No.1214
東京に来ています。 2月12日の夜、ヒューマントラストシネマ有楽町でアメリカ・台湾・日本合作映画「黒の牛」を観ました。「十牛図」をモチーフにしたドラマと聞いていましたが、牛をメタファーとして描くのかなと思っていたところ、そのまま「十牛図」の解説動画みたいな感じだったので驚きました。午年に、奇妙きわまりない牛の映画を観てしまいました。
ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「仏教で悟りに至るまでの過程を10枚の牛の絵で表した『十牛図』をモチーフに描くドラマ。すみかを失った狩猟民の男が黒い牛と出会い、やがて互いに心を通わせていく。『雨の詩』などの蔦哲一朗が監督などを手掛け、2023年に逝去した坂本龍一が音楽を担当した。ツァイ・ミンリャン監督作品で知られる『郊遊<ピクニック>』などのリー・カンション、舞踊家としても活動する『始まりも終わりもない』などの田中泯らが出演している」
ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「時代が急速に変化していく中、ある狩猟民の男(リー・カンション)が住む場所を失い、放浪の旅を続けていくうちに山中で黒い牛と巡り会う。彼は抵抗する牛を強引に連れて帰り、人里離れた民家で牛と共に暮らし始める。男と牛は食べていくために大地を耕すものの、自然の荒々しさを前になすすべもなかった彼らの生活が、ある禅僧(田中泯)との出会いをきっかけに変わり始める」
小倉紫雲閣に飾られた「十牛図」
「十牛図」を知らない人も多いのではないでしょうか。禅の思想によるもので、悟りに至る10の段階を10枚の図と詩で表したものです。作者は、中国北宋時代の臨済宗楊岐派の禅僧・廓庵(かくあん)。この「十牛図」、実はわたしは毎日のように目にしています。何を隠そう、サンレー本社と一体化している小倉紫雲閣の1階通路の壁面に飾られているからです。生前の父が「十牛図」を愛し、飾ったのです。父は曼荼羅もコレクションしていたので、宗派にはこだわらずに仏教的なイコンそのものが好きだったようです。
「真の自己」が牛の姿で表されているため「十牛図」といいますが、真の自己を求める自己は牧人(牧者)の姿で表されています。第一図「尋牛」、第二図「見跡」、第三図「見牛」、第四図「得牛」、第五図「牧牛」、第六図「騎牛帰家」、第七図「忘牛存人」、第八図「人牛倶忘」、第九図「返本還源」、第十図「入鄽垂手」によって構成されています。廓庵以降、十牛図は世の中に広まっていたとみられますが、十牛図の作例はそれほど多くないとされます。よく知られている作例としては室町時代前期の禅僧の絶海中津が描いた十牛図(相国寺蔵)、室町時代中期の画僧の周文が描いたと伝えられる十牛図(相国寺蔵)があります。
その「十牛図」をドラマ仕立てで解説したような映画が「黒の牛」です。禅に伝わる「十牛図」から紐解く悟りへの道。内なる宇宙と森羅万象。文明化する、とある島国。自然との繋がりを見失った狩猟民の「私」は、自分の分身とも言える牛と出会うのでした。モノクロ映像で、ほとんど画面は暗い印象でした。途中、真っ白な画面で無音になり、それが数分間続いたので、「映写機のトラブルか何かかな」と思いました。演出だとしたら、あれは長過ぎます。その後は、急にモノクロから総天然色のワイドスクリーンに一転。⻑編劇映画としては⽇本初の70mmフィルムが使われているそうですが、「だから何?」と思ってしまいました。
途中、リー・カンション演じる主人公の前に田中泯が演じる老人が現れます。老人は、「わたしは何ものにもなりたい。山になり、川になり、草になり、木になり、花になり、牛になりたい・・・・・・」と語るのですが、これは仏教の「山川草木悉皆成仏」の思想です。命を持たないように見える万物にも仏の心が宿っており、すべてが仏に成る(成仏する)という日本の仏教思想・自然観です。本来の仏教にはない概念で、平安時代の天台宗で独自に発展し、自然との調和や「共存の哲学」を表す言葉として使われています。ここでは、さらに命を持つ生き物の代表として「牛」が加えられているわけですね。
「ハリウッド・リポーター・ジャパン」のインタビューで、「キャスティングについてですが、リー・カンションさんを起用された理由について教えていただけますか?」という質問に対して、蔦哲一朗監督は「日本人でもなく、人間でもない存在という役柄だったので、ミステリアスな人を探していました。市山プロデューサーからリーさんを提案いただき、その身体性や余白のある演技がぴったりだと思い、お願いしました」と答えています。確かに、リー・カンションが演じた狩猟民は国籍も年齢も不詳というイメージでした。実際の彼は台湾の俳優・映画監督・脚本家であり、年齢は現在57歳です。そのわりには、肉体は引き締まっており、若く感じました。
「ハリウッド・リポーター・ジャパン」のインタビュアーは、「今おっしゃったようにセリフがない分、 強く表現というのはさらに難しくなると思うんですけど、 そこの指導、監督としてこうしてほしいという、演技において、 そういうコミュニケーションにおいても難しかった部分はありますか。?」とも質問しています。これに対して、蔦監督は「通訳を介して、最低限の言葉だけで伝えるようにしていました。言いすぎると混乱してしまうので、細かい演出はリーさんに委ねる形です。 リーさんは監督経験もあり、意図をすぐ理解してくれるので、アドリブも含めてそのサプライズを僕自身が楽しんでいました」と答えています。
「黒の牛」は2024年の東京国際映画祭でプレミア上映され、第49回香港国際映画祭にて日本映画として初の火鳥賞(グランプリ)を受賞しました。このたび日本公開を記念して、2026年1月24日、ヒューマントラストシネマ有楽町で舞台挨拶が行われました。蔦哲一朗監督、主演のリー・カンション、共演の田中泯、須森隆文が登壇し、MCを務めた市山尚三プロデューサーとともに、制作に10年を要した本作への思いを語っています。坂本龍一への感謝、牛との共演秘話、沈黙を通じた精神的交流などが明かされ、禅の思想「十牛図」をモチーフにした本作の静謐な世界観と、その奥深い映画体験が改めて紹介されました。
最後に、「黒の牛」というタイトルから、わたしは1956年のアメリカ映画「黒い牡牛」を連想してしまいました。メキシコの農村を舞台に、母を亡くした少年と1頭の子牛の絆を描いたドラマです。ハリウッドで赤狩りの標的となった脚本家ダルトン・トランボがロバート・リッチという偽名で原案を手がけ、1957年の第29回アカデミー賞で原案賞を受賞しています。貧しい農家に生まれ育った少年レオナルドは、母を亡くし父や姉と暮らしていました。母の葬式を終えた夜、レオナルドは落雷による倒木の下敷きとなって死んだ母牛のそばに、生まれたばかりの黒い子牛を発見し家に連れて帰ります。「黒の牛」のあまりにもスローな映像を見ながら、わたしは昔観たドラマティックでハートフルな「黒い牡牛」のことを考えてしまいました。ちなみに、「黒の牛」に出てくるのは牝牛だそうです。


