No.1173


 12月4日の夜、わが社のシネマネジメントの一環で、 サンレー北陸の幹部社員たちと日本映画「ナイトフラワー」を観ました。いやあ、凄い映画でした! 同作で、報知映画賞では北川景子が主演女優賞、森田望智が助演女優賞に輝いています。ちなみに、報知映画賞の主演男優賞は一条真也の映画館「国宝」で紹介した大ヒット作の吉沢亮、助演男優賞は一条真也の映画館「爆弾」で紹介した大傑作の佐藤二朗ですから、日本映画史上に残る最高の豊作年での「ナイトフラワー」の二冠は快挙です!

 ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「『ミッドナイトスワン』などの内田英治がメガホンを取ったヒューマンサスペンス。二人の子供を抱えながら困窮した生活を送る母親が、ドラッグの売人になることを決意する。主人公を『スマホを落としただけなのに』シリーズなどの北川景子、ボディーガードとして彼女を支える格闘家を『シティーハンター』などの森田望智が演じ、内田監督作『マッチング』などの佐久間大介、ロックバンド『SUPER BEAVER』の渋谷龍太のほか、渋川清彦、池内博之、田中麗奈、光石研らが共演する」
 
「借金取りから逃れ、二人の子供たちと共に東京へやって来た永島夏希(北川景子)。休みなく働きながらも困窮した生活を送る中でドラッグの密売現場に出くわし、稼ぎを増やすためにドラッグの売人になろうとする。そんな彼女の前に孤独な格闘家・芳井多摩恵(森田望智)が現れ、夜の街のルールを知らない夏希を見かねてボディーガードになることを申し出る。二人で手を組み、ドラッグの密売で稼いでいくが、ある出来事をきっかけに彼女たちの運命が狂いだす」
 
 この日、「ナイトフラワー」を観て、わたしは大変驚きました。というのも、一条真也の映画館「ハード・トゥルース 母の日に願うこと」で紹介したイギリス映画と非常によく似ていたからです。同作はマイク・リー監督が、いつも何かにいら立っている黒人の中年女性が胸の奥に隠し持つ複雑な感情を描いたヒューマンドラマです。イギリスのロンドンで夫と息子と暮らす黒人女性が妹と共に母の墓参りへ行ったことをきっかけに、自らの内面と向き合う物語です。似ているといっても両作品の内容が似ているわけではありません。そうではなく、感動もカタルシスも観客に与えない救いのない物語、それから「家族とは何か?」という問いを突き付けている点です。
 
 映画「ナイトフラワー」映画は、北川景子が演じる主人公・夏希が見せる生きる決意や母としての深い愛情の描写が、人間が本来もつ強い生命力を感じさせてくれます。 苦しみや喪失、絶望が容赦なく押し寄せる世界だからこそ、日々のささやかな「生」や、家族と過ごすひとときの温かさが際立つのでしょう。この作品には世の中の縮図としての貧困社会が描かれていますが、「今だけ、金だけ、自分だけ」の、目先のことだけしか見ない思考では不幸せであり、どこまでいっても不幸のループに嵌ってしまうことを示唆しています。
 
 この日一緒に鑑賞した紫雲閣事業部の大谷賢博部長(上級グリーフケア士)が是枝裕和監督の「誰も知らない」(2004年)を連想したと言っていましたが、わたしも同じです。同作は、1988年に発生した巣鴨子供置き去り事件を題材として、是枝監督が15年の構想の末に映像化した作品です。母の失踪後、過酷な状況の中で幼い弟妹の面倒を見る長男の姿を通じ、家族や周辺の社会のあり方を問いかけました。この映画のキャッチコピーは「生きているのは、おとなだけですか。」でした。もし大人が追い詰められ、希望を手放してしまったとき、その影響は本人にとどまらず、「誰も知らない」のように支援の届かない子どもたちを生み出してしまう可能性があります。諦めた大人を描いた「誰も知らない」に対して、諦めない大人を描いた「ナイトフラワー」はそのアンサームービーのようでした。
 
