志向した反戦映画です。まったく違うテーマを描いたようでいて、じつは見事な反戦映画となっているという点では、「無法松の一生」(1943年)にも通じます。稲垣浩監督・伊丹万作脚本・阪東妻三郎主演の「無法松の一生」は今月13日に開幕する北九州国際映画祭のオープニングで上映され、わたしも鑑賞する予定です。
一方、「コンパッション」の原点は、『慈経』の中にあります。ブッダが最初に発したメッセージであり、「慈悲」の心を説いています。その背景には悲惨なカースト制度があったと思います。ブッダは、あらゆる人々の平等、さらには、すべての生きとし生けるものへの慈しみの心を訴えました。つまり、コンパッションには「平等」への志向があるのだと思います。現在、新型コロナウイルスによるパンデミックによって、世界中の人々の格差はさらに拡大し、差別や偏見も強まったような気がします。このような分断の時代に、また超高齢社会および多死社会において、「コンパッション」は求められます。「窓ぎわのトットちゃん」には、小児マヒの泰明ちゃん、尻尾のある高橋くんといった身体障害を抱えた子どもたちも登場しますが、トモエ学園の児童たちは彼らに思いやりをもって接します。
「窓ぎわのトットちゃん」の最も特筆すべき点は、「死」の問題をきちんと描いていることです。「幸せ」も「思いやり」も、その根底には「死」という問題が厳然として潜んでいます。そこを無視しての「幸せ」や「思いやり」では意味がありません。トットちゃんは、お祭りの夜店で買ったヒヨコの亡骸を抱きしめて涙を流し、あまりにも悲しすぎるクラスメートの葬儀で呆然とします。子ども向けの物語ではありますが、かつて童話の神様アンデルセンが「人魚姫」や「マッチ売りの少女」で児童文学に「死」の問題を持ち込んだように、「窓ぎわのトットちゃん」でもそれが行われていました。子どもが「死」という最大の不条理を学ぶ上で、この「窓ぎわのトットちゃん」というアニメ映画は最適であると思いました。
ちなみに、この映画のキャッチコピーとなっている「君のこと、忘れないよ」とは、死者の言葉でした。そして生者も「わたしも忘れない」と言います。この死者と生者との魂の交流を描いたあたりは、「リメンバー・フェス」にも通じています。約80年前、先の大戦が終わる少し前の激動の時代を背景に、1人の少女の視点を通して「生と死」「戦争と平和」「思いやりと差別」などの相反するテーマが雄弁に語られているのです。これらのテーマを子どもたちが学ぶのに、この映画ほどふさわしい作品はありません。わたしは、この素晴らしいアニメ映画を、ぜひ世界中の子どもたちに観てほしいと願います。
それにしても、日本史上最大のベストセラーが40年間も映画化されなかったとは驚きです。今回の初映画化にあたって実写ではなく、アニメにしたことも正解だったように思います。なんといっても日本はアニメ大国ですから、アニメ映画なら世界中の子どもたちに観てもらいやすくなるのではないでしょうか。アニメーション制作を「クレヨンしんちゃん」シリーズなどのシンエイ動画、監督を「映画ドラえもん」シリーズなどの八鍬新之介が担当。トットちゃんを大野りりあなが担当するほか、小栗旬、杏、滝沢カレン、役所広司らが声優陣に名を連ねています。どれも良かったですが、特に、小林校長の声を担当した役所広司が素晴らしかったです。そういえば、「窓ぎわのトットちゃん」の上映前に役所広司主演の「PERFECT DAYS」の予告編が流れました。
「PERFECT DAYS」は、「ベルリン・天使の詩」「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」などで知られるドイツの巨匠ヴィム・ヴェンダース監督・脚本、監督が、長年リスペクトしてやまないという役所を主演に迎えた作品です。渋谷の公共トイレ清掃員・平山の、小さな喜びと美しさに満ちた日々を丹念につづったヒューマンドラマで、第76回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に正式出品され、役所が最優秀男優賞を受賞しました。第96回米国アカデミー賞国際長編映画賞部門の日本代表作品でもあります。監督は役所について、「彼こそが平山だった」と語っています。じつは、トイレ清掃については拙著『コンパッション!』で詳しく書きました。トイレというものは最初から清掃を必要としている存在であり、それを行う人はこの世に欠かせないエッセンシャルワーカーであると指摘しました。「窓ぎわのトットちゃん」で描かれたウェルビーイング&コンパッションが「PERFECT DAYS」でも示されているような予感がします。