No.0029
映画「ラブリーボーン」をDVDで観ました。
2009年に作られたアメリカ・イギリス・ニュージーランドの合作映画です。
製作総指揮がスティーヴン・スピルバーグで、監督が「ロード・オブ・ザ・リング」3部作のピーター・ジャクソンという豪華版です。
物語の主人公は、スージー・サーモンという少女です。
彼女は大好きな家族と楽しく幸せな毎日を送っていました。
しかし、14歳の冬の日に、近所に住む変質者から殺されてしまいます。
スージーがたどり着いた天国は、夢のように美しい場所でした。
そして、そこには彼女と同じ運命をたどった少女たちの霊が待っていました。
スージーには、この世にやり残したことがありました。
そして、家族やボーイフレンドなど大切な人たちへの想いを抱えながら、父親の犯人探しをサポートします。
この感動ファンタジーで最もグッときたのは、スージーが自分の亡くなった年齢を妹が追い越し、恋人とファーストキスをするところを見つめる場面でした。
死者の悲しみや残してきた家族への愛情が見事に表現されていて泣けました。
また、家族を迫りくる危機から守ろうとする姿に、若くとも彼女は一家の「先祖」霊となったのだと思いました。
その「先祖」と会話をしたときは、「子孫」はどうすればよいのか。
この作品には、生者が花を捧げたり、ロウソクの灯りをともしたりすると、死者との心の交流ができるという場面がありました。
拙著『花をたのしむ』『灯をたのしむ』(ともに現代書林)に書いたように、花やロウソクの灯は死者と生者のコミュニケーションを可能にするメディアなのです。
美輪明宏さんなども、非常にこの映画を評価されていましたね。
欲を言うと、わたしはスージーが殺された後の犯人の人生に大きな不満が残りました。
やはり、犯人には罪を犯したことの罰を受けてほしかったです。わたしにも2人の娘がいますが、スージーの悲劇は他人事ではなく、その意味で非常に怖い映画でした。
特に、わたしの出張中に長女が怪我をしたとの知らせを聞いたこともあり、出来るだけ夜の送迎などを父親としてしなければと痛感した次第です。
じつは、「出版寅さん」こと内海準二さんが「ラブリーボーン」を映画館で観たことは知っていましたが、特に「良かった」という感想を聞かなかったので、あまり期待していませんでした。いやいやどうして、わたしは非常に感動しました。
こんなことなら、映画館で観たかったです!
たぶん、内海さんには息子さんはいても娘さんがいないので、この映画の持つ切なさが伝わらなかったのかもしれませんね。
わたしは常々、「死者を忘れて、生者の幸福など絶対にありえない」と広言しているのですが、その考え方が間違っていないことを裏付けてくれる感動作でした。
「ラブリーボーン」のDVD