No.958


 10月25日から公開された日本映画「八犬伝」をシネプレックス小倉で観ました。わたしは、子どもの頃から大の八犬伝ファンで、この映画も大変楽しみにしていました。劇場で最も広い1番シアターはほぼ満員で、高齢者の姿が目立ちました。期待に違わず、感動の名作でありました。
 
 ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「江戸時代、戯作者・滝沢馬琴(役所広司)は友人の浮世絵師・葛飾北斎(内野聖陽)に構想中の物語を語り始める。それは里見家にかけられた呪いを解くため、運命に引き寄せられた8人の剣士たちの戦いを描く物語だった。たちまち魅了された北斎は物語の続きを聴くため、足しげく馬琴のもとへ通い、二人の奇妙な関係が始まる。執筆作業は、悪が横行する世で勧善懲悪を貫くという馬琴のライフワークとなるが、28年の歳月を経て最終局面に差し掛かろうとした矢先、彼の視力が悪化してしまう」
 
 ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「山田風太郎の小説『八犬伝』を、『ピンポン』などの曽利文彦が実写映画化。宿縁に導かれた8人の剣士たちが戦いを繰り広げる物語の世界と、その執筆に執念を燃やす江戸時代の戯作者・滝沢馬琴を巡る世界を交錯させながら描く。馬琴を『PERFECT DAYS』などの役所広司、彼を見守り続ける絵師・葛飾北斎を『春画先生』などの内野聖陽が演じるほか、土屋太鳳、磯村勇斗、黒木華、寺島しのぶ、渡邊圭祐らが共演する」
 
 原作は、伝奇小説の大家として知られた山田風太郎の小説『八犬伝』。1982年8月30日から「朝日新聞」夕刊に全359回にわたって連載された後、1983年に書籍化されました。『南総里見八犬伝』をモチーフに、『南総里見八犬伝』の作者・滝沢馬琴と葛飾北斎との交流を描いた「実の世界」と、『南総里見八犬伝』の「虚の世界」の2つの世界を交錯させながら描いています。
 
 文化10年、江戸飯田町の小さな家屋で、作家・滝沢馬琴は画家・葛飾北斎に語り出しました。宿縁に導かれた八人の犬士が悪や妖異と戦いを繰り広げる『南総里見八犬伝』です。落城寸前の安房・滝田城で、時の城主・里見義実が一縷の望みを愛犬・八房に託したことをきっかけに、里見家の運命が動き出す――。闊達自在な伝奇「虚の世界」と、執筆への執念を燃やす馬琴を綴る「実の世界」を、緻密な構成で見事に交錯させて描いた傑作です。
 
 山田風太郎の『八犬伝』が刊行された1983年末、角川映画「里見八犬伝」が公開されました。滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』を翻案した、鎌田敏夫の『新・里見八犬伝』の映画化作品です。薬師丸ひろ子の主演で、千葉真一や真田弘之らJACによる迫力ある戦い、音楽にはロックで英詞の主題歌、特撮など、それまでの時代劇にはなかった斬新なアイデアを取り込み、大型エンターテイメント映画となっています。日本映画で初めて特殊メイクがクレジットに表示された作品でもあります。製作は角川春樹、監督は深作欣でした。1984年のハイ年の配給収入では邦画1位の23億2000万円を売り上げました。
 
 40年ぶりの実写映画化となった今回の「八犬伝」ですが、「世界に誇る日本ファンタジーの原点」を謳い文句としています。実際に、江戸時代の大人気戯作者・滝沢馬琴が執筆した『南総里見八犬伝』は、現代でもマンガ、アニメ、映画、ドラマ、舞台、ゲームなど多彩なジャンルで二次創作が行われ、日本のエンタテインメント作品に大きな影響を与え続けているスペクタクル・ファンタジーであると言えるでしょう。本当に、「ここには、ジェパニーズ・エンタメのすべてがある!」と思えるほどです。
「鬼滅の刃」に学ぶ』(現代書林)



 また、拙著『「鬼滅の刃」に学ぶ』(現代書林)でも指摘したように、わたしは、コミックやアニメで空前の大ヒットを記録し、かつ日本映画史上最大の興行成績を残した「鬼滅の刃」シリーズにも「八犬伝」の影響が強く見られると考えています。特に、「鬼滅の刃」に登場する9人の「柱」たちは、人数こそ1人多いものの、八犬士そのものではないでしょうか。「八犬伝」も「鬼滅の刃」も、ともに日本人の心の琴線に触れる物語だと言えるでしょう。
 
