No.839
1月26日の夜、この日から公開されたイギリス映画「哀れなるものたち」をシネプレックス小倉で観ました。第96回アカデミー賞では11部門にノミネートされた超話題作ですが、実際に観た感想は「これは大傑作だ!」です。よくぞここまで奇妙な映画が作られたものです。映像はとても美しいのですが、性的な描写が多いのには驚きましたね。もし、何も知らないカップルが初デートで観たりしたら、ずいぶん気まずいと思います。(笑)
ヤフーの「解説」には、「『女王陛下のお気に入り』などのヨルゴス・ランティモス監督とエマ・ストーンが再び組み、スコットランドの作家アラスター・グレイによる小説を映画化。天才外科医の手により不幸な死からよみがえった若い女性が、世界を知るための冒険の旅を通じて成長していく。エマふんするヒロインと共に旅する弁護士を『スポットライト 世紀のスクープ』などのマーク・ラファロ、外科医を『永遠の門 ゴッホの見た未来』などのウィレム・デフォーが演じる。第80回ベネチア国際映画祭コンペティション部門で金獅子賞を受賞」と書かれています。
ヤフーの「あらすじ」は、「若い女性ベラ(エマ・ストーン)は自ら命を絶つが、天才外科医ゴッドウィン・バクスター(ウィレム・デフォー)によって胎児の脳を移植され、奇跡的に生き返る。『世界を自分の目で見たい』という思いに突き動かされた彼女は、放蕩者の弁護士ダンカン(マーク・ラファロ)に誘われて大陸横断の旅に出る。大人の体でありながら、新生児の目線で物事を見つめるベラは、貪欲に多くのことを学んでいく中で平等や自由を知り、時代の偏見から解放され成長していく」です。
この映画、上映時間が141分でした。普通は中弛みしそうな時間ですが、次に起こることの予想がつかない展開の連続で、退屈せずに一気に観ました。とにかくインパクト絶大な作品で、映画.comの特集記事の冒頭には「超衝撃作、大問題作、強刺激作...どんな言葉も本作に相応しくない。エマ・ストーン×怪物的天才監督が紡ぐアカデミー賞有力候補作」「絶句、絶頂、挑発、陶酔。あなたが最後に感じるのは、経験したことのない、歓喜」と書かれています。このコピーは、「哀れなるものたち」という超怪作を見事に表現していますね。
映画の冒頭で、自死した女性が人造人間ベラとして蘇ります。女性の人造人間といえば、どうしても「フランケンシュタインの花嫁」(1935年)を思い出しますね。しかも、ベラを生き返らせたゴドウィン・バクスターの顔はツギハギだらけで、フランケンシュタインのモンスターを彷彿とさせるのです。「フランケンシュタインの花嫁」は、アメリカのユニバーサル映画が製作したSFホラー映画の古典です。映画史に燦然と輝く名作「フランケンシュタイン」(1931年)の続編で、監督ジェイムズ・ホエールと怪物役のボリス・カーロフは前作と同じです。エルザ・ランチェスターが怪物の花嫁とメアリー・シェリーの二役を演じましたが、誕生してすぐに不幸な最期を遂げます。
いま、映画「フランケンシュタイン」の話をしましたが、原作の『フランケンシュタイン』を書いたのはメアリー・シェリー(1797年~1851年)というイギリス人女性です。同作はSF小説の元祖とされています。映画評論家の町山智浩氏のYouTube動画を観て知ったのですが、「哀れなるものたち」の主人公ベラには、メアリー・シェリー自身と彼女の実母であるメアリ・ウルストンクラフト(1759年~1797年)の両方の人生が反映しています。メアリー・シェリーは幼少の頃、イギリスの政治評論家で無政府主義(アナキズム)の先駆者であった実父のウィリアム・ゴドウィンから溺愛されて、家から出してもらえなかったとか。ウィレム・デフォー演じるゴッドウィン・バクスターのベラへの態度に重なりますね。
