No.773


 日本映画「ミステリと言う勿れ」をシネプレックス小倉で観ました。映画公開にあわせてFODでドラマ全話を観たので予習はバッチリでしたが、当日、シネコンが入っているチャチャタウン小倉は空前の人出で、駐車場に入れませんでした。映画上映と同時刻にヒロシの「アウトドア・トーク」なるイベントがあったようです。なんとか劇場の自分の席に着いたのは、上映開始の1分前。わが社のシネアドも終わった後でした。映画そのものは面白かったです!
 
 ヤフー検索の「解説」には、「一人の大学生が難事件とともに人の心の闇を解き明かす、田村由美の漫画を原作にしたドラマ『ミステリと言う勿れ』を映画化。広島編と呼ばれる原作中のエピソードを基に、広島を訪れた主人公・久能整が、代々遺産を巡って死者が出る一族の謎に挑む。ドラマ版に続き、演出を担当した松山博昭が監督、相沢友子が脚本を担当。主演の菅田将暉をはじめ、伊藤沙莉、永山瑛太らが続投し、ドラマ「やんごとなき一族」などの松下洸平、『スキマスキ』などの町田啓太、『はらはらなのか。』などの原菜乃華のほか、萩原利久、鈴木保奈美、滝藤賢一、柴咲コウらが出演する」と書かれています。
 
 ヤフー検索の「あらすじ」は、「美術展のために広島に来た大学生・久能整(菅田将暉)は、犬堂我路(永山瑛太)の知人だという女子高生・狩集汐路(原菜乃華)と出会い、ある相談を持ちかけられる。それは彼女の家系・狩集一族の遺産相続を巡るものだった。当主の孫にあたる汐路をはじめ4人の相続候補者たちは、遺産を手にするために遺言書に記された謎を解かなくてはならないが、狩集家では遺産相続のたびに死者が出ており、汐路の父親・弥(滝藤賢一)も8年前に交通事故で他界していた」です。
 
 この映画の原作となる『ミステリと言う勿れ』は、田村由美によるミステリー漫画です。2021年に第67回小学館漫画賞一般向け部門を受賞しました。本作は分類としては「ミステリ」ですが、田村は「ミステリじゃないです。むり。そんな難しいもの描けるもんか」と主張し、タイトルにも反映されています。第1話は、著者が『月刊フラワーズ』(小学館)にて連載中だった『7SEEDS』と並行し、78ページにわたる比較的長尺の読み切りとして2017年1月号に掲載。第1話に相当する読み切りは主人公の久能整が自身に容疑がかけられた殺人事件の内容を、取り調べにかかる刑事たちの話から読み解き、取調室の中で推理する安楽椅子探偵の様相が採られました。
 
 田村は第1巻のあとがき漫画にて、本作を「舞台劇を意識した閉鎖空間で主人公がひたすら喋るだけの漫画である」と称し、これを漫画のフォーマットで制作する期待と不安が混在していたと語っている。その後、田村は『7SEEDS』の連載を終了し、2018年1月号よりあらためて本作の連載を開始。2022年1月期にフジテレビ系「月9」枠にてテレビドラマ化されました。菅田将暉が久能整に扮し、大きな話題を集めました。2023年9月15日にテレビドラマのキャスト、制作陣による映画版が公開。ちなみに、映画は原作コミックス2~4巻で展開される通称「広島編」が原作となっています。
 
 この「広島編」は日本映画史に残る不朽の名作「犬神家の一族」へのオマージュ的作品となっており、劇中でも久能整が「犬神家の一族」という名前を口にします。市川崑監督がメガホンを取った記念すべき角川映画第1作であり、原作は横溝正史の探偵小説ですね。佐清の白マスクや水面から突き出た足など、強烈なインパクトで社会現象を巻き起こしました。石坂浩二演じる名探偵・金田一耕助が、大富豪一家で起きた怪事件に挑みますが、金田一耕助もモジャモジャ頭であり、どことなく久能整の原型であるように思えます。いや、絶対そうだと思います。
 
