No.1078


 6月10日、一条真也の映画館「We Live in Time この時を生きて」で紹介したグリーフケア映画を観た後、シネプレックス小倉で日本映画「見える子ちゃん」を観ました。コメディータッチの作品が嫌いなので観る予定のなかった作品ですが、ある映画ジャーナリストの方から「ホラー映画を観るプロとしての意見を聞きたい」と言われ、鑑賞。想定外の大傑作でした。この作品、終盤で2回のサプライズがあります。1回目はホラー映画にはよくある設定ですが、2回目はわたしも驚かされました。すごく面白かったです!
 
 ヤフーの「解説」には、「泉朝樹のコミック『見える子ちゃん』を実写化したホラーコメディー。突如、霊が見えるようになった高校生が、霊に危害を加えられるのを避けるため、彼らのことが見えていない振りをしながら日常を送る。監督を務めるのは『残穢―住んではいけない部屋』などの中村義洋。『恋わずらいのエリー』などの原菜乃華、『顔だけじゃ好きになりません』などの久間田琳加のほか、なえなの、山下幸輝らが出演する」とあります。
 
 ヤフーの「あらすじ」は、「高校生の四谷みこ(原菜乃華)は、ある日突然、霊が見えるようになる。戸惑う彼女だったが、霊たちに見えていることを知られると何が起きるかわからないと考え、霊の存在を無視することに決める。次々と目に飛び込んでくる霊たちの恐ろしい姿に恐怖しながらも、見えていない振りをし続けるみこ。そんな日々を送る中、とある霊が親友に忍び寄る」です。
 
 原作は、泉朝樹による漫画『見える子ちゃん』です。2018年11月2日より『ComicWalker』(KADOKAWA)にて連載を開始し、2021年7月16日より『ComicWalker』内の新レーベル『WebComicアパンダ』に移籍して連載中。単行本は2019年4月22日より刊行されています。累計発行部数は2024年10月時点で300万部を突破しているそうです。2018年、泉朝樹が本作品をTwitterで発表したところ、6万回以上リツイートされ、18万以上のいいねを獲得するなど話題となり、同年11月2日よりComicWalkerで連載が開始されました。
 
 第1話投稿後、複数の出版社からオファーされ、泉は最初に声をかけ、熱意を強く感じたKADOKAWAで連載することにします。本作をオファーした理由について、担当編集者は女の子の可愛いらしさと化け物のおぞましさといった相反する絵柄を描き分けられる泉の画力の高さと話の広がりが期待出来る点を指し、1話完結のストーリーだが、縦筋といえるメインテーマを据えることで多数の人に読んで貰える作品になり得ると評しています。2021年10月から12月までテレビアニメが放送されました。
 
 そしてこのたび、実写映画は2025年6月6日に公開される運びとなったのです。公開後は、ネットなどで高評価を得ています。主人公の四谷みこを演じた原菜乃華をはじめ、百合川ハナを演じた久間田琳加、二暮堂ユリを演じたなえなの......みんなベリー・キュート! 特に、原菜乃華が本当に可愛かった! 彼女を最初にスクリーンで観たのは一条真也の映画館「罪の声」で紹介した2020年の日本映画の生島望役でしたが、まだ子役としてしか認識しませんでした。女優として意識したのは、一条真也の映画館「ミステリと言う勿れ」で紹介した2023年の日本映画の狩集汐路役でした。このときは、非常に存在感がありましたね。
 
「ミステリと言う勿れ」は、1人の大学生が難事件とともに人の心の闇を解き明かす、田村由美の漫画を原作にしたドラマ『ミステリと言う勿れ』の映画化作品です。美術展のために広島に来た大学生・久能整(菅田将暉)は、犬堂我路(永山瑛太)の知人だという女子高生・狩集汐路(原菜乃華)と出会い、ある相談を持ちかけられます。それは彼女の家系・狩集一族の遺産相続を巡るものでした。当主の孫にあたる汐路をはじめ4人の相続候補者たちは、遺産を手にするために遺言書に記された謎を解かなくてはなりませんが、狩集家では遺産相続のたびに死者が出ており、汐路の父親・弥(滝藤賢一)も8年前に交通事故で他界していました。ちなみに、「見える子ちゃん」でも、滝藤賢一と原菜乃華は父子役です。
 
 学園コメディの要素を持つ「見える子ちゃん」がホラー映画としてしっかり怖いのは、メガホンを取ったのが中村義洋監督だからだと思います。一条真也の映画館「残穢―住んではいけない部屋」で紹介した2016年の彼の監督作品は、日本のホラー映画史に残る傑作でした。ミステリ小説家である私(竹内結子)に、読者の女子大生・久保さん(橋本愛)から自分が住んでいる部屋で変な音がするという手紙が届く。早速二人で調べてみると、そのマンションに以前住んでいた人々が自殺や心中、殺人などの事件を起こしていたことが判明。久保さんの部屋で生じる音の正体、そして一連の事件の謎について調査していくうちに、予想だにしなかった事実がわかってしまいます。
 