また、母のメアリ・ウルストンクラフトはイギリスの社会思想家で、『女性の権利の擁護』を書いたフェミニズムの先駆者でした。彼女はタブーに縛られない人生を送り、未婚のまま多くの男性と交際したといいます。当然、セックスにも開放的でした。メアリー・シェリーを産んだときも相手であるウィリアム・ゴドウィンとは結婚していなかったのです。そして、産後の肥立ちが悪く、彼女はメアリーの出産後間もなく亡くなったのでした。このように、ベラという人造人間のキャラクターには、メアリ・ウルストンクラフトとメアリー・シェリーの母娘の人生が反映されているのです。ベラ自身が母親の肉体に娘の脳が入った存在ですので、その意味では母娘一体の見事なメタファーになっています。ウィリアム・ゴドウィンから屋敷に閉じ込められていたベラは、「外の世界を自分の目で見たい!」と強く願います。そして、マーク・ラファロ演じる放蕩者ダンカンに誘われて大陸横断の旅に出るのでした。
新生児の脳を持ったベラは、あらゆるタブーを知りません。ダンスホールで彼女が踊り狂う場面は、どんな形式にもとらわれておらず、まさに自由そのものでした。もし、この映画にアナキズムとかフェミニズムとかの政治的信条が込められているとしたら、このデタラメかつ素敵なダンスシーンに最も表現されているように思います。ベラは性へのタブーも知りませんから、ダンカンに導かれるままに性の歓びを謳歌します。しかし、驚異的なスピードで精神的な成長を遂げるベラは、そのうちダンカンの底の浅さを見抜いて、彼への興味を失っていくのでした。わたしは、これを観て、「ダンカンは松本人志だ!」と思いました。プレイボーイぶって女性は自分の思い通りになるとやりたい放題やった結果、女性からの反逆でどん底に落ちたダンカンは、現在の松本人志の姿そのままではないですか!
日々成長を続けていくベラは、客船の中で裕福そうな高齢女性とオシャレな黒人男性の2人に出会います。彼らは非常に知的な人々で、彼らと会話を重ねていくうちにベラの精神はさらに目覚めていきます。読書という行為をおぼえたベラは、さまざまな知識を貪欲に吸収していきます。そして、彼女は黒人男性から貧しい地上の世界を見せられます。そこは暑さで多くの人々が倒れ、溝で赤ん坊も死んでいるという悲惨な世界でした。それを見たベラは大変なショックを受け、巨大な量のコンパッションを抱きます。そして、自分の船室にあった大金(ダンカンで博打で大勝した金)をすべて貧しい人々に与えるのです。『フランケンシュタイン』の怪物も読書によって知識を得ましたが、最後は人間を憎みました。しかし、ベラは読書の結果、コンパッションを知り、博愛の精神を得たのです。この違いを町山氏は、「創造主(親)に愛されたかどうかの違いだと思う」と述べていましたが、わたしも同意見です。
それにしても、「哀れなるものたち」は超弩級の映像体験ができる作品です。19世紀のヨーロッパが舞台ですが、描かれたリスボン、パリ、ロンドンといった都市はどれも幻想的で魅力的。ベラが着ている衣装もすべてキュートで、アカデミー賞の美術や衣装に関する賞を総取りするのではないでしょうか。映画.comの特集記事には、映画文筆家・児玉美月氏の「世界に革命を起こす今世紀最高の映画。きっとあなたを遥か遠くへと連れて行く」、映画評論家・よしひろまさみち氏の「不安をあおる音と映像の連続なのになんと晴れやかなフィナーレ!」、映画.com編集長である駒井尚文氏の「エマ・ストーンが女優生命を賭けた大ギャンブルに出た一本。コンプライアンスとかポリコレとか、あらゆる道徳規範がブッ飛ぶよ」と語っていますが、みんな興奮冷めやらない様子が伝わってきます。
駒井氏は「女性の性の目覚めを、10倍速で体験するような映画です。5歳から20歳を、1年半ほどで疾走するような感覚。それを見事にやってのけたエマ・ストーン、無双ですね」とも語っていますが、まったくその通りですね。一条真也の映画館「ラ・ラ・ランド」で紹介したミュージカル映画の傑作でアカデミー賞主演女優賞に輝き、今世界で最も影響力のある女優の1人となったエマ・ストーンが主演だけでなく、製作にも関わっています。ベラという難しい役になりきったその姿は、「体当たりの演技」「魂の熱演」などというありきたりの言葉では片付けられません。この映画は女性の「冒険」と「自由」と「解放」がテーマですが、それらに懸けるエマ・ストーンの生きざまを強烈に見せられました。最後に、ベラが見投げする原因を作った元夫のなれの果てをラストシーンで観たとき、多くの観客は「ざまあみろ!」と思ったのではないでしょうか。女を軽んじた男は最後に地獄を見るのです。