No.0006
対抗馬だったジェームズ・キャメロン監督の「アバター」は3部門にとどまりました。
キャスリン・ビグロー監督は、ジェームズ・キャメロン監督の元妻です。
彼女は、元夫に圧勝したわけですね。はい。
「ハート・ロッカー」は2004年夏のイラクを舞台にした米陸軍の壮絶な物語です。
爆発物処理の仕事に従事するジェームズ二等軍曹が主人公です。
この爆発物処理という仕事、とにかく危険きわまりないのです。
戦地の他の軍人に比べ、死亡率は5倍も高いそうです。
まさに、世界一危ない仕事といっても過言ではありません。
それでも、ジェームズはこの仕事をやめられません。
一つの部隊での任務を終えると、また次の部隊に志願して、同じ危険な仕事を繰り返すのです。まるで戦争中毒者のように。
2003年12月、米戦略研究所はジェフリー・レコード教授の論文を発表しました。
それによれば、ブッシュ政権の戦略がアメリカを「終わりのない戦い」の中に置いたと糾弾しているそうです。
レコード教授は、アメリカの対テロ戦には、いつか限界が訪れると指摘しています。
オバマ大統領は財政上の裏付けのないイラク侵攻の幕を引き、アフガニスタンからも撤退しようとしています。
でも、戦争立国であるアメリカの戦いは決して終わりません。
この焦燥感をテーマとした「ハート・ロッカー」は、テロ撲滅のために始められたイラク侵攻が、むしろテロ撲滅の邪魔になっていることを見事に暴き出しています。
アメリカは敵がいないと存続できない国家なのでしょうか?
映画にはイラク人のDVD売りの男が出てくるのですが、彼の乗っている車が「TOYOTA」だったのは象徴的でした。
ちなみに、「ハート・ロッカー」とは「行きたくない場所」、あるいは「棺桶」を意味するそうです。全篇、息が詰まるような緊張感の連続で、死体もたくさん登場する殺伐とした映画ですが、唯一、心を打たれた場面がありました。
人間爆弾にされた殺されたイラク人の少年の亡骸を前に、クールなジェームズも動揺し、少年の遺体に白い布をかけてやった場面です。
わたしは、かのマザー・テレサがインドで野垂れ死にしそうな人々を「死を待つ人の家」に引き取って、彼らが亡くなった後は白い布をかけてあげたことを思い起こしました。
マザーはキリスト教のシスターでしたが、亡くなった人がヒンドゥー教徒やイスラム教徒であった場合は、彼らの宗教における祈りの言葉で弔ってあげたそうです。
まさに、死者を弔うことは宗教の枠などを超えた普遍的な「人の道」なのですね。
この映画は、やはり観る者に戦争について深く考えさせます。
わたしは常々、「戦争」の反対語とは「結婚」であると主張し、「結婚は最高の平和である」と語っていますが、主人公のジェームズは最高の平和に満足できませんでした。
彼には、かわいい妻と生後間もない息子がいます。
イラクでの任務を終えて家族のもとに戻ったジェームズは、スーパーマーケットに買い物に行き、妻から「シリアルを買って」と言われます。
数え切れないほどの種類のシリアルの棚を前に、ジェームズは呆然とします。
戦地では極限の集中力を使って、爆発物の場所をさぐり、無数の配線の中からどのコードを切断すればいいのかを選択しました。
コードの選択を誤れば、確実に死にます。
それに比べれば、朝食で食べるシリアル選びの何と無意味なことか。
日常生活の何と退屈なことか。
この映画の冒頭には、「戦争は麻薬である」という言葉が出てきます。
彼もその麻薬に取り付かれ、非日常の極限状態を体験しなくては「生」を実感できない体になってしまったのです。
最高の平和である「結婚」や「家族」も、「戦争」の刺激には勝てないのでしょうか。
夫婦の愛は、爆発物処理の緊張感の前には無力なのでしょうか。
夫婦といえば、アカデミー賞を競い合った元夫婦の監督による「ハート・ロッカー」も「アバター」も、アメリカの軍事戦略に対する痛烈な批判となっています。
たとえ離婚したとしても、元夫婦の志、ともに良しです。
別れても、ともに「戦争」を糾弾し、「平和」を訴えるカップルというのは素晴らしいですよね。この元夫婦こそは、ある意味で 「最高の平和」の産物かもしれません。
最後に、わたしの座席のすぐ近くに超大物作詞家であるR.N氏がいらっしゃったのですが、映画が終わった後、連れの女性に「やっぱ、アメリカ人って戦争キ○ガイだよね」と発言されていたのが印象的でした。