No.0025
映画「闇の列車 光の旅」を観ました。
東京に来ているときは、なるべく東京でしかできない体験を心がけています。
ミニシアター系の映画を観ることもその一つです。
この映画は、2009年のサンダンス映画祭で監督賞と撮影監督賞を受賞した、感動的なロードムービーですが、日比谷シャンテでしか上映していないのです。
ホンジュラス移民の少女とメキシコのギャングの青年の2人が主人公です。
2人の偶然の出会いを軸に、現在の中南米の厳しい状況を描いています。
監督はこれが長編デビュー作となる新鋭のケイリー・ジョージ・フクナガですが、不法移民やギャングという闇の世界で生きる者たちの生き様に考えさせられます。
少女サイラは、父と叔父とともにホンジュラスを出て自由の国アメリカを目指します。 どうにかメキシコまでたどり着いた3人は、米国行きの列車の屋根に乗り込むことができて、ほっとします。
しかし、それもつかの間、ギャングの一味であるカスペルらが、移民たちから金品を巻き上げるために列車に乗り込んで来てきます。
そこから、物語は急転回します。
メキシコからアメリカを目指す移民の少女、ギャング組織に追われる少年。
2人が別々に歩んで来た道は、いつしか1本になります。
「eiga.com」で、芝山幹郎氏は次のように述べています。
「少女は密行をつづけ、少年は組織に追われる。ふたりとも切羽詰まっているのだが、恋愛感情は生まれず、淡い信頼関係だけが築かれる。だがふたりは、『信頼』にすがるほかない。リアルな設定ではないか。」
わたしは、この映画のもう一つの主役は貨物列車であると思いました。
そして、人生とは列車のようなものであるとも思いました。
オリエント急行のような豪華な人生もあれば、新幹線のような急ぎ足の人生もある。
そして、貨物列車のような過酷な人生もある。
また、この映画を観て、わたしは3本の名作映画を連想しました。
1本は、フランス映画「禁じられた遊び」です。
第2次世界大戦でドイツ軍の侵攻を受けたフランス。
主人公の戦争孤児である少女ポーレットは、少年ミシェルだけをひたすら信頼します。
その姿が、カスペルを信頼するサイラの姿に重なりました。
「禁じられた遊び」のラストシーンは、ポーレットが泣きながら群集の渦の中に巻き込まれてゆく場面です。わたしは「この子は、将来、娼婦にでもなるのだろうか。それ以外に生き延びる方法はあるだろうか」と暗澹たる気分になりました。
この「闇の列車 光の旅」のラストでも、サイラに対して同じことを思いました。
もう1本は、アメリカ映画「俺たちに明日はない」です。
貨物列車から降りて、生きるために逃走するカスペルとサイラが、連続強盗犯としてお尋ね者になったボニーとクライドの姿に重なりました。
観客の誰もがラストの展開をほぼ正確に予想しながらも、ハッピーエンドを望みます。
そこも、「俺たちに明日はない」と「闇の列車 光の旅」は共通しています。
そして、最後の1本は韓国映画「クロッシング」です。
この映画については4月27日のブログに感想を書きました。
北朝鮮からモンゴルに亡命する物語ですが、主人公の少年は国境線で絶命します。
「国の境目が、生死の境目であってはならない」とは、"国境なき医師団"のキャッチコピーです。これは医療だけの言葉ではないと思います。
それにしても、まだ世界中には祖国から逃亡しようとする人々が後を絶ちません。
ワールドカップに熱狂するのも素晴らしいことですが、この過酷な現実にも世界の人々は目を向けるべきだと思います。
日本だけでなく、世界全体が「最小不幸社会」になりますように・・・・・。