No.1076
6月8日の日曜日、日本映画「国宝」をシネプレックス小倉で観ました。劇場はほぼ満員で驚きましたが、ほとんどは高齢者でしたね。シニア料金率が高かったのではないでしょうか。175分の上映時間でしたが、時間を忘れる面白さ。吉沢亮と横浜流星の演技力が圧倒的で、その競演に魅了されました。今年の一条賞の有力候補作品であります!
ヤフーの「解説」には、「芥川賞作家・吉田修一が歌舞伎の世界を舞台に書き上げた小説を映画化。任侠の家に生まれるも、数奇な運命によって歌舞伎界に飛び込んだ男が芸に身をささげ、歌舞伎役者としての才能を開花させていく。監督は吉田原作による『悪人』『怒り』などの李相日、脚本は『八日目の蝉』などの奥寺佐渡子が担当。激動の人生を歩む主人公を『キングダム』シリーズなどの吉沢亮、彼の親友でライバルとなる歌舞伎界の御曹司を李監督作『流浪の月』などの横浜流星が演じる」とあります。
ヤフーの「あらすじ」は、「任侠の一門に生まれるも数奇な運命をたどり、歌舞伎役者の家に引き取られた喜久雄(吉沢亮)は、激動の日々を送る中で歌舞伎役者としての才能を開花させる。一方、彼が引き取られた家の息子・俊介(横浜流星)は名門の跡取りとして歌舞伎役者になることを運命づけられ、幼いころから芸の世界に生きていた。境遇も才能も対照的な二人は、ライバルとして互いに切磋琢磨し合いながら芸の道を究めていく」となっています。
原作の『国宝』は芸術選奨文部科学大臣賞、中央公論文芸賞をW受賞した、吉田修一の作家生活20周年の節目を飾る芸道小説の金字塔です。朝日文庫版のアマゾン「内容紹介」には、以下のように書かれています。 「1964年元旦、長崎は老舗料亭『花丸』――侠客たちの怒号と悲鳴が飛び交うなかで、この国の宝となる役者は生まれた。男の名は、立花喜久雄。任侠の一門に生まれながらも、この世ならざる美貌は人々を巻き込み、喜久雄の人生を思わぬ域にまで連れ出していく。舞台は長崎から大阪、そしてオリンピック後の東京へ。日本の成長と歩を合わせるように、技をみがき、道を究めようともがく男たち。血族との深い絆と軋み、スキャンダルと栄光、幾重もの信頼と裏切り。舞台、映画、テレビと芸能界の転換期を駆け抜け、数多の歓喜と絶望を享受しながら、その頂点に登りつめた先に、何が見えるのか? 朝日新聞連載時から大きな反響を呼んだ、著者渾身の大作」
「国宝」は歌舞伎の世界を描いた物語ですが、歌舞伎という日本文化がいかに優れたエンターテインメントであるかを見事に示していました。歌舞伎は、1603年(慶長8年)に京都の鴨川で出雲の阿国が始めた「かぶき踊り」に端を発すると言われています。以降、女歌舞伎、若衆歌舞伎、野郎歌舞伎へと進化し、江戸時代には芝居、踊り、音楽を組み合わせた総合芸術として定着しました。しかし、風紀の乱れを恐れた江戸幕府は、歌舞伎から女性を排除します。そのため、歌舞伎には女形が生まれ、排除された女性の芸能者たちは遊郭に流れます。ブログ「遊郭と任侠」で紹介した講話の世界そのもので、主人公の出自が任侠であった点も含めて、日本文化の表と裏が絶妙に描かれた作品であると言えるでしょう。
わたしは原作小説は読んでいませんが、映画「国宝」は芸道映画の大傑作だと思います。ここでのテーマは、ずばり「血か芸か」ということでしょう。歌舞伎は「血」を重んじる世界であり、歌舞伎役者の芸名の多くは、子孫によって代々受け継がれて現在に伝えられてきました。 そのような名前を「名跡(みょうせき)」とよび、その俳優の芸風や得意とした役なども、あわせて引き継がれてきたのです。名跡を継ぐことを「襲名(しゅうめい)」といい、その披露は興行における大きな節目となります。歌舞伎の襲名は、俳優がある節目を迎えた時に、それぞれの家において上位の名前を継いでいきます。現在でいえば、市川團十郎の場合は、新之助→海老蔵→團十郎となり、尾上菊五郎家では、丑之助→菊之助→菊五郎というように、段階的に襲名していきます。ほとんどの場合、襲名披露興行が行われ、先輩の俳優によって襲名が披露される「口上」の一幕が上演されます。映画「国宝」でも襲名興行での口上のシーンがありました。
