No.1077
梅雨に入って雨が降り続く6月10日、イギリス・フランス映画「We Live in Time この時を生きて」を小倉コロナシネマワールドで観ました。明らかにグリーフケアに関する内容だったので鑑賞したのですが、死別の悲嘆というより、死の不安を乗り越える物語でしたね。ちょっと時系列がバラバラで混乱しましたが、「愛」と「死」を描いた名作でした。本作は、今年観た90本目の映画です。
ヤフーの「解説」には、「思いがけない出会いを果たし、恋に落ちた男女を描くヒューマンドラマ。一流のシェフである女性と、離婚の悲しみに暮れていた男性が出会い、共に暮らし始めて娘が誕生する。メガホンを取るのは『ザ・ゴールドフィンチ』などのジョン・クローリー。『サンダーボルツ*』などのフローレンス・ピュー、『アメイジング・スパイダーマン』シリーズなどのアンドリュー・ガーフィールドらがキャストに名を連ねる」とあります。
ヤフーの「あらすじ」は、「新進の料理人アルムート(フローレンス・ピュー)と、離婚して失意の底にいたトビアス(アンドリュー・ガーフィールド)が出会い恋に落ちる。型破りな性格のアルムートと慎重派のトビアスは危機を何度も乗り越えて一緒に暮らし始め、やがて二人の間に娘が誕生する。そんな折、アルムートの余命がわずかだと知った彼らはある選択をする」となっています。
本作は、よくある家族難病映画ですが、夫婦となるアルムートとトビアスの出会いと、二人の間に娘が誕生する際のシチュエーションが奇想天外なため、ドラマティックな構成になっています。がんに冒されたアルムートを見守るトビアスの心境は、昨年9月に父を、今年5月に"魂の義兄弟"である鎌田東二先生を共にがんで亡くしたばかりのわたしには、痛いほど身に染みました。しかも、若くて才能があり、しかも幼い一人娘と一緒に遺されるトラビスの心中を思うと、たまりません。
そして、死にゆく妻を見守る夫も辛いですが、最も辛いのは当人のアルムート。医師からはさまざまな治療を薦められますが、アルムートは「ただ治療するだけで貴重な時間を費やしたくない」「髪を失い、吐くだけの存在で終わりたくない」「娘に病気で死んだママと思われるだけでは嫌」などと訴え、ある挑戦をすることを決意します。このへんは各人の死生観に関わることなので、万人に共通するものではないでしょうが、命が尽きる日まで挑戦し続けるアルムートの姿は父や鎌田先生の姿に重なりました。
『死を乗り越える名言ガイド』(現代書林)
それにしても、死を直視して逃げようとしないアルムートの生き様を見て、わたしは拙著『死を乗り越える名言ガイド』(現代書林)で紹介した17世紀のフランスのモラリスト文学者ラ・ロシュフーコーの言葉を思い出しました。彼が書いた『箴言集』に登場する「太陽と死は直視できない」という言葉です。この言葉ほど、わたしの想像力を刺激したものはありません。この言葉を最初に知ったときから、わたしは「死」というものについて考え続けました。たしかに、太陽と死は直接見ることができません。でも、間接的になら見ることはできます。そう、太陽はサングラスをかければ見れます。そして、死にもサングラスのような存在があるのです。それを「愛」と呼びます。
「リビング北九州」2014年1月25日号
「愛」と「死」は、文学における二大テーマであると言ってもよいでしょう。偉大な文学作品は、必ず「愛」と「死」の両方を描いています。なぜか。「愛」はもちろん人間にとって最も価値のあるものです。ただ「愛」をただ「愛」として語り、描くだけではその本来の姿は決して見えてきません。そこに登場するのが、人類最大のテーマである「死」です。「死」の存在があってはじめて、「愛」はその輪郭を明らかにし、強い輝きを放つのではないでしょうか。「死」があってこそ、「愛」が光るのです。そこに感動が生まれるのです。逆に、「愛」の存在があって、はじめて人間は自らの「死」を直視できるとも言えます。
「死」という直視できないものを見るためのサングラスこそ「愛」ではないでしょうか。誰だって死ぬのは怖いし、自分の死をストレートに考えることは困難です。しかし、愛する恋人、愛する妻や夫、愛するわが子、愛するわが孫の存在があったとしたらどうでしょうか。人は心から愛するものがあってはじめて、自らの死を乗り越え、永遠の時間の中で生きられるように思います。「We Live in Time この時を生きて」のアルムートも、愛する夫、そして娘の存在があったからこそ、死を乗り越えるサングラスをかけることができたのだと思います。
「We Live in Time この時を生きて」は、アルムートのいないで世界で、遺された夫と娘が料理を作っているラストシーンで終わります。これを見て、わたしは一条真也の映画館「はなちゃんのみそ汁」で紹介した2015年の日本映画を思い出しました。日本中が涙したベストセラー・エッセイが原作です。25歳という若さで乳がんと診断された安武千恵(広末涼子)は苦しい治療を乗り越え結婚、そして奇跡的に授かった娘はなのためにも元気に生きたいと願いますが、ほどなくしてがんが再発。生き続けたいと願う一方、もし自分が死んでも娘が困らないように「自分で生きる力を遺したい」と、4歳になった娘にみそ汁作りを教え始める。その5か月後、幼い娘と夫(滝藤賢一)を残して千恵は亡くなるのでした。そういえば、この映画、亡くなった鎌田先生の大のお気に入りでした。(涙)
「はなちゃんのみそ汁」は、がんに侵され余命わずかな母親が幼い娘にみそ汁作りを通して愛情と生きる力を伝える物語です。がん闘病に焦点を絞るのではなく、病と向き合う家族がそれぞれの生き方や家族のあり方を見つめながら、成長していくさまを描いており、「We Live in Time この時を生きて」と共通する部分が多いと感じました。その「We Live in Time この時を生きて」ですが、とにかく時系列がわかりにくくて、観ていて混乱してしまいます。その点が非常に残念でした。あと、最近のヨーロッパ映画で定番となりつつあるLGBTQの問題を絡ませてくる点にも疑問を感じました。あまりにも唐突で、物語の中で必然性を感じなかったからです。どうして、何でもかんでも同性愛を入れ込もうとするのでしょうか? 普通の男女間の愛情を描くだけではダメなのですかね?