 主人公の久能整は、事件についてだけでなく、まったく関係のないことでもひたすら長文で語り続けるのですが、それは映画版でも受け継がれています。寝言ですら言葉数が多く、その多弁さを「うざい」「お前気持ち悪いわ」と他の登場人物から批判されるのがお約束のようになっています。特に、映画版では女性の役割などについてのフェミニズム的発言を異常なほど雄弁に語り始め、ちょっと違和感がありました。相手との距離感がおかしいというか、おそらく彼にはコミュ障の要素があるのだと思います。
 
 一方で、彼の語りによって事件が解決に導かれたり、行き詰まっていた人の心が救われるのも恒例です。久能整は犯罪の真相を暴くと同時に、犯人の心のケアをするという稀有な探偵であり、漫画やドラマ全編を通じても、この物語にはケア的要素が強いと言えます。ただ、御都合主義的な設定も多く、映画でも焼け焦げた人形の着物の柄を男性刑事(でんでん)が詳しく記憶しているなど、観ていて「おいおい」と思いました。また、一条真也の読書館『怪異猟奇ミステリー全史』ブログ『〈怪異〉とミステリ』で紹介した本の内容からもわかるように、ミステリのトリックというものはじつに緻密なものですが、この映画のそれはどれも大雑把な印象です。でも、原作者自らが「ミステリじゃないです」と告白しているわけですから良しとしましょう。
 
 思うに、原作もドラマも映画も、そのタイトルをわざわざ「ミステリと言う勿れ」としているのは、実際にこの物語が「ミステリ」というジャンルには入からないからではないでしょうか。では、何のジャンルかというと、「人間ドラマ」、ひいては「心理ドラマ」でしょう。実際、久能整は大学で心理学を学んでいます。彼が語る内容は明白な事実に基づいたものもあれば、「娘が父親を嫌うのは近親相姦を避けるための本能」「三連の花見団子を作ったのは豊臣秀吉である」といった諸説あり真偽不明なものも含まれており、ドラマでも心理学の授業を担当する准教授(鈴木浩介)から「ソースはいつも必ず確認しなさい」など、しばしば放言への説諭や非難が描かれています。
 
 ただ、この久能整はなかなかの教養人で、美術館巡りが趣味だったりします。また、古典にも造詣が深くて、狩集家の4つの蔵に「瞑聡」「忠敬」「温恭」「問難」の名がつけられていることから「君子の九思」が出典であることを瞬時に見抜きます。「君子の九思」とは『論語』李氏篇の「孔子曰、君子有二九思一。視思レ明、聴思レ聰、色思レ温、貌思レ恭、言思レ忠、事思レ敬、疑思レ問、忿思レ難、見レ得思レ義」によるもので、君子として常に心掛けるべき9つのことです。見るときははっきり見る、聞くときはしっかりと聞く、顔つきはおだやかに、態度はうやうやしく、言葉は誠実で、仕事には慎重、疑問は質ただし、怒りにはあとの面倒を思い、利益を前にしては道義を思うの9つですが、最後の「義」の蔵が狩集家には存在しませんでした。久能はその謎まで解き明かすのですから脱帽です! 『論語』はわが最大の愛読書ですが、「君子の九思」をミステリの素材に使ったことには驚きました。
 
 主人公の久能整を演じているのは菅田将暉ですが、彼はイケメンというよりも実力派俳優といったイメージです。映画には登場しませんでしたが、ドラマ版に登場する伊藤沙莉、門脇麦といった女優陣も失礼ながら美人とは言い難かったです。エピソードによっては白石麻衣なども出演していましたが、レギュラーではありません。その点、映画版では、原菜乃華の可愛さ、柴咲コウの美貌が際立っていました。最後は、松嶋菜々子の姿まで拝めて満足でした。
 
映画の主演は美男美女であるべき」というのはわたしの持論で、ほとんど信念に近いものになっています。ブログ「映画『君の忘れ方』情報解禁!」で紹介したように、拙著『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)を原案とする映画「君の忘れ方」の主演が坂東龍汰、西野七瀬の見目麗しいお二人に決まって本当に良かったです。「君の忘れ方」はグリーフケア映画ですが、「ミステリと言う勿れ」もグリーフケアの要素が強いです。考えてみれば、殺人事件には加害者、被害者の存在があり、そこには必ず深い悲嘆としてのグリーフが存在します。そう、すべてのミステリ映画はグリーフ映画でもあるのです!