No.1300


 自宅の書斎で日本映画「モリのいる場所」のDVDを観ました。2018年に公開された作品で、上映館の1つだったシネスイッチ銀座で観たかったのですが、当時どうしても予定が合わず諦めました。最近、映画紹介のショート動画で本作を目にし、どうしても観たくなった次第です。大変面白かったです。こんな面白い映画、なかなかありません!
 
 ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「名優・山﨑努が主演を務め、『横道世之介』などの沖田修一と『キツツキと雨』以来に組んだドラマ。亡くなるまでのおよそ30年にわたり、庭の動植物を観察して描き続けた洋画家・熊谷守一をモデルに、晩年のある夏の1日を描く。山崎に熊谷のことを聞き、老画家を主人公にしたオリジナルストーリーを作り上げた沖田の脚本と演出、自身が敬愛する画家にふんする山崎の演技に期待が高まる」
 
 ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「画家の守一(山﨑努)は、草木が生え、いろいろな種類の生きものが住み着く自宅の庭を眺めることを30年以上日課にしていた。妻と暮らす守一の家には、守一の写真を撮る若い写真家の藤田、看板を描いてもらおうとする温泉旅館の主人、隣人の夫婦など、来客がひっきりなしだった」
 
 いや、この映画、本当にすごく面白かったです。日本映画界を代表する豪華出演陣の競演に加えて、笑えるユーモアもふんだんに盛り込まれています。時間は99分ですが、その完成度の高さに驚きました。なにしろ、映画の冒頭から林与一演じる昭和天皇の顔のどアップが映るのです。天皇は展覧会に飾られた熊谷守一(モリ)の絵画を観て、「これを描いた子は何歳ですか?」と質問するのでした。また、若き日の加瀬亮や吉村界人や青木崇高が良い味を出していますし、三上博史が謎の宇宙人役を、ブログ「地獄に堕ちるわよ」で詐欺師の男を好演した中島歩が郵便配達夫の役を演じています。

 昭和49年。94歳のモリは、東京都豊島区の古い平屋に住み、30年間も外出せずに暮らしていました。30坪足らずの庭の隅の池に行くのに、妻に「お気をつけて」と見送られるモリ。深い穴の底にある池は、モリが自分で掘ったものでした。小さな庭でも虫や植物を夢中で観察するために、池に辿り着かないモリ。地面に寝転がってアリを見つめるモリは、「アリは左の2番目の足から歩き出す」ことに気づいたりするのでした。ブログ「『みどりの日』は庭へ!」で紹介したように、わたしも自宅の庭で過ごす時間が何よりの癒しなので、モリの心ゆたかな生活に深く共感しました。

 モリは妻の秀子と2人暮らしですが、美恵ちゃんというお手伝いさんがいます。映画「モリのいる場所」は昭和49年のある1日を描いた物語ですが、朝昼晩と3回の食事の場面が登場します。朝食は、アジの開きとウィンナー。歯が1本もないモリは、おかずをハサミで切ったり、圧し潰したりして食べます。わたしは、「30年間も外出しないということだけど、歯医者さんにも行かなかったのかな」と思いました。昼は、来客と一緒にカレーうどん。そして、夜はマンション建設の工事業者たちと一緒にすき焼きとビフテキを食べるのでした。いずれも、"ザ・昭和の食卓"といった感じで良かったです。そして、美味しそうでしたね。
 
 映画「モリのいる場所」には、2人の日本映画界の大御所が出演しています。1人は山﨑努で、彼は1936年千葉県生まれ。俳優座養成所を経て文学座に入団。60年三島由紀夫の戯曲熱帯樹「熱帯樹」でデビュー。1963年、映画「天国と地獄」(黒澤明監督)の誘拐犯役で注目を集め、以降、幅広いジャンルで活躍。受賞歴多数。主な出演作品に、映画では「八つ墓村」(1977年)、「夜叉ヶ池」(1979年)、「影武者」(1980年)、「お葬式」(1984年)、「マルサの女」(1987年)、「あ、春」(1998年)、「おくりびと」(2008年)など。テレビドラマでは「必殺仕置人」(1973年)、「ザ・商社」(1980年)、「早春スケッチブック」(1983年)などがあります。2000年紫綬褒章、2007年旭日小綬章受章。なお一条真也の読書館『「俳優」の肩ごし』で紹介した著書には、山崎努の愛読書として一条真也の読書館『聖地感覚』で紹介した宗教哲学者の鎌田東二先生の著書が登場します。鎌田先生、すごい!