 中村監督といえば、「ほんとにあった!呪いのビデオ」で知られます。1999年から続く日本のホラー・オリジナルビデオ・シリーズで、副題は「一般投稿により寄せられた戦慄の映像集」。通称は「ほん呪」。いわゆる「心霊現象」が発生していると思われる映像が一般から投稿されたとして、その内容を検証する形をとる、疑似ノンフィクションのオカルトホラー作品です。映像だけを収録するものもあれば投稿者へのインタビューを交えたものもあり、スタッフが現場に赴いて霊的現象を調査するドキュメンタリー的な内容も含まれています。中村監督はこの「ほん呪」の初期の構成・演出を手掛けましたが、そのテイストは「見える子ちゃん」の中にしっかりと反映されています。

唯葬論』(サンガ文庫)
 
 
 
 脚本もしっかり書かれていて、ホラー映画としても見応えがあった「見える子ちゃん」でしたが、疑問に思ったシーンが1つありました。それは、久間田琳加演じる百合川ハナの方に緑色の幽霊の手が乗っているのですが、その理由が「葬儀場に行ったから」だというのです。わたしは、これはおかしいと思いました。なぜなら、葬儀場に幽霊はいないからです。拙著『唯葬論』(三五館、サンガ文庫)の「幽霊論」にも書いたように、「葬儀」と「幽霊」は基本的に相容れません。葬儀とは故人の霊魂を成仏させるために行う儀式です。葬儀によって、故人は「死者」となるのです。幽霊は死者ではありません。死者になり損ねた境界的存在です。つまり、葬儀の失敗から幽霊は誕生するわけです。しかし最近では、「慰霊」「鎮魂」あるいは「グリーフケア」というコンセプトを前にして、怪談も幽霊も、さらには葬儀も、すべては生者と死者とのコミュニケーションの問題としてトータルに考えることができます。
 
 一条真也の映画館「君の忘れ方」で紹介した今年1月17日公開の日本映画を思い出しました。この映画の原案は、拙著『愛する人を亡くした人へ』(現代書林・PHP文庫)です。「君の忘れ方」には、岡田義徳が演じる池内武彦という中年男性が登場しますが、彼は亡くなった妻の葬儀をあげていません。そして、日常的に妻の姿を見ています。坂東龍汰演じる主人公の森下昴も、亡くなった婚約者の美紀(西野七瀬)の姿を見ます。でも、池内と昴の見ているものの正体は違います。池内の妻は幽霊ですが、昴が見る美紀は幻影です。というのも、池内は妻の葬儀をあげていませんが、美紀の葬儀はあげている(しかも、担当のフュネーラルディレクターの佐藤は小生が演じました)からです。葬儀をあげた故人は基本的に幽霊にはならないのです。

開運! パワースポット「神社」へ行こう
 
 
 
「見える子ちゃん」の葬儀場の捉え方には疑問が残りましたが、一方で神社の捉え方は素晴らしいと思いました。霊が取り憑いた人間を神社に連れてくると、幽霊は鳥居のところで引き離される(引き剥がされる)という設定なのですが、これは神社の本質を見事に描いています。また、七五三などを行って神事をした経験のある神ほど神様が守ってくれるというのも的確です。わが監修書である『開運! パワースポット「神社」へ行こう』(PHP文庫)にも書かれているように、神社とはパワースポットである、幽霊などの境界的存在は鳥居という結界の内に入ることができません。わたしは疲れたときなど、よく神社に行きます。伊勢神宮や出雲大社には心御柱がありますが、すべての神社は日本人の心の柱であると思います。「神社さえあれば日本人は大丈夫!」とさえ思えてきます。
 
「見える子ちゃん」の神社での悪霊とのバトル・シーンはなかなかの迫力でした。わたしは、9月19日公開の神道ホラー映画「男神」を連想しました。まだ未公開の映画なのになぜ知っているのかというと、わたしも出演しているからです。ブログ「映画『男神』に出演しました」で紹介したように、わたしは名古屋市商工会議所会頭の佐久間進一郎役で地鎮祭で玉串奉奠するシーンに出演しました。「男神」は、古代縄文ミステリーにして、ファンタジーホラーです。全国各地で母と子の失踪事件が相次ぐなか、ある日、新興住宅地の建設現場に正体不明の深い「穴」が発生します。時を同じくして、そこで働く和田の息子も忽然と姿を消してしまいます。その「穴」の先は不思議な森に繋がり、そこでは巫女たちが「男神」を鎮めるため異様な儀式を行っていたのでした。 最後に、「見える子ちゃん」を観て、わたしは「霊が見えることは良いことではないな」ということを痛感しました。気づかないフリをするのが一番といいますが、最初から見えないのが一番に決まっています。世の中には霊が見えることを売り物にする霊能者やスピリチュアルカウンセラーといった人々がいますが、本当に大切なのは、「霊能力」ではなくて、「礼能力」ではないでしょうか。これは、5月30日に帰幽された、わが魂の義兄弟である宗教哲学者の鎌田東二先生からヒントを得た言葉ですが、他者を大切に思える能力、つまり、仁や慈悲や愛の力のことです。結局、幸せな人生を送るための最大のカギこそ、わたしたちの礼能力ではないでしょうか。相手への「思いやり」の心くらい大切なものはありません。「見える子ちゃん」の舞台となった女子高で交わされる「おはよう!」とか「お疲れ!」といった挨拶が、また友人たちに対する思いやりが、彼女たちを幸せな人生に導いてくれます。