 里見家の呪いを解くため、8つの珠に引き寄せられた八人の剣士の運命をダイナミックな八犬伝で描く「八犬伝パート」と、その物語を生み出す作家・滝沢馬琴と、浮世絵師・葛飾北斎の奇妙な友情を通じて描かれる「創作パート」が交錯する新たな感動作になっています。物語を生み出す苦悩と葛藤と共に作者の目線で描かれる『八犬伝』の世界は、未だかつてない映画体験へと導いてくれます。

 映画「八犬伝」の主人公である馬琴役として、曽利監督が当初からイメージしていたのは、日本を代表する名優・役所広司でした。馬琴の友人である北斎役には、前作『鋼の錬金術師 完結編』で重要なキャラ、ヴァン・ホーエンハイムを演じ、曽利監督が厚い信頼を寄せる内野聖陽です。曽利監督は、「いまの日本で、馬琴、北斎をやっていただける最高のキャスティングが、この2人だと思っていたんです。で、本作が企画として正式に動き始めた時に、役所さんと内野さんに引き受けていただけた。最高の瞬間でしたね。映画監督として長年の想いが叶ったような感じでした」と語っています。
 
「八犬伝」といえば、8つの珠を持った八犬士が活躍する物語です。「孝」の珠を持つ犬塚信乃(渡邊圭祐)、「義」の珠を持つ犬川壮助(鈴木仁)、「智」の珠を持つ犬坂毛野(板垣李光人)、「信」の珠を持つ犬飼現八(水上恒司)、「礼」の珠を持つ犬村大角(松岡広大)、「悌」の珠を持つ犬田小文吾(佳久創)、「仁」の珠を持つ犬衛親兵衛(藤岡真威人)、「忠」の珠を持つ犬山道節(上杉柊平)の8人ですが、正直言って、彼らが活躍する場面が少なかったのが残念でした。創作パートがあったので、どうしても物語パートの時間が削られたわけです。ですから、八犬士が揃う流れにはバタバタ感がありました。
『仁義礼智忠信孝悌』(2009年9月刊行)



 八犬士たちが持つ玉を合わせると、「仁義礼智忠信孝悌」の文字が浮かび上がってきますが、わたしは、2009年9月に『仁義礼智忠信孝悌』というブックレットを刊行したことがあります。わたしは、人類が生んだあらゆる人物の中で孔子をもっとも尊敬しています。孔子こそは、人間が社会の中でどう生きるかを考え抜いた最大の「人間通」であると確信していますその孔子が2500年前に説いた重要なメッセージを現代風に解説しました。このブックレットの構成は、以下のようになっています。
仁 〜愛と思いやりこそ、すべての基本である〜
義 〜大義名分を持たない者はほろびる〜
礼 〜人としてふみおこなうべき道を守る〜
智 〜善悪の区別と自己を知る〜
忠 〜あらゆる人に真心で接し、誠を尽くす〜
信 〜信がなければ人は動かない〜
孝 〜生命体の連続性を説く壮大なる観念〜
悌 〜年少者の想いと年長者の信頼〜
人間の心にまつわるコンセプト群



 孔子は「仁」「義」「礼」「智」といった人間の心にまつわるコンセプト群の偉大な編集者でした。彼の言行録である『論語』は千数百年にわたって、わたしたちの先祖に読みつがれてきました。意識するしないにかかわらず、これほど日本人の心に大きな影響を与えてきた書物は存在しません。特に江戸時代になって徳川幕府が儒学を奨励するようになると、必読文献として教養の中心となり、武士階級のみならず、庶民の間にも普及しました。
 
 そして江戸時代の日本において、『論語』で孔子が述べた思想をエンターテインメントとして見事に表現した小説が誕生しました。滝沢馬琴が書いた『南総里見八犬伝』です。江戸時代最大のベストセラーになりました。その中に登場する八犬士が持っていた珠には、それぞれ「仁」「義」「礼」「智」「忠」「信」「孝」「悌」の文字が浮かび上がりました。この8つの文字こそ、孔子が儒教思想のエッセンスとしてまとめたコンセプト群であり、日本人が最も大切にした「人の道」のキーワードでした。

