No.1176


 NETFILIXオリジナルのイギリス映画「木曜殺人クラブ」を観ました。全世界での発行部数が1500万部を超えるリチャード・オスマンの同名のベストセラー小説が映画化。2025年8月28日からNETFLIXで独占配信が開始されていますが、ミステリー映画の佳作です。

 未解決事件の調査が趣味のシニア世代4人組が実際に殺人事件の捜査に乗り出す物語です。全体的にコメディタッチですが、謎解きの面白さは一級品。残酷な殺人病者などは登場しないので、ファミリーで楽しめるミステリー作品というところでしょうか。ヘレン・ミレン、ピアース・ブロスナン、ベン・キングスレー、セリア・イムリ、ナオミ・アッキー、デビッド・テナント、ジョナサン・プライスら豪華キャストが集結。「ホーム・アローン」「ハリー・ポッター」シリーズのクリス・コロンバス監督がメガホンを取りました。

 中世の城を思わせる高齢者用の高級施設「クーパーズ・チェイス」では、さまざまな経歴を持つシニア世代が穏やかに暮らしていました。クーパーズ・チェイスには数多くのクラブ活動がありますが、未解決事件の調査を楽しむ「木曜殺人クラブ」もその1つです。引退してもなお元気有り余るエリザベス(ヘレン・ミレン)、ロン(ピアース・ブロスナン)、イブラヒム(ベン・キングスレー)、ジョイス(セリア・イムリー)の4人は、迷宮入りした殺人事件の謎を解くことを愉しみに日々を過ごしています。しかし、身近な場所で起こった不可解な死をきっかけに、探偵気分で推理に興じていた4人は危険と隣り合わせの状況に立たされ、本当に犯人捜しをすることになるのでした。

「木曜殺人クラブ」の舞台はイギリスです。イギリスはミステリー大国どころか、ミステリーが生まれた国といってもよいでしょう。それは、とりもなおさず、シャーロック・ホームズがイギリス人だからです。シャーロック・ホームズには独特の推論形式があります。ホームズは、やってきたクライアントの話を聞く前に、その人物の職業や来歴をぴたりと言い当てます。2009年のイギリス・アメリカ映画「シャーロック・ホームズ」にも、「あなたは家庭教師をしていて、教え子は8歳の男の子ですね」と的中させるシーンが出てきます。これは、どういう服を着ているかとか、その服のどこにインクの染みがあり、顔のどこに傷がついているかとか、具体的なデータを読んでいるわけです。そのような細部の情報を組み合わせて、ホームズはその人のパーソナル・ヒストリーを想像の中で構成しているのです。

 思想家の内田樹氏は『邪悪なものの鎮め方』(文春文庫)において、探偵の仕事について鋭く分析し、「探偵は一見して簡単に見える事件が、被害者と容疑者を長い宿命的な絆で結びつけていた複雑な事件であったことを明らかにする。読者たちはその鮮やかな推理からある種のカタルシスを感じる。それは探偵がそこで死んだ人が、どのようにしてこの場に至ったのかについて、長い物語を辛抱づよく語ってくれるからである。その人がこれまでどんな人生を送ってきたのか、どのような経歴を重ねてきたのか、どのような事情から、他ならぬこの場で、他ならぬこの人物と遭遇することになったのか。それを解き明かしていく作業が推理小説のクライマックスになるわけだが、これはほとんど葬送儀礼と変わらない」と指摘しています。

「探偵の仕事は葬送儀礼と同じ」という考えには、つねに葬儀の意味を考え続けているわたしも膝を打ちました。内田氏は、さらに「死者について、その死者がなぜこの死にいたったのかということを細大漏らさず物語として再構築する。それが喪の儀礼において服喪者に求められる仕事である。私たちが古典的なタイプの殺人事件と名探偵による推理を繰り返し読んで倦まないのは、そのようにして事件が解決されるプロセスそのものが同時に死者に対する喪の儀礼として機能していることを直感しているからなのである」と書いています。まことに鋭い指摘だと思います。
 
 この内田氏の文章を読んだとき、「行旅死亡人」と呼ばれる人々のことを思い浮かべました。氏名も職業も住所もわからない行き倒れの死者たちです。いわゆる「無縁死」で亡くなる人々です。そんな死者が、日本に年間約3万人もいるといいます。明日、自宅の近くの路上にそんな死者が倒れている可能性がないとは言えません。その人が何者で、どのような人生を歩んできたのか。それを、みんなで推理しなければならないのが「無縁社会」です。わたしたちは、「一億総シャーロック・ホームズの時代」を生きているのかもしれません。

「木曜殺人クラブ」の4人組はいずれも推理の達人ですが、老人でもあるので、当然ながら「死」には近い位置にある人々です。彼らは高齢ゆえに死者に親近感を抱くというか、死者の声に耳を傾けやすくなっているように思いました。特に、主人公ともいえるヘレン・ミレン演じるエリザベスは、1体の死体に異様なまでの関心を持ちます。その死体がなぜ「死」に至ったのかという原因を徹底的に突き止めるのですが、その探偵活動に怖いものなどありません。なにしろ、夜中の墓場に1人で出向いて行き、掘り返した墓穴を覗き込むほどなのですから。
 
 それにしても、趣味で結ばれた4人のなんと心ゆたかなことか! 彼らは常にワクワク、ドキドキし続けており、そこには理想の「老い」の姿があります。わたしも老後はクーパーズ・チェイスにような施設に入って、同好の士たちとの会話に浸りたいものです。読書・映画鑑賞・格闘技・プロレス・オカルト・ガーデニング......わたしの趣味は多いですが、趣味の合う人たちとの共同生活は楽園そのものです。「木曜殺人クラブ」のメンバーたちは老成や老熟によって推理も冴えわたっていました。ということで彼らの活躍を見ながら、わたしは、人は老いるほど豊かになるという「老福」を強く感じたのでありました。