No.0020
映画「月に囚われた男」の原題は「ムーン」でした。
そこで思い出すのは、「ザ・ムーン」という映画です。
アポロ月面着陸40周年を記念して、2007年にイギリスで製作されました。
わたしの住む福岡県では上映していなかったので、東京出張の際に六本木ヒルズの「TOHOシネマズ」で、昨年の2月に鑑賞しました。
人類が初めて月に第一歩を刻んでから40年、わたしたち人類にとって月へ行くことの意味を問い直したドキュメンタリー映画の秀作ですね。
この作品は、大量のNASA蔵出し映像から構成されています。
アメリカの資料保管所に保存されているオリジナルの映像をデジタルリマスターした未公開映像の数々は非常に興味深いものでした。
宇宙飛行士が撮影した宇宙の映像は、やはりリアルです。
それらの秘蔵映像が保管所から持ち出されたのは60、70年代にほんの数回だけだそうです。オリジナル・フィルムはあまりにも貴重なため液体窒素で保存されているとか。
その価値あるフィルムによって何度も大画面に映し出された月面は、一言でいうと、まさに砂漠でした。「月は驚くほど美しい砂漠が支配する世界だった」との宇宙飛行士のコメントも紹介されていました。
加藤まさを作詞の「月の砂漠」は、わたしの大好きな童謡です。
でも、実際の月は砂漠そのものだったわけですね。
映画で月面の様子をながめながら、「童謡に月の砂漠の歌あれど 飛行士いはく月は砂漠よ」という短歌が浮かびました。
「ザ・ムーン」は、宇宙がいかに広大か、わたしたちの住む地球がいかに繊細かをあらためて思い知らせてくれました。
しかし正直なところ、今ひとつ盛り上がりに欠けたのも事実です。
その第1の理由は、おそらく龍村仁さんが監督された「ガイアシンフォニー」第1番をすでに観ているからだと思います。
最初は1992年の試写会で、鎌田東二さんと一緒に観ました。
また一昨年の11月にパーティーで鎌田さんから龍村さんを紹介されたのをきっかけに、「ガイアシンフォニー」のDVDを第1番から第6番までまとめて購入しました。
そのDVDを「ザ・ムーン」鑑賞の直前に観直したのです。
第1番には、「ザ・ムーン」には出ていないラッセル・シュワイカートも登場しています。
「ザ・ムーン」を観て、あらためて「ガイアシンフォニー」の素晴らしさを再確認しました。
第2の理由としては、なんだか「本当にアポロは月に行ったんだぞ!」というメッセージが強く感じられ、まるで月面着陸の証拠映画のように思えたからです。
周知のように、じつはアポロは月に行っておらず、月面の映像はハリウッドのスタジオでスタンリー・キューブリックが撮影したものであるなどの都市伝説が広まっています。
空気がないはずの月面で星条旗が揺れていたことなどが検証され、その噂を信じる者はアメリカのみならず世界中に存在するとか。関連出版物も多く出されていますね。
そんな噂を消す目的もあってか、映画のエンドロールには「僕たちは本当に月に行ったんだ!」という宇宙飛行士たちの言葉をしつこいぐらいに流していました。
その場面を観て、ドン引きしたというか、せっかくの映画による宇宙体験の感動が薄まってしまったような気がします。
あれほど真実性を強調するということは、逆に「もしや?」と思ったほどです。(笑)
「一人の人間には小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍だ」という有名なアームストロングの台詞のように、人類が月に降り立ったことは一大イベントでした。
すべては、1961年5月25日にケネディ大統領が「わが国は、60年代が終わる前に、人類を月へ送り、地球に無事帰還させる」と宣言したことが始まりでした。そして、1969年7月16日に打ち上げられたアポロ11号がついにその大いなる夢を果たしました。
映画からも、その当時の熱狂ぶりがひしひしと伝わってきますが、ヨーロッパの人々もアジアの人々も世界中の誰もが、アポロの月面着陸を「アメリカの偉業」とは呼ばずに「わたしたち(人類)の偉業」と呼んだことが印象的でした。
わたしも、アポロの月面着陸は人類の偉業であると心から思っています。
そして、「夢とは、かなうものだ」というメッセージをこれほど明確に示した事件はなかったように思います。
ここ最近の著書で「夢」よりも「志」の大切さを強調したせいでしょうか、わたしが「夢」という言葉を嫌っているように思う人がいるようですが、そんなことはありません。
人間が生きていくうえで、夢はとても大事なものです。
そして、夢というのは必ず実現できるものであると思います。
偉大な夢の前に、これまで数多くの「不可能」が姿を消してきました。
最初の飛行機が飛ぶ以前に生まれた人で、現在でも生きている人がいます。
彼らの何人かは空気より重い物体の飛行は科学的に不可能であると聞かされ、この不可能を証明する多くの技術的説明書が書かれたものを読んだことでしょう。
これらの説明を行った科学者の名前はすっかり忘れてしまいました。
しかし、あの勇気あるライト兄弟の名前はみな覚えています。
ライト兄弟の夢が人類に空を飛ばせたのです。
宇宙旅行もこれと同じです。
地球の重力圏から脱出することなど絶対に不可能だとされていました。
すなわち、学識のある教授たちが、1959年にスプートニク1号が軌道に乗る1年ほど前までは、こんなことは問題外だと断言し続けてきました。
その4年後の61年には、ソ連がガガーリンの乗った人間衛星船ヴォストーク1号を打ち上げ、人類最初の宇宙旅行に成功しました。
さらに69年にはアポロ11号のアームストロングとオルドリンが初めて月面に着陸。
ここに古来あらゆる民族が夢に見続け、シラノ・ド・ヴェルジュラック、ヴェルヌ、ウェルズといったSF作家たちがその実現方法を提案してきた月世界旅行は、ドラマティックに実現したのです。
気の遠くなるほど長いあいだ夢に見た結果、人類はついに月に立ったのです!
そして、そのとき、多くの人々は悟ったはずです。
月に立つことは、単なるアメリカの「夢」などではなく、人間の精神の可能性、こころの未来を拓くという人類の「志」であったのだという事実を。