日本映画「残穢―住んではいけない部屋―」を観ました。
 ブログ『屍鬼』で紹介した超大作などを書いた日本を代表する女流ホラー作家の傑作を映画化したものです。わたしは単行本が2012年に刊行された際、すぐに読みました。映画は原作とはかなり内容が違っているように思いました。

 ヤフー映画の「解説」には以下のように書かれています。
 「『屍鬼』などで知られるベストセラー作家・小野不由美の本格ホラー小説『残穢』を、『予告犯』などの中村義洋監督が映画化。読者の女子大生から『今住んでいる部屋で、奇妙な音がする』という手紙を受け取ったミステリー小説家が、二人で異変を調査するうちに驚くべき真実が浮かび上がってくるさまを描く。主人公には中村監督とは5度目のタッグとなる竹内結子、彼女と一緒に事件の調査に乗り出す大学生を、『リトル・フォレスト』シリーズなど橋本愛が演じる」

 また、ヤフー映画の「あらすじ」には以下のように書かれています。

「ミステリー小説家である私(竹内結子)に、読者の女子大生・久保さん(橋本愛)から自分が住んでいる部屋で変な音がするという手紙が届く。早速二人で調べてみると、そのマンションに以前住んでいた人々が自殺や心中、殺人などの事件を起こしていたことが判明。久保さんの部屋で生じる音の正体、そして一連の事件の謎について調査していくうちに、予想だにしなかった事実がわかり・・・・・・」

 この映画では「事故物件」という言葉が何度も登場します。事故物件とは、その名の通り、何らかの事故が起こった不動産物件です。一般的に忌み嫌われる傾向にあり、実際に物件価格が安くなる傾向にあります。一方で、それらの事実を気にしない人にとってはお値打ちな物件と見られています。 一般に、事故物件は以下のような物件を指します。

1.自殺や殺人事件、死亡事故、孤独死などがあった物件
2.過去に火災や水害による被害
3.指定暴力団組織が近隣に存在する
4.宗教的施設の跡地に建てられた
5.過去に井戸が存在し、埋め戻して建てられた
6.火葬場やゴミ処理施設などの嫌悪施設が近在する
7.登記簿謄本に記載された権利関係がややこしい物件

 1の「自殺や殺人事件、死亡事故、孤独死などがあった物件」ですが、自殺や孤独死は日本中で日々起こっていますので、事故物件も猛烈な勢いで増殖していることになります。これは「死」をケガレと見る考え方から来ていると言えるでしょう。これらの場所は、幽霊話を生みます。
 ブログ「呪怨―終わりの始まり―」ブログ「呪怨―ザ・ファイナル―」で紹介した一連の「呪怨」シリーズは殺人事件、ブログ「クロユリ団地」で紹介した作品は孤独死が起った場所を舞台としたホラー映画でした

 2の「過去に火災や水害による被害」があった場所というのは違和感があります。というのも、そんなことを言ったら、東日本大震災の被災地はみんな事故物件になってしまうではないですか。6の「火葬場やゴミ処理施設などの嫌悪施設が近在する」というのも納得できないし、他にも「おかしいな」と思えるものがあります。まあ、わたしが本当に嫌うのは3、7ぐらいです。

 しかしながら、場所というものに「良い場所」「悪い場所」があるというのは知っています。一般に「イヤシロチ」「ケガレチ」などと呼ばれます。イヤシロチの代表は、なんといっても神社です。いま、若い人たちの間で、神社が「パワースポット」として熱い注目を浴びています。いわゆる生命エネルギーを与えてくれる「聖地」とされる場所ですね。
 「バク転神道ソングライター」こと宗教哲学者の鎌田東二先生によれば、空間とはデカルトがいうような「延長」的均質空間ではありません。世界中の各地に、神界や霊界やさまざまな異界とアクセスし、ワープする空間があるというのです。ということは、世界は聖地というブラックホール、あるいはホワイトホールによって多層的に通じ、穴を開けられた多孔体なのです。

