No.774


 東京に来ています。各種の打ち合わせをした25日の夜、TOHOシネマズシャンテでイギリス映画「ロスト・キング 500年越しの運命」を観ました。わたし向けの映画をいつも紹介してくれる映画コラムニストのアキさんのおススメ作品だったのですが、非常にテンポの良い快作で、今回も時間を忘れるほど面白かったです!
 
 ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「イギリスで2012年、長らく行方不明となっていたイングランド王リチャード3世の遺骨発見に貢献した女性の実話を基にしたドラマ。冷酷非情な人物として伝えられる王の真の姿を探るため、歴史愛好家の女性が独自に調査する。『クィーン』などのスティーヴン・フリアーズが監督、同監督作『あなたを抱きしめる日まで』などのジェフ・ポープが脚本を担当。『シェイプ・オブ・ウォーター』などのサリー・ホーキンスが主人公を演じ、ポープと共同で脚本を務めたスティーヴ・クーガンのほか、ハリー・ロイド、マーク・アディらが共演する」
 
 ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「上司から理不尽な評価を受けたフィリッパ・ラングレー(サリー・ホーキンス)は、別居中の夫(スティーヴ・クーガン)から生活費のために我慢して仕事を続けるよう言われる。苦悩の日々を送る中、彼女は息子の付き添いでシェークスピアの『リチャード3世』を観劇して衝撃を受ける。残忍さで名高いリチャード3世も自分と同じく不当に評価されてきたのではないかと疑問を抱いたフィリッパは、王の汚名を晴らすため、独自に調査を開始する」
 
 この映画の冒頭に「HER STORY」という言葉が出てきます。「HIS STORY」がそのまま「HISTORY(歴史)」に通じるというのが一般的な考え方ですが、彼ではなく彼女、すなわち女性でも歴史の主体になれるということを「HER STORY」という言葉は見事に表現しています。実際、この映画のヒロインであるフィリッパの成し遂げたことは歴史に残る偉業でした。映画の冒頭で彼女は上司から理不尽な評価を受け、会社の重要な業務から外されて落ち込みますが、そのおかげで時間とエネルギーを歴史的偉業に費やすことができたわけです。まさに「禍転じて福となす」であり、「禍福は糾える縄の如し」です。どんなに良くない状況になっても決して絶望せずに、「何事も陽にとらえる」ことが大事ですね。
 
 自身の直観を信じて運命に立ち向かうフィリッパの姿を見て、わたしは彼女を演じたサリー・ホーキンスが主演した2017年のファンタジー映画を思い出しました。一条真也の映画館「シェイプ・オブ・ウォーター」で紹介した鬼才ギレルモ・デル・トロ監督のベネチア国際映画祭の金獅子賞受賞作です。米ソ冷戦下のアメリカを舞台に、声を出せない女性が不思議な生き物と心を通わせる物語です。「ロスト・キング 500年越しの運命」は実話に基づいていますが、「シェイプ・オブ・ウォーター」は架空の物語です。でも、両作品でサリー・ホーキンスが演じたヒロインには「社会的には認められていないけれど、自分を信じ抜いて生きる強い女性」という共通点がありました。
 
 この映画で、フィリッパが行ったことはリチャード3世の遺骨を発掘したことと、彼の真実を歴史の彼方から掘り起こしたことです。いわば考古学と歴史学の2つの仕事と言えますが、対象が死者の遺骨であることから埋葬を中心として葬送儀礼の意味も帯びています。哲学者の内田樹氏は、著書『邪悪なものの鎮め方』(文春文庫)において、探偵の仕事が葬送儀礼と同じであるという画期的な説を唱えています。探偵の仕事とは、死んだ人について、その人がこれまでどんな人生を送ってきたのか、どのような経歴を重ねてきたのか、どのような事情から、他ならぬこの場で亡くなったのか。それを解き明かしていく作業です。それが推理小説のクライマックスになるわけですが、これはほとんど葬送儀礼と変わらないというのです。

唯葬論』(サンガ文庫)
 
 
 