「モリのいる場所」に出演する日本映画界のもう1人の大御所は樹木希林で、彼女は1943年東京都生まれ。本作が公開されたのは2018年5月19日ですが、同年の9月15日に逝去しています。主な出演作品に、映画では「夢千代日記」(1985年)、「命」(2002年)、「わが母の記」(2012年)、「あん」(2015年)、「海よりもまだ深く」(2016年)、「万引き家族」(2018年)、「日々是好日」(2018年)など。テレビドラマでは「寺内貫太郎一家」(1974年)、「ムー」(1977年)、「ムー一族」(1978年)、「はね駒」(1986年)など。なお、 一条真也の読書館『希林のコトダマ』で紹介した本に書かれていますが、樹木希林も鎌田東二先生の著書が愛読書で、亡くなるときの最後の100冊に一条真也の読書館『超訳古事記』で紹介した本が入っていました。鎌田先生、すごい!

「モリのいる場所」の出演時、山﨑努は81歳、樹木希林は75歳でしたが、メガホンを取った沖田修一は39歳の若さでした。2人の大御所を前にしてさぞ緊張したことでしょうが、映画そのものは余計な力が抜けた穏やかな作品となっています。沖田監督は、1977年愛知県生まれ。2001年、日本大学藝術学部映画学科撮影・録音コース卒業。2002年に短編映画「鍋と友達」が、第7回水戸短編映像祭グランプリを受賞。2006年「このすばらしきせかい」で初めて長編映画を手掛け、2009年「南極料理人」で商業映画デビュー。この作品でその年に最も優れた新人映画監督に贈られる新藤兼人賞金賞を受賞。その他、第1回日本シアタースタッフ映画祭監督賞や第29回藤本賞新人賞を受賞。
 
「モリのいる場所」で山﨑努と樹木希林は素晴らしい夫婦の姿を見せてくれました。モリの妻・秀子は名家の出で人妻でしたが、貧乏なモリに嫁ぐために離婚して来た人でした。日頃から来客が多く賑やかな熊谷家を秀子は老体にムチ打って切り盛りしています。自宅の隣接地でマンション建設が始まると、作業員たちと仲良くなり、池の穴を埋める代わりに宴会でもてなすモリ。陽当たりが穴の上だけになるので、草や虫の居場所を作る為でした。夢に宇宙人が現れて、「広い宇宙へ」と誘われても、この庭で十分と断るモリ。「母ちゃんが疲れることが一番困る」と呟きます。モリと秀子は食卓で囲碁を打つのですが、そのルールがいい加減なのもホッコリしました。
 
 実際の熊谷守一は1880年(明治13年)生まれの画家です。日本の美術史においてフォービズムの画家と位置づけられています。しかし作風は徐々にシンプルになり、晩年は抽象絵画に接近しました。富裕層の出身でしたが、極度の芸術家気質で貧乏生活を送り、「二科展」に出品を続け「画壇の仙人」と呼ばれました。1956年(昭和31年)76歳のときに軽い脳卒中で倒れて以降、20年間は、30坪もない鬱蒼とした自宅の庭で、自然観察を楽しむ日々を送りました。1967年(昭和42年)87歳のとき、「これ以上人が来てくれては困る」と文化勲章の内示を辞退。また1972年(昭和47年)の勲三等叙勲も辞退しました。その意味では、映画「モリのいる場所」の冒頭に、昭和天皇が登場したのは何とも皮肉ですね。1977年(昭和52年)8月1日、老衰と肺炎のため97歳で逝去。墓所は多磨霊園。
 
 タイトルの「モリのいる場所」ですが、それはやはりモリの自宅の庭のことでしょう。一条真也の読書館『柔らかな犀の角』で紹介した山﨑努の著書で、山﨑氏は、「そこにいるだけで、何となく緊張が解け、リラックスできる所がある。旅に出ると、あちこちぶらぶら歩き回って、そういう場所を探す。ここだ、と手応えがあったら、その地点に居坐り、うつらうつらしたりしてのんびりと過ごす(以前、南の島でそれをやり、日射病で死にかけたことがあるが)。そんなスポットを僕はいくつか持っている。鎌田東二著『聖地感覚』(角川学芸出版)に依れば、そのような場は、その人の『聖地』なのだそうだ」と述べています。モリにとっての庭とは「聖地」そのものでした。そして、その庭が宇宙につながっていると宇宙人から聞かされ、「さあ、宇宙へ」と誘われても、「この庭で十分」「母ちゃんが疲れることが一番困る」と断るモリが最高でした。こんな面白い映画、今年10月25日で閉館が決まったシネスイッチ銀座で観たかったなあ!