No.489


 日本映画「罪の声」を観ました。
 11日に行う上智大学グリーフケア研究所のオンライン講義で「グリーフケア映画」をテーマにするので、最新作を参考にしたいと思い、一条真也の映画館「おらおらでひとりいぐも」で紹介した映画に続いて鑑賞しました。グリーフは死別だけでなく、過去の人生のそこかしこに在ることを教えてくれる力作でした。上映時間は142分ですが、まったく飽きることなく物語に引き込まれました。最後は感動しました。

 ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「かつて日本を震撼させた事件をモチーフにした塩田武士の小説を映画化。昭和の未解決事件をめぐる二人の男の運命を映し出す。『ミュージアム』や『銀魂』シリーズなどの小栗旬と、『引っ越し大名!』などの星野源が主人公を演じる。星野が出演したドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』の演出と脚本を担当した土井裕泰と野木亜紀子が監督と脚本を務めた」

 ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「新聞記者の阿久津英士(小栗旬)は、昭和最大の未解決事件の真相を追う中で、犯行グループがなぜ脅迫テープに男児の声を吹き込んだのか気になっていた。一方、京都でテーラーを営む曽根俊也(星野源)が父の遺品の中から見つけたカセットテープには、小さいころの自分の声が録音されていた。その声は、かつて人々を恐怖のどん底に陥れた未解決事件で使用された脅迫テープと同じものだった」

 この物語に登場するギンガ・萬堂事件(通称、ギン萬事件)のモデルは、もちろんグリコ・森永事件です。原作は2016年度「週刊文春ミステリーベスト10」国内部門第1位に輝いたベストセラーで、第7回「山田風太郎賞」も受賞しています。原作者の塩田武士氏は大学時代にグリコ・森永事件の関係書籍を読み、脅迫電話に子どもの声が使われた事実を知って、自らと同年代のその子どもの人生に関心を抱いたといいます。そこからいつかこれを題材とした小説を執筆したいと考えました。新聞記者を経て2010年に小説家になった際に編集者に相談したところ、「今のあなたの筆力では、この物語は書けない」と言われ、さらに5年を待って執筆を開始したそうです。緻密な取材、検証が織り交ぜられ、圧倒的な説得力がありますが、執筆に際して、塩田氏は1984年から85年にかけての新聞にはすべて目を通したとか。

 そのグリコ・森永事件とは何か。1984年(昭和59年)と1985年(昭和60年)に、日本の阪神間(大阪府・兵庫県)を舞台に食品会社を標的とした一連の企業脅迫事件です。Wikipedia「グリコ・森永事件」の「概要」には、「1984年3月、江崎グリコ社長を誘拐して身代金を要求した事件を皮切りに、江崎グリコに対して脅迫や放火を起こす。その後、丸大食品、森永製菓、ハウス食品、不二家、駿河屋など食品企業を次々と脅迫。現金の引き渡しにおいては次々と指定場所を変えたが、犯人は一度も現金の引き渡し場所に現れなかった。犯人と思しき人物が何度か目撃されたが逃げられてしまったため、結局正体は分からなかった。その他、1984年5月と9月、1985年2月に小売店で青酸入り菓子を置き、日本全国を不安に陥れた。1984年4月12日に警察庁広域重要指定事件に指定された」とあります。

 続けて、Wikipedia「グリコ・森永事件」の「概要」には、「2000年(平成12年)2月13日に東京・愛知青酸入り菓子ばら撒き事件の殺人未遂罪が時効を迎え、すべての事件の公訴時効が成立。警察庁広域重要指定事件としては初めて犯人を検挙出来なかった未解決事件となった。2005年(平成17年)3月に除斥期間(民法第724条)が経過し、民法上の損害賠償請求権が消滅した。企業への脅迫状とは別に報道機関や週刊誌などに挑戦状を送りつけ、毒入り菓子をばらまいて社会一般を騒ぎに巻き込んだことで、評論家の赤塚行雄から劇場型犯罪と名付けられた。同時期にこの事件と並行して話題となっていた三浦和義のロス疑惑とともに当時の世相として振り返られることも多い」と書かれています。