 拙著『唯葬論』(三五館、サンガ文庫)で紹介したように、「人類の歴史は墓場から始まった」という言葉があります。わたしは人類の文明も文化も、その発展の根底には「死者への想い」があったと考えています。人類は死者への愛や恐れを表現し、喪失感を癒すべく、宗教を生み出し、芸術作品をつくり、科学を発展させ、さまざまな発明を行ってきました。つまり「死」ではなく「葬」こそ、われわれの営為のおおもとなのです。あらゆる死者は、正しく埋葬されなければなりません。たとえ、その死者が国王であっても、名もなき市井の人であっても......。
 
 さて、この映画に登場するリチャード3世(1452年~1485年)は、ヨーク朝最後のイングランド王であり、薔薇戦争の最後を飾る王です。エドワード3世の曾孫であるヨーク公リチャード・プランタジネットとセシリー・ネヴィルの八男で、エドワード4世とラトランド伯エドムンド、クラレンス公ジョージの弟。即位前はグロスター公に叙されており、護国卿でもありました。戦死した最後のイングランド王であり、他に戦死した王は1066年にヘイスティングズの戦いで敗死したハロルド2世と、1199年に矢傷がもとで死亡したリチャード1世がいるのみです。リチャード3世は、1484年1月に王直属の機関として紋章院を創設したことでも知られます。
 
 映画「ロスト・キング 500年越しの運命」の作中には舞台のシーンがありましたが、リチャード3世はウィリアム・シェイクスピアによって、ヨーク朝に変わって新たに興ったテューダー朝の敵役として稀代の奸物に描かれ、その人物像が後世に広く伝わりました。一方で、リチャード3世の悪名はテューダー朝によって着せられたものであるとして、汚名を雪ぎ「名誉回復」を図ろうとする「リカーディアン」と呼ばれる歴史愛好家たちもおり、欧米には彼らの交流団体も存在します。フィクションが史実よりも世間に浸透していった例は珍しくありません。日本でも、播州赤穂事件と翌年の吉良邸討ち入りを題材にした仮名手本忠臣蔵において、吉良上野介は敵役にされていますが、上野介の領地では名君として現在でも慕われています。
 
 2012年9月5日、フィリッパ・ラングリーらのチームによって、古い時代の遺骨が、記録された埋葬場所と一致するレスター市中心部の駐車場の地下から発見されました。この発見に「530年ぶりに駐車場の下から悪名高い王の遺体が見つかる」と大きく報じられました。遺骨は頭蓋骨に戦闘で受けたとみられる複数の傷があり、また脊柱に強い脊椎側彎症が確認され、従来悪評を補強するための偏見とも考えられていたリチャード三世のせむしが事実であった可能性が高いことを示しました。遺骨発見に大きく貢献した歴史家のジョン・アッシュダウン・ヒル博士によって探し出されたリチャード3世の姉アン・オブ・ヨーク(1439年~1476年)の女系子孫(カナダ人マイケル・イブセン)のミトコンドリアDNA鑑定をレスター大学が行い、2013年2月に遺骨をリチャード3世のものであると断定しました。
 
 リチャード3世の再評価といえば、ジョセフィン・テイの長編推理小説『時の娘』が思い出されます。グラント警部シリーズの1作で、1951年に発表されました。悪名高い15世紀のイングランド王リチャード3世の「犯罪」を、現代の警察官が探究する物語です。テイは本書出版後間もなく没しており、本作が作者存命中に出版された遺作となりました。テイの代表作と呼ばれる本作は、探偵役が歴史上の謎を解き明かす歴史ミステリーの名作として、また「安楽椅子探偵」と訳されることが多いベッド・ディテクティヴの嚆矢的作品として知られます。日本語版の翻訳権は早川書房が独占所有しています。1954年に村崎敏郎訳でハヤカワ・ミステリから刊行、1975年に小泉喜美子訳でハヤカワ・ミステリから刊行、1977年に小泉訳でハヤカワ・ミステリ文庫から刊行されました。
 