 1973年4月2日から1975年3月38日までNHK総合テレビで放送された「新・八犬伝」という人形劇がありました。辻村ジュザブローの人形が魅力的でした。現在60歳である映画「八犬伝」の曽利監督もこの人形劇の大ファンだったそうですが、曽利監督より1歳上のわたしもこの番組が大好きで、全464話のほとんどを観た記憶があります。たしか小学4年生から6年生にかけてのことです。塾などにも行かず、今から思えば良き時代でした。原作は滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』です。坂本九の名調子による口上、「因果は巡る糸車、巡り巡って風車」や、番組終了時の「本日、これまで!」が流行しました。

 坂本九の口上人気にあやかって、「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」という挿入歌も作られました。その歌詞に「いざとなったら珠を出せ」というフレーズが出てきます。その後には「力のあふれる不思議な珠を」というフレーズが続くのですが、伏姫が生んだ八犬士は「仁」「義」「礼」「智」「忠」「信」「孝」「悌」の文字が浮き出て霊力を発揮する不思議な珠を持っています。その珠を出せば、たいていの危機は乗り越えられるのでした。f:id:shins2m:20220102003915j:plain
八つの玉に文字が浮かび上がる!



 わたしは、テレビを観るたびに、その八つの珠が欲しくて仕方がありませんでした。誕生日やクリスマスのプレゼントに「八犬伝の珠が欲しい!」と親にねだりましたが、もちろん、そんなもの、どこにも売っていません。大人になったら、なんとか、その珠を探して手に入れたいと心の底から願っていました。母が知り合いの洋裁店から透明な球形のボタンを買ってきてくれて、錐を使ってそれに八つの文字を彫り込んだこともあります。
左が数珠で、右がブレスレット



 ブログ「いざとなったら玉を出せ」で紹介したように、2010年2月、念願の「仁」「義」「礼」「智」「忠」「信」「孝」「悌」の文字が浮き出る八つの珠を復元・作成しました。玉には水晶を使い、ブレスレットと数珠を作りました。このブレスレットは、世界孔子協会の孔健会長をはじめ親しい方々にもお贈りし、大変喜んでいただきました。同時に、解説書としてブックレット『仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌』を本名で書いた次第です。
「仁義礼智忠信孝悌」を重んじた生前の父と



 今年の9月20日に満88歳で亡くなった父も「仁義礼智忠信孝悌」を重んじる人でした。ブログ「父の日」で紹介した今年の6月16日、父は病床で『南総里見八犬伝』の話をしてくれました。房総半島の出身である父は「八犬伝」の世界に幼少の頃から親しんでいたのですが、「仁義礼智忠信孝悌のある会社にしたいと願って、サンレーを創業した」と熱く語っていました。それを聴きながら、わたしは「すごいなあ!」と感心してしまいました。
 
 映画「八犬伝」のラストは、死にゆく馬琴を八犬士たちが彼岸へと導く感動的なシーンが描かれます。いわゆる「お迎え現象」です。終末期の患者などが自らの死に臨み、すでに亡くなった存在(家族、知人など)やその他の事象(天国、天使、美しい旋律など)といった、通常では見たり体験することのできない事物を感知する経験のことですが、じつは父が亡くなる前日に「お迎え現象」と思われる出来事がありました。亡くなる前の夜、それまで意識のなかった父が突然目を開いて、天井の四方に向かって笑顔で手を振ったのです。きっと、亡くなった父の両親(わたしの祖父母)や父の兄弟たち、それに憧れてやまなかった聖徳太子や天寿国(聖徳太子が死後に向かった浄土)などを見ていたのかもしれません。
 
 映画「八犬伝」は父子の孝養の物語でもあります。「正しい者が勝ち、悪は罰せられる。そういう想いで戯作を書いているんだ」という馬琴(役所広司)には、宗伯(磯村勇斗)という息子がいます。儒教的価値観に生きた馬琴は宗伯に厳しく接し続けますが、宗伯は身体を壊してしまい、早逝します。息子の死を悼む馬琴の妻・お百(寺島しのぶ)は、「馬琴が宗伯を廃人にした」「馬琴は息子を躾け殺した」と責め立てます。わたしの父もいわゆる「厳父」でしたが、その背景にはわたしへの愛情や期待があったと今しみじみと感じています。宗伯が馬琴に「躾け殺された」なら、わたしは父に「躾け生かされた」と思います。
鎌田東二先生と病床の父を囲んで



