No.1079
東京に来ています。6月11日、銀座で出版関係の打ち合わせをした後、ヒューマントラストシネマ有楽町でオーストリア映画「我来たり、我見たり、我勝利せり」を観ました。ネットの評価が2点台だったので嫌な予感がしたのですが、実際に不快感の高い胸糞映画でした。
ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「巨万の富を背景に人殺しに手を染める億万長者と、彼の家族を描くドラマ。莫大な富を持つ一家の長が、狩りと称して人間への無差別狙撃を繰り返す。監督を務めるのは、ダニエル・へースルとユリア・ニーマン。オリヴィア・ゴシュラー、『キャスティング』などのウルシーナ・ラルディのほか、ローレンス・ルップ、マルクス・シュラインツァーらがキャストに名を連ねる」
ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「マイナート家の家長であるアモンは、起業家として億万長者にまで上り詰める。彼は趣味の狩りにいそしむが、アモンが撃つのは動物ではなく人間で、無差別に人間を撃ち殺し続けても彼が罪に問われることはなかった。そんな父親の振る舞いをそばで見ていた娘のポーラがある日、自分も狩りに行きたいと言い出す」
この映画、冒頭から自転車でサイクリングしている男性がライフル銃で射殺されるという衝撃的なシーンから始まります。撃ったのは、オーストリアの富豪一家マイナート家の家長であるアモンです。彼は起業家としても大成功して巨万の富を得ていますが、心が満たされないのか、罪のない人を銃で殺傷するというとんでもない悪癖の持ち主なのです。もはや狂人と言ってもよいでしょう。わたしも60歳を過ぎてつくづく思うのですが、金儲けがうまいことなど人間の価値に何の関係もありません。人間の価値は、他人にどう思いやりをかけることができるかに関わっています。その点、アモンは最低の人間、人間のクズだと言えるでしょう。いや、もう、最低最悪のクズですね!
アモンは日々趣味の人間狩りに興じますが、法でも裁けません。そもそも、彼の妻は第一線の弁護士なのです。そんな億万長者アモンに真正面に切り込む勇気ある人物がいました。新聞記者のフォルカーです。フォルカーから「犯人はあなたでは?」と問いただされたアモンは、「皆、犯人は僕だと知ってる」と悪びれもせずにあっさり自供します。しまいには「僕はなんでもやってのける。なぜみんな僕を止めない? 君は?意思があるだろ? 証明してみろ。僕の運命は君次第、頼むよ。君ならできる」と全てを理解した上で罪を重ね、フォルカーに止めて欲しいと懇願までするのでした。完全にイカレています。
すべてを認めているのに、"上級国民"のアモンは罰を逃れられるのか? 彼の運命はどうなるのか!? 恐ろしいほど不快なこの物語は、これまで経験したことがない多大なストレスを観客に与えます。狂人としか思えないアモンは、家族思いの一面があります。アモンは"狩り"と称し、何カ月も無差別に人を撃ち殺し続けています。"上級国民"である彼を止められるものはもはや何もありません。一方、娘のポーラはそんな父親の傍若無人な姿を目の当たりにしながら、"上級国民"としてのふるまいを着実に身につけています。この親にして、この子あり! ある日、ついにポーラは父親と"狩り"に行きたいと言い出すのでした。
上級国民が"人間狩り"をする映画と言えば、一条真也の映画館「ザ・ハント」で紹介した2020年のアメリカ映画を思い出します。富裕層が娯楽目的で行う人間狩りを描いたバイオレンススリラーで、標的として全米各地から集められた男女のサバイバルを、アメリカ社会への風刺を盛り込み活写した作品です。広々とした森の中で12人の男女が目覚めると巨大な木箱があり、中には1匹の豚と数多くの武器が入っていました。状況が飲み込めないまま何者かに銃撃された彼らは武器を手に逃げ惑う中、あるうわさが本当であったことに気付きます。それは、「マナーゲート」と呼ばれる一部の富裕層によるスポーツ感覚の「一般市民狩り」でした一方、狩られる側の1人であるクリスタル(ベティ・ギルピン)が反撃を開始します。「我来たり、我見たり、我勝利せり」」も、「ザ・ハント」も、どうしようもない胸糞映画ですが、最後にカタルシスがあるぶん、「ザ・ハント」の方がましでしたね。