No.840


 東京に来ています。出版関係の打ち合わせなどを終えた後、日比谷のTOHOシネマズシャンテでドキュメンタリー映画「ビヨンド・ユートピア 脱北」を観ました。こんなに緊迫感のあるドキュメンタリーはこれまで観たことがありません。世界を変えうる映画の力を痛感しました。
 
 ヤフーの「解説」には、「北朝鮮から韓国に亡命しようとする家族と、彼らに協力する人々に密着したドキュメンタリー。命懸けの危険な旅に出たある一家を、韓国の牧師やブローカーらが協力して助けようとする。監督を務めるのは『シティ・オブ・ジョイ ~世界を変える真実の声~』などのマドレーヌ・ギャヴィン。サンダンス映画祭ドキュメンタリー部門で観客賞を受賞した」と書かれています。
 
 ヤフーの「あらすじ」は、「これまで多くの脱北者の手助けをし、彼らを韓国で支援してきたキム・ソンウン牧師に、緊急のミッションが発生する。それは北朝鮮から中国へと渡り、山間部で行くあてがなくなってしまった80代の女性と幼い子供2人を含むロ一家5人を脱北させることだった。キム牧師の指揮のもと、各地に点在する多くのブローカーが連携し、中国、ベトナム、ラオス、タイを経由して、亡命先の韓国への脱出作戦が行われる」です。
 
 モキュメンタリー(mockumentary)という映画ジャンルがあります。フィクションを、ドキュメンタリー映像のように見せかけて演出する表現手法です。ホラー映画でよく使われ、代表的な作品に「ブレア・ウイッチ・プロジェクト」(1999年)や「パラノーマル・アクティビィティ」(2007年)などがあります。いずれも画面が暗くて、映像がブレるのが特徴ですが、それがリアリティを生んで異常に怖かったです。しかし、この「ビヨンド・ユートピア 脱北」はもっと怖い。なにしろ、100%のリアル・ドキュメンタリーであり、再現映像も一切使われていないのですから。次の瞬間には「死」が待っているかもしれない。これは、そのへんのホラー映画などよりはるかに怖い映画です。
 
「ビヨンド・ユートピア  脱北」で北朝鮮を脱出するロー家は5人家族ですが、80代の老婆と2人の少女がいます。このような家族構成で北朝鮮→中国→ベトナム→ラオス→タイ→韓国と過酷な旅を続けるのは不可能だとしか思えませんが、生きるために必死で暗闇の中を進む家族の姿に胸を打たれます。姉妹のうちの妹がまだ小さくて、夜中の山道で怪我をして「痛い、痛い」とずっと泣いているのが可哀想でした。彼らの脱北を支えたキム牧師の無償の愛には頭が下がりますが、そこにはイエス・キリストが説いた「隣人愛」の精神がありました。ちなみに、北朝鮮では『聖書』が禁書となっているそうですが、それは初代最高指導者の金日成の伝記を『聖書』から盗用しているからだとか。しかし、『聖書』を禁ずるとは欧米のキリスト教国から見れば、まさに「悪魔の国」ですね。
 
 ロー家の人々は脱北者です。脱北者とは、朝鮮民主主義人民共和国から国外脱出した北朝鮮国籍者のことです。北朝鮮本国では処罰・処刑対象であり、中国では不法滞在として扱われています。大韓民国(韓国)における法律上の用語は北韓離脱住民です。脱北者は主に韓国、他には日本やアメリカ合衆国、ヨーロッパなどに居住している。2018年時点で韓国へ亡命して定着した約3万1500人は外国籍を除いて韓国国民となっています。なぜ、脱北者が後を絶たないのかというと、北朝鮮が地獄のような国だからです。この映画で初めて知ったのですが、北朝鮮の政治犯の収容所では、毎日のように囚人が死に続け、それを弔いもせず、死体を大きな穴に捨てているそうです。

コンパッション!』(オリーブの木)
 
 
 
 北朝鮮は儒教国だそうですが、儒教の根本は「礼」です。特に死者に対する「葬礼」を最重視します。人が亡くなっても弔いもせず、穴に捨てる国など、儒教国でも何でもありません。また、儒教では「仁」を重んじます。仏教の「慈悲」やキリスト教の「隣人愛」にも通じる思いやりの精神で、わたしはそれらを「コンパッション」として総称しています。隣人愛の実践者であるキム牧師はコンパッションの人でした。また、この映画は世界中の人々に脱北者の真実を知らせ、彼らへの共感と愛情を生むコンパッション映画です。この映画を観る人は、誰もが幼い少女が泣き叫ぶ姿や老婆が手を合わせて感謝する場面を見て、心が大きく動くことでしょう。映画から生まれたコンパッションが、いつの日か、世界を変えることがあれば、こんなに素晴らしいことはありません。
 
「ビヨンド・ユートピア 脱北」では、各所に北朝鮮国内のドキュメンタリー映像が入っています。悲惨な現実はイラストで表現されていますが、まあ、誰もこんな国を「ユートピア」などと思う観客は皆無でしょう。しかし、かつて、北朝鮮を夢の楽園=ユートピアとして描いた日本映画がありました。「キューポラのある街」(1962年)です。鋳物の街、埼玉県川口市。そこに住む鋳物職人の娘ジュン(吉永小百合)が、父の解雇に始まり、貧困、進学、組合、差別など、さまざまな社会問題に直面します。しかし決してめげることなく、まっすぐに青春を堪能していく姿を感動的に描いた、社会派青春映画の名作です。主演の吉永小百合が当時最年少のブルー・リボン主演女優賞を受賞し、以後大スターへの道を躍進することにもなった記念すべき作品でもあります。この「キューポラのある街」は、北朝鮮への帰還事業を描いた映画でした。1959年12月14日、在日朝鮮人とその家族を乗せた船が新潟港から北朝鮮へ向けて出港しました。それは、北朝鮮による「帰還事業」の第1次帰国船でした。
 
 1984年7月まで続いた帰還事業で、総計9万3340人が北朝鮮に渡りました。そのうち、在日朝鮮人の妻、夫、子供として"帰国"した日本人は6839人にのぼるといいます。特定失踪者問題調査会代表の荒木和博氏は、「日本人妻(夫)は約1800人と言われ、その後、一時帰国できたのは数人だけです。後は北朝鮮で亡くなって、現在も生き残っているのは数人だけだと思います。帰還事業が始まった当初、"地上の楽園"と言われた北朝鮮は、実際は国土が朝鮮戦争で破壊され、極度の物不足という過酷な環境でした。帰国者はみな騙されたのです」と語っています。「帰還事業」が始まって2年後の1961年12月に「キューポラのある街」の撮影が開始され、62年に公開されました。吉永小百合がヒロインを演じるこの映画を観て、北朝鮮という祖国に夢を描いた人々も多かったことは想像に難くありません。彼らにとって、北朝鮮はまさしく「ユートピア」だったのです!