 また、わたしと大谷部長の2人はもう1本の是枝作品も連想しました。一条真也の映画館「万引き家族」で紹介した2018年のカンヌ国際映画祭パルムドール(最高賞)受賞映画です。治(リリー・フランキー)と息子の祥太(城桧吏)は万引きを終えた帰り道で、寒さに震えるじゅり(佐々木みゆ)を見掛け家に連れて帰ります。見ず知らずの子供と帰ってきた夫に困惑する信代(安藤サクラ)は、傷だらけの彼女を見て世話をすることにします。信代の妹の亜紀(松岡茉優)を含めた一家は、初枝(樹木希林)の年金を頼りに生活していました。この映画、わたしはまったく評価していないのですが、「ナイトフラワー」を観て連想したのです。社会への希望は諦めているものの、人としての温かさや見捨てられそうな子どもを守ろうとした大人。血縁ではなく「悲縁」で結ばれた夏希(北川景子)と多摩恵(森田望智)の2人が子どもを命がけで守ろうとする姿は「万引き家族」と共通しています。

 北川景子がその美貌をかなぐり捨てて挑んだ汚れ役は圧巻でした。月並みな言い方になってしまいますが、「女優魂」を感じました。この作品で何度か彼女が泣くシーンがあるのですが、その全場面で貰い泣きしてしまいました。彼女が演じる夏希は最初、水商売のホステスもしていました。子どもを抱えて生活費を稼ぐ必要があるシングルマザーが必ず通る道です。わたしも、これまで40年もの間、数えきれないほどクラブやラウンジやスナックで夏希のような女性に出会ってきました。言い寄ってくる客と深い仲になって金銭的援助を受ける人もいるのでしょうが、夏希はけっしてそれだけは拒んだことが窺えます。それは別れたダメ夫への未練もあるのでしょうが、彼氏ができたら子どもが不幸になるという「誰も知らない」の逆の生き方を選んだように思えます。

 森田望智が演じた女子格闘家・多摩恵はとても印象深いキャラクターでした。劇中、何度も総合格闘技の試合のシーンが登場しますが、超弩級の迫力で、わたしのような三度の飯より格闘技が好きな者にも「これはガチでやっているのでは?」と思わせるほどでした。森田望智という女優は初めて知りましたが、その演技力は非凡であり、報知映画賞の助演女優賞受賞も納得できます。大谷部長は、夏希と多摩恵の出会いと互いを支え合う関係性から、グリーフケアで大切にされる「そばにいること」「寄り添うこと」の意味を強く思い起こさせられたそうです。苦しみを独りで抱え込むのではなく、その重さを誰かと分かち合うことが、生き続けるための希望や次の一歩を支えてくれるのだと気づかされます。

 夏希は絶体絶命の苦境にあっても子どもたちには徹底的に優しく接します。一度だけ無理を言い続ける息子に怒声を浴びせたことがありましたが、すぐに泣いて抱きしめ、「ごめんね、八つ当たりしちゃったね」と謝ります。でも、わたしは夏希の優しさは甘やかしでもあると思いました。息子は我慢することを知らない子ですが、それが仇となって保育園の園児に取返しのつかない怪我をさせてしまいます。これは夏希が躾というものをまったく行わず、息子を叱ってこなかったツケだと思いました。日々の生活に追われる彼女は、集団の中で我慢することの大切さや強調性といった生きる上で必要なスキルをわが子に教えませんでした。それは、親としての義務を怠ってしまったことにほかなりません。

 夏希が息子を叱らない姿を見て、わたしは最近の中国人観光客のことを思いました。彼らの子どもは非常に行儀が悪く、ホテルのビュッフェ会場でも、新幹線の通路でもよく走り回ったりしているのですが、親はまったく注意しません。日本人なら有り得ない状況を理解するために、わたしは「1人っ子政策ゆえに子どもを甘やかす国民なのかな」などと考えていました。でも、優しい夏希は結局、子どもたちを不幸にしてしまいます。子どもたちの幸せのために、夏希は違法薬物の販売に手を染めますが、それは外道の行いです。この映画の救いようのないラストシーンは、諦めない大人に対して、人の道を外れた方法で生きていたら守ろうとした子どもまでが命を落としてしまうという警鐘のような気がしました。最後に、子どもがお腹を空かせるシーンは観ていて辛かったです。亡父の遺産の一部を全国の「子ども食堂」などに寄付する準備を進めているのですが、その決意を新たにしました。