『孔子とドラッカー 新装版』(三五館)
さて、襲名とは役者が先祖や父兄、師匠、その他の先人の名前を継ぐことをいいますが、江戸時代には俳優だけでなく商人や大きな農家などでも代々同じ名前を継いでいました。現在では、歌舞伎の他に能や狂言、文楽など、伝統的な芸能の世界で行われています。この「伝統」という考え方は、儒教における「孝」の思想に関わっています。わたしには『孔子とドラッカー 新装版』(三五館)という著書がありますが、孔子とドラッカーの2人は、「死」のとらえ方において共通していました。正確には「不死」のとらえ方といったほうがよいかもしれませんが。そして、そこには企業が存続していくための究極のマネジメント思想があるのではないかと思っています。
孔子が開いた儒教における「孝」は、「生命の連続」という観念を生み出しました。日本における儒教研究の第一人者である大阪大学名誉教授の加地伸行先生によれば、祖先崇拝とは、祖先の存在を確認することであり、祖先があるということは、祖先から自分に至るまで確実に生命が続いてきたことになります。また、自分という個体は死によってやむをえず消滅するけれども、もし子孫があれば、自分の生命は存続していくことになります。わたしたちは個体ではなく1つの生命として、過去も現在も未来も、一緒に生きるわけです。つまり、「孝」があれば、人は死ななくなるのです。「遺体」という言葉の元来の意味は、死んだ体ではなく、文字通り「遺した体」という意味です。つまり本当の遺体とは、自分がこの世に残していった身体、すなわち子です。親から子へ、先祖から子孫へ、「孝」というコンセプトは、DNAにも通じる壮大な生命の連続ということになります。孔子はこれに気づいていました。
一方、経営学者のドラッカーは、著書『企業とは何か』(ダイヤモンド社)において、組織の「生命の連続」について論じました。世界中のエクセレント・カンパニーやビジョナリー・カンパニーというものには、いずれも創業者の精神が生きています。重要なことは、会社とは血液で継承するものではなく、思想で継承すべきものであるということ。創業者の精神や考え方をよく学んで理解すれば、血のつながりなどなくても後継者になりえます。むしろ創業者の思想を身にしみて理解し、指導者としての能力を持った人間が後継者となったとき、その会社も関係者も最もよい状況を迎えられるのではないでしょうか。逆に言えば、超一流企業とは創業者の思想をいまも培養して保存に成功しているからこそ、繁栄し続け、名声を得ているのかもしれません。そのことを宗教哲学者の故鎌田東二先生に申し上げたとき、先生は「血液と思想の両方が揃ったとき、最強の後継者が生まれます」と喝破されました。
もちろん、会社や組織の発展には、「継承」とともに「革新」というものが求めらるのですが。いずれにせよ、孝も会社も、人間が本当の意味で死なないために、その心を残す器として発明されたものではなかったでしょうか。陽明学者の安岡正篤は、「孝」とは連続や統一を意味すると述べています。「老」すなわち先輩・年長者と、「子」すなわち後進の若い者とが断絶することなく、連続して1つに結ぶのです。そこから「孝」という字ができ上がりました。つまり、「孝」=「老」+「子」ということになります。そうして先輩・年長者の一番代表的なものは親ですから、親子の連続・統一を表わすことに主に用いられるようになったわけです。映画「国宝」には、この「孝」の問題が切実に描かれていると思いました。