 来月刊行予定の一条本最新刊である『心ゆたかな言葉』(オリーブの木)に「礼の言霊」と題する序文を寄せて下さった京都大学名誉教授で宗教哲学者の鎌田東二先生は、父とわたしの関係について、「この父子関係を私はそばで見ていて、常々、『最強の父子関係』だと思ってきた。子が父を敬愛の眼で見上げ、父は子を慈愛と厳格さをもって対処する。父は子のまなざしによっておのれをさらに磨き上げ、子は父の言葉と行動でみずからを研磨しつづけ、今日に至った。その60年余におよぶ父子関係の二人三脚は、かけがえのないものであり、ちょっと近年類例のないほどの孝養教化の手本ともいえるものだ」と書いて下さいました。鎌田先生には、通夜・葬儀だけでなく火葬場までご同行いただき、遺族と共に父の骨を拾って下さいました。言葉では表現できないほど、深く感謝しております。
入院中の父と付き添う妻



 わたしは生前の父にあまり面と向かって褒められたことはありませんでしたが、亡くなる少し前に「お前は偉いぞ」と言われたことがあります。それは、「良いお嫁さんに来てもらって偉い」という意味でした。じつは、わたしの妻は介護・看護・看取りと、晩年の父を献身的にケアし続けてくれたのです。父は亡くなる直前まで入院せずに自宅療養を続けたので、ケアする妻は大変でした。自身も過労で倒れながらも、最後まで責任を持って、慈愛の心で父に接してくれました。父も、妻にはいつも感謝し、妻を実の娘のように大切に思ってくれました。映画「八犬伝」では、晩年に失明した馬琴を宗伯の未亡人であるお路(黒木華)が口述筆記で助けるシーンがありました。このお路の馬琴への献身ぶりを見て、わたしは父と妻のことを思い出して、涙が止まらなくなりました。
 
 お路は無学でほとんど漢字を知りませんでしたが、血の滲む努力によって口述筆記をき続け、28年の歳月を費やし106冊という超大作をついに完成させます。これは「日本文学史上最大の奇跡」として今なお語り継がれています。宗伯は亡くなるときに「何の孝行もできないまま先立つこと、申し訳ございません」と言いましたが、彼の死後、その妻は見事に父を助けたわけです。きっと、馬琴は亡き宗伯に対して、「こんな素晴らしい女性と結婚したお前は偉いぞ。立派な孝行息子じゃ」と思ったのではないでしょうか。いや、きっと、そうだと思います。
妻が幼稚園時代に描いた「新・八犬伝」の図
妻が小学2年生のときに描いた犬江新兵衛



 その妻ですが、彼女もNHK人形劇「新・八犬伝」の大ファンだったそうです。最近、嫁入りのときに持参したスケッチブックを見せてくれたのですが、そこには妻が幼稚園から小学2年生にかけて描いたという「新・八犬伝」のイメージ図、八犬士の1人である犬江新兵衛や伏姫&八房や玉梓の絵などが描かれていました。それを見て、わたしと妻も不思議な因果の糸で結ばれているように感じました。
妻が小学2年生のときに描いた伏姫と八房
妻が小学2年生のときに描いた玉梓



 それと同時に、「八犬伝」が、伏姫(土屋太鳳)、玉梓(栗山千明)、お百、お路、浜路(河合優美)といった女性たちの物語でもあることに気づきました。この映画を観て、子どもの頃には抱かなかった玉梓への同情心を感じました。思えば、玉梓はあのように生きるしかなかったわけであり、その心を弄ぶような言動をした里見義実(小木茂光)の罪は重いと思いました。なんだか、伏姫はオーロラ姫で、玉梓はマレフィセントのような存在に思えてきました。いつの日か、ディズニー映画の「マレフィセント」(2014年)のような「玉梓」の物語が映画化されるのも面白いのではないでしょうか?