 これまで、わたしは、グリコ・森永事件にそれほど関心がありませんでした。というのも、事件が世間を騒がせていた頃、東京の六本木に住んで毎晩のようにディスコで踊っていてニュースに疎かったことと、「かい人21面相」の人をおちょくったような、いかにも関西人らしい脅迫文の文面が嫌いだったからです。わたしが犯罪事件に無関心というわけではありません。グリコ・森永事件以前の戦後最大の犯罪事件である「三億円事件」には非常に興味を持っていました。1968年12月10日、日本信託銀行国分寺支店(東京都国分寺市)から東芝府中事業所(府中市)に向けて出発した、東芝従業員に支払われるボーナス総額3億円を載せた現金輸送車が強奪された事件です。

 三億円事件では、時価換算では今もって国内の犯罪史上最高額とされる金額が奪われました。しかし、グリコ・森永事件では、犯人グループは一銭も受け取っていません。当時のわたしは単なる愉快犯だとしか思えず、三億円事件に比べるとインパクトが弱いと感じていました。また、三億円事件とグリコ・森永事件ともに、1人も殺されていないことから、その後の「オウム真理教事件」などに比べると凶悪性が低いようにも思っていました。しかし、オウム事件の犯人たちはすべて逮捕され、死刑になりましたが、昭和の両事件の犯人は捕まらないまま時効を迎えてしまいました。

 犯人が捕まらなかったがゆえに、三億円事件もグリコ・森永事件も、昭和最大級のミステリーとなったわけですが、深海のごとく社会の奥深くに隠れた真実も、時間が経過すれば海上に浮上してきます。映画「罪の声」では、そんな秘密を抱えた人々を「深層の住人」と表現していましたが、要するに事件から数十年も経ち、すでに時効を迎えていると、「じつは自分が犯人です」とか「犯人を知っています」などと発言する人々が現れてくるのです。

 それは別に目立ちたいとか、マスコミから金を貰いたいといった俗な理由というよりは、真実を語らずにはいられないという人間の本能のようなものだと思います。実際、両事件においても、そのような人物が次々に出現し、週刊誌などを騒がせました。わたしの中では、三億円事件は首都圏の事件で、グリコ・森永事件は関西圏の事件という印象が強いのですが、ともに学生運動から派生した過激派グループが関係していたのではないかという可能性が囁かれています。

 三億円事件の場合は、さまざまな陰謀説が唱えられましたが、その中に「公安警察犯行説」があります。当時、過激派の街頭闘争が吹き荒れ、警視庁は事件現場である三多摩のアパートに多く住む学生活動家を洗い出すために、あのモンタージュ写真とともに、ローラー作戦の口実を作ろうとしていたというのです。実際にローラー作戦は空前絶後の規模で行われました。事件現場近くの都立府中高校卒業生まで容疑者リストにあがり、同校OBだった歌手の布施明、タレントの高田純次まで含まれていたそうです。

 じつは、ネタバレにならないように注意深く書くと、「罪の声」には、「体制を打倒するためには、どんな行為でも正当化される」と妄信する元過激派の学生活動家が登場します。革命を夢見る彼やその仲間たちは自分たちの行動はそのまま社会正義の実現なのだと思い込むのですが、その行き着いた果が「ギン萬事件」でした。いくら金を奪わず、人も殺していないといっても、誘拐、身代金要求、毒物混入など卑劣な犯罪を繰り返したことは事実で、社会正義の実現どころか完全な反社会的行動です。それに、金を受けとらなかったはいえ、それは現金受け取りのリスクを恐れただけで、株価操作によって金を得た可能性は高いのです。