原作小説の『国宝』を書いた吉田修一は、黒衣として3年間歌舞伎の世界に身を置き、その体験をもとに執筆したそうです。映画化した李相日監督は、本作の制作までに6年の"覚悟"を要したといいます。公開初日を迎えたとき、李監督は「感無量でコメントが出てこない」と万感の表情になりました。「こんな話せずに早く見てほしい」と話す横浜に、李監督も「まっさらな気持ちで見てほしい、一刻も早く見てほしい」と語りました。この映画、吉沢亮と横浜流星の他にも、渡辺謙、田中泯、永瀬正敏、寺島しのぶ、高畑充希、森七菜、見上愛、黒川想矢、越山敬達、永瀬正敏、宮澤エマといった錚々たる役者が出演しています。特に、大物歌舞伎役者を演じた渡辺謙と田中泯が良かったですね。田中泯の女形なんて観れると思いませんでしたが、これがまたド迫力で、ものすごい存在感でした。
主演の吉沢亮が本当に美しく、素晴らしかったです。彼を最初にスクリーンで観たのは一条真也の映画館「キングダム」で紹介した2019年の超大作日本映画でしたが、そのときから「綺麗な顔をしているなあ」と思っていました。映画評論家の岡本敦史氏は、「リアルサウンド映画部」の記事で、「現役の若手俳優が、のちに『国宝』と呼ばれるようになる歌舞伎の名優を演じるプレッシャーたるや、いかばかりのものだったか。しかも、侠客の一門に生まれながら、上方歌舞伎の名門に身を投じ、やがて名跡を継ぐまでの看板役者に成長する男のあまりに数奇な人生を、たった3時間弱で描きだす映画のなかで」と吉沢亮の演技を絶賛していますが、わたしも同感です。少し前に、吉沢亮はマンションの隣室に間違えて入ってしまうというトラブルを起こしましたが、原因は「国宝」での演技に思いつめた末に泥酔したからではないでしょうか。いずれにせよ、大問題にならずに映画も無事に公開されて良かったです。
横浜流星も良かったです。もともと彼はストイックな俳優といった印象ですが、本作ではけっこう羽目を外す梨園のプリンスを演じていました。岡本敦史氏は「観客にとって『国宝』という作品は、『役者とは何か、どんな生きものなのか』を知るための最上の教科書とも言える。ただし、1960年代から始まる物語が描くのは、ひと昔前の『芸道』でもある。モラルや常識を身につけるよりも、芸を体に染み込ませるほうが優先される、江戸時代から地続きの世界だ。人の道を外れた行為も『芸の肥やし』とするような業深い生きざまには、コンプラ重視の現代では眉をひそめるような場面も多々あるだろう。いまの梨園でここまで激しい生き方を実践する者も少数派かもしれない。だが、時代や文化のありようを語り継ぐドラマとして、重要な描写であることは間違いない」と書いています。横浜流星は、そんな「役者という生きもの」をこれ以上ないほど見事に演じ切りました。
史上最年少の人間国宝・十四代今泉今右衛門氏と
最後に、原作小説や映画のタイトルにもなった「国宝」について。これは、もちろん「人間国宝」のことです。生身の人間が国宝になるなんて「現人神」のように凄いことだと思います。さまざまな芸術ジャンルで人間国宝を目指すアーティストは多いでしょうが、これまで認定された人間国宝の延べ人数は383名(実人員380名)だそうで、非常に狭き門ですね。映画「国宝」のラスト近くでは、人間国宝となった主人公がマスコミから取材を受け、「異例の早さで人間国宝となられた今のお気持ちは?」とインタビュアーに質問され、「感謝しかありません」と答えるシーンがあります。でも、異例の早さといっても、彼の年齢は70は超えているように見えます。本当に異例の早さで人間国宝になった方こそ、ブログ「人間国宝を囲む会in松柏園」で紹介した陶芸家の十四代今泉今右衛門氏です。わたしと同い年なのですが、2014年にわずか51歳の若さで重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されました。じつは、今度、対談本を出す企画があります。工芸文化と冠婚葬祭文化...「うつわ」と「かたち」をテーマに文化の本質について大いに語り合いたいです!