『時の娘』は、リチャード3世の汚名を雪いで名誉回復を図ろうとする「リカーディアン」と呼ばれる歴史愛好家たちの著作の流れを汲むものです。そこで展開されるテイの論は、1906年に刊行されたクレメンツ・マーカムの研究書を下敷きにしています。『時の娘』で中心的に扱われるのは「塔の王子たち」の命運です。リチャード3世の兄であるエドワード4世の子、エドワード5世とリチャードは、リチャード3世によってロンドン塔に幽閉され、その後行方不明になりました。彼らはリチャード3世によって暗殺されたというのが広く語られてきました。しかし、『時の娘』では、リチャード3世が「塔の王子たち」を殺害したという嫌疑には根拠がないと否定しています。
 
『時の娘』では、スコットランドヤード(ロンドン警視庁)のアラン・グラント警部が犯人を追跡中に足を骨折して入院、ベッドから動けずに退屈を持て余していました。友人である女優のマータ・ハラードは、歴史上のミステリーを探究すれば退屈がまぎれるのではないかと提案します。シェークスピアの戯曲にも描かれたリチャード3世は、世上広く語られるように「塔の王子たち」を殺害した極悪人なのだろうか? グラントは、友人たちの力を借り、医師や看護婦たちと会話しながら、リチャード3世の生涯と彼にかけられた「塔の王子殺し」の容疑を調べ、推理を重ねていくのでした。『時の娘』に触発されて高木彬光が書いた安楽椅子探偵ものの名作が『成吉思汗の秘密』『邪馬台国の秘密』です。2冊ともわが愛読書です。

あらゆる本が面白く読める方法』(三五館)
 
 
 
 リチャード3世の遺骨を発見したフィリッパは、国王の真実を調べるべく書店で関連書をすべて購入して読み耽ります。彼女が『時の娘』を愛読したことは間違いないでしょうが、読書によって新しい発見が生まれることは感動的です。また、この映画では、リチャード3世の幻影(亡霊)がフィリッパの前に現れて会話するシーンが非常に印象的でした。死者と交流する営みを「交霊術」と呼びますが、わたしは、読書という行為そのものが生者が死者と交流をすること、すなわち交霊術であると考えています。拙著『あらゆる本が面白く読める方法』(三五館)にも書きましたが、本の著者は生きている人間だけとは限りません。むしろ古典の著者は基本的に亡くなっています。つまり、死者である。死者が書いた本を読むという行為は、じつは死者と会話しているのと同じことであり、読書とはきわめてスピリチュアルな行為なのです。

火鳥満月」さんのツイート
 
 
 
あらゆる本が面白く読める方法』といえば、最近、「火鳥満月」さんがX(旧ツイッター)で取り上げて下さいました。この方はKADOKAWAの漫画新人賞も受賞された新進気鋭の漫画家&イラストレーターですが、「日本で1番本を読んでいるんじゃないか?という一条真也さんの『あらゆる本が面白く読める方法』 この方のおかげで、孔子にハマり、図書館で孔子の横にあった老子にも無事ハマりました。この2人の思想家の本は、豊かな世界でございました~」と書かれています。「日本で1番本を読んでいる」とは恐縮至極なお言葉ですが、このツイートを読んだ「出版界の木下藤吉郎」こと造事務所の堀川尚行社長がKADOKAWAから『15歳の孔子』『65歳の老子』の2冊を火鳥満月さんのイラスト付きで出したいと言われていました。わたしも、ぜひ、コラボしたいです!

アキ」さんのツイート
 
 
 
 Xといえば、この映画を紹介してくれたアキさんが、拙著『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)を原案としたグリーフケア映画「君の忘れ方」を取り上げてくれました。アキさんは、「ヒロイン西野七瀬さん映画『君の忘れ方』の製作が決定。原案は、いつもおススメ映画を教えて下さる一条真也先生。恋人を亡くした青年が"グリーフケア"に出合うストーリーです。9月から撮影がスタートし、2025年公開。歓声が待ち遠しいです!」とツイートしてくれました。アキさん、心強いエールを本当にありがとう。「ロスト・キング 500年越しの運命」も教えてくれて、ありがとう。いつも感謝しています!

映画コラムニストのアキさんと