 しかし、犯人グループは当初予想していたほどの大金を得ることはできず、次第に互いが疑心暗鬼になり、対立していきます。その中には、元過激派も、元警察官も、現役のヤクザもいるのですが、彼らはみんな仲間を信じておらず、いわば性悪説に立っています。わたしは性悪説は間違っていると思いますが、お人好しの善人だけでも組織は滅びます。実際の事件でも「かい人21面相」(映画では「くら魔てんぐ」)は、脅迫状の中で「悪党人生面白いで」と書いていました。1人でも「悪党」というのは、悪人はみな団結性を持っているからです。しかし、彼らには共通の信条がなく、彼らの団結性は誠がありませんから、金の問題で必ず分裂するのです。この映画でも、その様子がよく描かれていました。

 もちろん、この歴史に残る大犯罪は、金欲しさだけに起きたわけではありません。そこには、警察やマスコミを恨む者の怨念がありました。警察なら誤認逮捕や冤罪、マスコミなら誤報によって、人の人生など簡単に壊すことができます。そこには、平和に暮らす一般人には計り知れないほどのグリーフ(悲嘆)が生まれるのです。そして、この映画では、過激派の抗争に巻き込まれた亡くなった1人のサラリーマンが、過激派とはまったく無関係なのに、新聞に「過激派同士の仲間割れ」と誤報をされたおかげで、それを信じた故人の勤務先の会社の人々が葬儀に参列せず、線香一本あげていかなかったことへの恨みが語られていました。

 一方、脅迫テープに声を使われた男児の1人が、そのことによって人生がめちゃくちゃになってしまい、社会の底辺を渡り歩いていたとき、子のいない夫婦が経営する中華料理店で働くことになったとき、親代わりともいうべき夫婦が彼に成人式のお祝いをしてくれたエピソードが紹介されます。そのときのことを回想する彼は、「人生で一番嬉しかった」と涙ぐむのでした。葬儀に参列に来なかったことへの恨み、成人式を祝ってもらったことの喜び・・・・・・この映画を観て、改めてわたしは、「冠婚葬祭とは、その人の人生を肯定する」営みであることを思い知りました。

 この映画には、多くの悲嘆が登場します。知らないうちに罪を犯していた悲嘆、知らないうちに人を傷つけていた悲嘆、そして、自分の人生を狂わされる悲嘆・・・・・・脅迫テープに声を使われた3人の子どもたちは、その後、当たり前の人生を送れない者もいました。当たり前のことを、当たり前にできないことは大きな悲嘆ですが、じつは犯罪事件の当事者だけでなく、現在のコロナ禍にあってもその悲嘆は生まれ続けています。今回の新型コロナウイルスの感染拡大は、とにかく想定外の事件でした。わたしを含めて、あらゆる人々がすべての「予定」を奪われました。今回のパンデミックでは、卒業式や入学式という、人生で唯一のセレモニーを経験できなかった生徒や学生たちが大きな悲嘆と不安を抱えたことを忘れてはなりません。もちろん、子どもたち以外も、です。

 この映画にも主要な登場人物の1人が首吊り自殺寸前まで行くシーンがありますが、コロナ禍の中で日本人の自殺者数が激増しています。10月の自殺者数が2153人(速報値)となり、昨年同月比で39.9%増(614人増)だったことが、11月10日に警察庁の集計で分かりました。約40%も自殺者が増加するというのは明らかな異常事態です。自殺の主な原因とされる「コロナうつ」の中には、当たり前のことができずに不安を抱え、それが悲嘆、さらには絶望へと変わっていった人も多いと思われます。不安定になりがちな人の「こころ」を安定させるにはどうすべきか・・・・・・そんなことを考えながら、この142分のグリーフ映画を観終えました。主演の小栗旬、星野源の演技は素晴らしかったです。背の高い小栗と小柄な星野のバディぶりは好感が持てました。最後に、警察の柔道部監督役として、「柔道一直線」で一条直也を演じた桜木健一が柔道着姿で登場したのには驚きました。嬉しいサプライズでした!