No.1210


 京都に来ています。 2月6日の夜、一条真也の映画館「神社 悪魔のささやき」で紹介した韓国映画をTジョイ京都で観た後、同劇場でこの日から公開されたアメリカ・オーストラリアのホラー映画「トゥギャザー」のレイトショーを鑑賞。ホラーというよりはホラー・コメディといった印象でしたが、ものすごく面白かったです!
 
 ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「体の奇妙な変異現象に見舞われたカップルの運命を描くホラー。倦怠期に差しかかった二人が、ある出来事をきっかけに互いの体が磁力に引き寄せられるかのようにくっついてしまう極限状況に陥る。監督・脚本を務めたのは映画監督のみならず俳優、作曲家などマルチに活動するマイケル・シャンクス。『プロミシング・ヤング・ウーマン』などのアリソン・ブリーと、実生活でも彼女とパートナーである『NERVE/ナーヴ 世界で一番危険なゲーム』などのデイヴ・フランコがカップルを演じる」
 
 ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「倦怠期に差しかかったミュージシャン志望のティム(デイヴ・フランコ)と小学校教師のミリー(アリソン・ブリー)は、都会から田舎に引っ越す。あるとき散歩中のハプニングで地下洞窟に落下し、そこで一夜を過ごした直後から二人の日常が一変する。ティムは突然意識がもうろうとし、体が勝手に暴走する症状に悩まされるようになり、ほどなくしてミリーにも同様の症状が出現。やがて、磁力に引き寄せられるかのように互いの体がくっついて離れられなくなる」
 
 本作の「愛する者たちの肉体が1つになる」という設定は、じつは古代ギリシャの哲学者プラトンの思想に由来します。「プラトニック・ラブ」という言葉を聞いたことがない人は少ないと思います。純愛とか精神的恋愛の響きがありますね。「プラトニック」とはプラトン的ということで、古代ギリシアの哲学者の名前が「愛」という普遍的な概念と結びついて、今でも日常的に使われているというのは、考えてみればすごいことです。愛の起源についての最も有名で、最も古いエピソードは、プラトンによるものです。
 
 饗宴 (岩波文庫) 饗宴 (岩波文庫) 作者:プラトン,久保 勉 岩波書店 Amazon その話は紀元前4世紀、アテネにはじまります。当時新進気鋭の哲学者だったプラトンは『饗宴』というタイトルの小冊子を書こうと決心します。これは、すでに故人となった彼の恩師、ソクラテスを讃えるためのものでした。その『饗宴』の中で、プラトンは、喜劇作家のアリストファネスが語ったという設定で、人間はもともと球体であったという「人間球体説」を紹介しました。元来は1個の球体であった男女が、離れて半球体になりつつも、元のもう半分を求めて結婚するものだというのです。ゆえに、『饗宴』の中には、「愛は1つになりたいという願いである」という言葉が登場します。
「リビング北九州」2014年11月29日号
 

 プラトンは言います。何年も何年も別れた半球をさがし求め、無駄に終わった者もいれば、幸運に恵まれた者もいました。そして、これこそが愛の起源でした。愛は心の底にある強い憧れであり、完全になりたいという願いであり、自分とぴったりの相手にめぐり合えたときには、故郷に帰って来たような気がします。そして元が1つの球であったがゆえに湧き起こる、溶け合いたい、1つになりたいという気持ちこそ、世界中の恋人たちが昔から経験してきた感情だというのです。プラトンはこれを病気とは見なさず、正しい結婚の障害になるとも考えませんでした。人間が本当に自分にふさわしい相手をさがし、認め、応えるための非常に精密なメカニズムだととらえていたのです。
結魂論』(成甲書房)
 

 そういう相手がさがせないなら、あるいは間違った相手と一緒になってしまったのなら、それは私たちが何か義務を怠っているからだとプラトンはほのめかしました。そして、精力的に自分の片割れをさがし、幸運にも恵まれ、そういう相手とめぐり合えたならば、言うに言われぬ喜びが得られることをプラトンは教えてくれたのです。ちなみに、プラトンのいう球体とは「魂」のことだと、わたしは確信しています。そして、そのことを拙著『結魂論』(成甲書房)の中に詳しく書きました。それほど「プラトンの半球体」に思い入れのあるわたしにすれば、映画「トゥギャザー」がそれをパロディ化したことはちょっと複雑な気分でしたね。
 
 しかし、「肉体がくっつく」というボディホラーの要素以外に、この映画には最も怖い場面がありました。デイヴ・フランコが演じる主人公のティムが自宅の中で異臭を感じ、2階のシャンデリアから漂ってくることに気づいて調べたところ、ある生き物の合体死骸が出てくる場面です。しかも、その中の1匹がまだ生きていて鳴き声を上げるという悪趣味なおまけ付き。じつはティムは少年時代にも、その生き物の死骸が自分の部屋に存在したのに気づかなかったというトラウマを抱えていました。わたしはその生き物が大嫌いなので、このシーンはどんなホラー映画よりも怖かった!