 ブログ「サウルの息子」にも書いたのですが、最近読んだ本の中に「天国では、儀式も祈りも存在しない」という言葉を見つけ、大きな気づきを与えられました。天国では、そこに神がおわします。天国から遠く離れた地上だからこそ、儀式や祈りが必要であるというのです。人間は、儀式や祈りによって、初めて遠隔地である天国にいる神とコミュニケーションができるというのです。もしかすると、天国というのは大いなる情報源であって、そこにアクセスするために儀式や祈りがあるのかもしれません。いわば、Wi-Fiのような存在です。儀式や祈りとは、神に「接続」するための技術なのではないでしょうか。わたしは、そう思います。

 そして、この地上には空港やホテルやスターバックスなどのようにWi-Fiが即座につながりやすい場所があります。神社や寺院や教会などが建っている聖地とは、そのような場所ではないでしょうか。イヤシロチも同様です。そこは、すべての情報の「おおもと」である神仏にアクセスしやすい場所なのです。逆に、まったくWi-Fiがつながらない場所というのもあります。それがケガレチではないでしょうか。神仏どころか、魔とアクセスしやすい場所がケガレチであると思います。

 「残穢―住んではいけない部屋―」の初日舞台挨拶では、主演の竹内結子と橋本愛が豆まきをしました。これは良い演出だったと思います。ブログ「節分祭」で紹介したように、厄除け者には破魔矢を与え、魔(鬼)を祓うために豆まきをしました。また、ブログ「合同厄除け祝い」で紹介したように、節分祭の後は、厄除け祝いをしました。冒頭わたしは、なぜ「厄除け」と「祝い」が結びつくのかということを話しました。「祝い」の反対語は「呪い」です。
 「呪い」も「祝い」ももともと言葉が「告(の)る」つまり「言葉を使う」という意味であり、心の負のエネルギーが「呪い」であり、心の正のエネルギーが「祝い」ということです。「呪い」を解く最高の方法とは、このような「厄除け祝い」をはじめとする祝い事なのだと言いました。「呪い」に打ち克つには「祝い」しかありません!

 「残穢―住んではいけない部屋―」で興味深かったのは、ある事件が発端となって、それが都市伝説を生み、怪談となって広く伝播していくようすが描かれているところでした。
 ブログ『なぜ怪談は百年ごとに流行るのか』で紹介した本で、著者の怪談研究家である東雅夫氏は以下のように述べています。

「われわれ日本人は、怪異や天変地異を筆録し、語り演じ舞い、あるいは読者や観客の立場で享受するという行為によって、非業の死者たちの物語を畏怖の念とともに共有し、それらをあまねく世に広めることで慰霊や鎮魂の手向けとなすという営為を、営々と続けてきたのであった。たとえば、菅原道真の御霊伝説にせよ、あるいは四谷怪談にせよ、怪談というものは、総てを奪われ、ついには命まで落とした人たちの思いが、現実には何もできない、だからこそ現実を超えた物語として発動する・・・・・という構造を共通して抱え持っている」

 「残穢―住んではいけない部屋―」にも非業の死を遂げた者たちが登場しました。ネタバレになるので詳しくは書けませんが、彼らに対する人々の想いが怪談を生んでいくさまが描かれていました。映画の終わり近くに、非業の死を遂げた者たちの怨念がこもっている「最恐物件」が出てきます。そこが、なんと北九州市某所となっていました!
 元炭鉱王の屋敷なのですが、そこには河童のミイラ、呪術用の猿の手、呪いの日本刀など、ありとあらゆる禍々しいものが置かれているのです。そして、地の底から異界の者が姿を現わすのです。まあ北九州フィルムコミッションあたりが協力し、実際に北九州市内で撮影されたのかもしれませんが、市民としてはあまり良い気分はしませんね。ただでさえ全国の人たちからチョー恐れられている北九州をこれ以上怖くしてどうするのか!

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