No.1172
12月4日、出版打ち合わせと財団の会議の間の時間を使って、イギリス映画「ハード・トゥルース 母の日に願うこと」をシネスイッチ銀座で観ました。世界中の映画祭で話題になっているということで鑑賞を決めましたが、どうしようもなく重く、暗い気分になる作品でした。
ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「『秘密と嘘』などのマイク・リー監督が、いつも何かにいら立っている黒人の中年女性が胸の奥に隠し持つ複雑な感情を描いたヒューマンドラマ。イギリスのロンドンで夫と息子と暮らす黒人女性が妹と共に母の墓参りへ行ったことをきっかけに、自らの内面と向き合う。主人公の中年女性を演じるのは、リー監督作『秘密と嘘』のマリアンヌ・ジャン=バプティスト。主人公の妹に同監督作『家族の庭』のミシェル・オースティンがふんする」
ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「ロンドンで夫のカートリーと20代の息子モーゼスと暮らすパンジー(マリアンヌ・ジャン=バプティスト)は、いつも何かに対して怒っていた。美容師の妹シャンテル(ミシェル・オースティン)は陽気な性格で、シングルマザーとして二人の娘を育てていたが、パンジーはシャンテルに誘われて母パールの墓参りに行ったことをきっかけに、怒りの奥に潜む家族への複雑な感情や孤独に気づく」
マイク・リー監督の代表作の1つに「秘密と嘘」(1996年)があります。その年のカンヌ国際映画祭のパルムドール大賞を受賞したヒューマン・ドラマです。教養もなくひたすら陽気なだけが取り柄のような中年女シンシア(ブレンダ・ブレッシュ)には、どこか暗い陰りがありました。私生児の娘ロクサンヌ(クレア・ラッシュブルック)と二人暮らしの彼女は、若い時分のふしだらさを年頃の娘に非難されてばかりいたのです。子供のいない写真館を営む弟のモーリス(ティモシー・スポール)は姪っこ可愛さに、姉を経済的に援助しています。人生の成功者である彼も、浪費家の妻と共にどこか救われない悲しさを抱えているのでした。
同じくマイク・リー監督の「家族の庭」(2011年)も、心揺さぶられるヒューマンドラマです。揺るぎない信頼関係で結ばれている一組の夫婦と、彼らのもとに集まる人々の喜怒哀楽を描きます。地質学者のトム(ジム・ブロードベント)と、医学カウンセラーのジェリー(ルース・シーン)は誰もがうらやむおしどり夫婦です。彼らは30歳になる孝行息子(オリヴァー・モルトマン)にも恵まれ、私生活は非常に充実していました。ある晩、ジェリーは同僚メアリー( レスリー・マンヴィル)を夕食に招待しますが、彼女は酔ってしまい自分には男運がないと愚痴っているのでした。
映画「ハード・トゥルース 母の日に願うこと」は、「秘密と嘘」や「家族の庭」にも一貫して流れる家族という不可解なものの本質を問う作品です。主人公パンジー(マリアンヌ・ジャン=バプティスト)は、いつも何かに怒っていて、周囲に当たり散らしています。家庭内で、家具店で、診療所で、歯科医院で、そしてスーパーマーケットで、目の前にいる人間を罵倒し、怒りをぶつまけることによってさらにイライラするという究極の悪循環。わたしはイライラしている人間を見ると自分もイライラする性分なので、この映画の97分間という上映時間は辛かったです。社会派のマイク・リー監督はタイトル通りに「厳しい現実」を徹底して描いており、一切のドラマ性を排除しています。そこには感動もカタルシスも皆無です。これは、観客には辛いですね。
近くにこんなオバサンがいたら絶対に近づきたくありませんが、逃げ場のない家族はたまりません。初老の夫も、ニートの息子も、パンジーの凄まじい毒舌ぶりに何も言えませんし、言いません。パンジーは非常に潔癖症で、部屋もキッチンもとても綺麗に片付いています。家の中は靴を脱がないと怒られます。動物も虫も植物も嫌いで、他人から好かれる要素がまったくありません。おそらく彼女は心を病んでいるのだと思います。精神科医に行ってカウンセリングを受けるべきなのでしょうが、きっと、カウンセリング中も担当医に罵詈雑言を浴びせる姿が目に浮かびます。
『コンパッション!』(オリーブの木)
結局、パンジーには他者への共感というものが決定的に欠如しています。他者への共感は「コンパッション」に通じます。直訳すれば「思いやり」ということになるでしょうが、「コンパッション」という言葉が内包している大きさは、キリスト教の「隣人愛」、儒教の「仁」、仏教の「慈悲」など、人類がこれまで心の支えにしてきた思想にも通じる大きなものです。パンジー自身にはコンパッションの欠片もないのですが、じつはパンジーは周囲の人々からのコンパッションを与えられています。問題だらけの彼女を見捨てない夫や息子もそうですし、つねに姉のことを気にかける妹シャンテル(ミシェル・オースティン)などはパンジーに対して「理解できないけど、愛している」と言います。これは究極のコンパッションであると思いました。
『ウェルビーイング?』(オリーブの木)
そのシャンテルはパンジーを母の墓参りに誘います。渋々ついてきたパンジーは、そこでも死者を罵倒するという暴挙に出るのですが、その後で極度に落ち込んでしまいます。妹が「そんなこと言ってはだめ。故人には敬意を払ってよ!」と姉をたしなめますが、その通りです。墓参りというのは死者の魂の平安を願う場でもありますが、じつは生者が心を平安にできる場でもあるのです。昨年わたしの父が亡くなり、今年、わたしは墓を建立しました。父を亡くした喪失感はありますが、一方で最大の務めを果たしたという満足感もありました。葬儀にはじまる一連の死者儀礼を無事に終えて、わたしは大きな安心感に包まれました。それは幸福感といってもよいものでした。そう、「死者へのコンパッションは生者のウェルビーイングとなる」のです。
「サンデー毎日」2016年5月22日号
墓場に来てまで死者に毒づくパンジーは永遠に怒りの無間地獄から抜け出ることができない。それこそがハード・トゥルース、すなわち「厳しい現実」なのだと思いました。パンジーが幸福になれない最大の理由も、墓参りのシーンで判明しました。それは、自分を生んだ母親を否定し、恨んでいることです。母親を否定することは、自己否定の最たるものだと言えるでしょう。この映画には「母の日」が重要な役割を果たします。ヒトの赤ちゃんというのは自然界で最も弱い存在です。すべてを母親がケアしてあげなければ死んでしまう。2年間もの世話を必要とするほどの生命力の弱い生き物は他に見当たりません。そのぶん、ヒトの母親は子どもを死なせないように必死になって育てます。
出産のとき、ほとんどの母親は「自分の命と引きかえにしてでも、この子を無事に産んでやりたい」と思うもの。実際、母親の命と引きかえに多くの新しい命が生まれました。また、産後の肥立ちが悪くて命を落とした母親も数えきれません。まさに、母親とは命がけで自分を産み、無条件の愛で育ててくれた人です。そんな母親を憎み続けるパンジーは、「そもそも、自分は生まれない方がよかったでは?」という疑問が湧き、一種の実存的不安にとらわれたのではないでしょうか。この苦痛にも似た映画鑑賞の後、わたしはそのように感じました。それにしても、こんな救いのないホームドラマは初めて観たように思います。とても疲れました。


