No.0044


 師走の慌しい中、日本映画「最後の忠臣蔵」を観ました。
 原作は、『四十七人の刺客』などで知られる池宮彰一郎の同名小説です。
 それをテレビドラマ「北の国から」シリーズの演出で知られる杉田成道が映画化しました。

 師走といえば、多くの日本人は「忠臣蔵」を連想するぐらい、この物語は歌舞伎や映画やテレビドラマで繰り返されてきました。
 日本人の「こころ」のDNAになっていると言ってもいいかもしれません。
 わたし個人としては、「忠臣蔵」はあまり好きな物語ではありません。
 吉良上野介を一歩的な悪人として描いていますが、武家社会の「しきたり」を知らなかった浅野内匠頭長矩にも非は大いにあったと思っているからです。
 「しきたり」を知らなかったばかりか、教育係の吉良を逆恨みして殿中で斬りかかるとは、やはり許されない行為でしょう。また、赤穂浪士の討ち入りにしても、最後に無抵抗の老人を取り囲んで殺害するところが、どうも好きになれない。
 子どもの頃、一人で炭小屋に隠れていた哀れな老人にとどめをさす赤穂浪士の姿に、「こいつら、男らしくねえなあ!」と思った記憶があります。
 ちなみに、東急エージェンシー時代に、吉良上野介を主役として逆の視点から見た「忠臣蔵」の映画を作るという企画がありました。
 スポーツ・文化局長だった山下勝也さんという方がアイデアを語ってくれたことがあるのですが、その物語では赤穂浪士を狂気のテロ集団として描くのです。
 もちろん、その企画は実現しませんでしたが(苦笑)。

 赤穂浪士といえば、東急エージェンシーから独立してハートピア計画という企画会社を立ち上げたとき、最初は西麻布の森ビルに入っていたのですが、次にサンレーが東京都港区の高輪に購入したビルに移りました。
 そのビルは、ちょうど四十七士の墓がある泉岳寺の隣でした。
 人が訪ねてくる度に泉岳寺に案内し、何度も赤穂浪士の墓参りをしました。
 ちなみに、そのビルはとてつもない負のパワースポットで、そのビルを購入してから、会社もわたし個人も不運続きでした。
 ビルの最上階は社員用の寮になっていましたが、寝ている間に泉岳寺から武士の生首が飛んできた悪夢を見る者などもいました。わたしは、東急エージェンシーで変な映画を作ろうとしたために、赤穂浪士に呪われたのかもしれません。

 さて、この映画「最後の忠臣蔵」には、「元禄赤穂事件」すなわち、赤穂浪士の吉良邸討ち入り事件で大石内蔵助をはじめ赤穂浪士たちが切腹して主君に殉じた中、ひそかに生き残った2人の男が登場します。
 討ち入り前夜に逃亡した瀬尾孫左衛門に役所広司、討ち入りを後世に伝えるため逃がされた寺坂吉右衛門を佐藤浩市が熱演。杉田監督は役所広司と佐藤浩市のことを「日本のアル・パチーノロバート・デ・ニーロ」と称しています。
 そのほか山本耕史、笈田ヨシ、伊武雅刀、安田成美ら演技派が脇を固め、「赤い糸」の桜庭ななみが可憐なヒロインを演じています。

 詳しくストーリーを書くとネタバレになってしまいますが、心あたたまり、非常に考えさせられる名作でした。やはり、「日本のアル・パチーノロバート・デ・ニーロ」の演技力は抜群でしたね。16年ぶりに再会した2人が橋の上と下に分かれ、上にいる佐藤浩市が長いセリフを言う場面があるのですが、泣けました。
 また、この映画のすごいところは二重のハッピーエンドが用意されているところです。
 これも詳しく書くとネタバレになりますが、1つめのハッピーエンドは祝言に向う嫁入り行列のシーン。「結婚は最高の平和である」という言葉を地で行く名場面でした。
 日本映画史上、これほどドラマティックな嫁入り行列は初めてではないでしょうか。

 もう1つのハッピーエンドは意外に思われるかもしれませんが、ある重要な登場人物の死です。それも大往生などではなく、自ら命を絶つ切腹です。
 現代人の死生観からいえば、切腹がハッピーエンドであることなどありえないでしょうが、この映画では紛れもなくハッピーエンドでした。
 そこには「死すべき存在」である武士の姿が見事に描かれていました。
 かつて、この国の武士たちは、その体内に死を宿らせていました。
 『葉隠』に「武士道といふは死ぬ事と見付けたり」とあるように、武士たちは常に死を意識し、そこに美さえ見出しました。生への未練を断ち切って死に身に徹するとき、その武士は自由の境地に到達するといいます。そこではもはや、生に執着することもなければ、死を恐れることもなく、ただあるがままに自然体で行動することによって武士の本分を全うすることができ、公儀の為には私を滅することができたのです。
 「武士道といふは死ぬ事」の一句は実は壮大な逆説であり、それは一般に誤解されているような、武士道とは死の道徳であるというような単純な意味ではありません。
 武士としての使命を果たし、理想の生をいかにして実現するかを追求した、生の哲学の箴言なのです。

 さて、「最後の忠臣蔵」の大きなテーマに「忠」というものがあります。
 そもそも、「忠臣蔵」そのものが「忠」を中心にした物語です。
 「忠」とは、その字が「心」と「中」から成るように心の中心、つまり真心や誠意のことです。 わが国の江戸時代において、忠とは、あくまで自分の仕えている殿様に対して真心を尽くすことでした。「忠臣蔵」にあるように、わが殿様を侮辱する他の藩の人間がいるならば、同じ日本人であっても、この忠という名のもとに殺してもよかったのです。
 しかし今だ「忠臣蔵」の人気は衰えないとはいえ、内蔵助の行為は結局、自分のボスの復讐に徒党を組んで共謀して殺人をした、と現在の常識では言わなければなりません。
 ここでは忠という徳目は、限られた一つの藩の殿様のために尽くす態度なのです。

 この忠というコンセプトが最初に考えられたとき、人々は何を考えていたか。
 忠は『論語』の中にある徳目であり、曽子という孔子の高弟の一人が、忠について「我日に三度己を省る。人に諮りて忠ならざりしや」と言っています。
 ここでの人とは、すべての人です。目上や所属団体というように、何か自分より上位の存在に対して忠実であるという考えではなくて、およそ人ならば誰に対しても心の中心から、つまり誠から接しなければならないというのです。
 すべての人に誠を尽くしているかどうかを反省してみようという、そういう非常にヒューマンな考えなのですね。ですから孔子の時代において、忠とは他人に対して、それが目上であろうと、目下であろうと、あるいは異民族の者であろうと、およそ人であるならば、真心から接する態度と考えられていました。
 忠の本来の意味とは、人に対する誠実さ、対人的なシンセリティの自覚なのです。
 最後に、「最後の忠臣蔵」に登場するすべての人物に悪人が1人もいなかったことに驚きました。まったく悪人が登場しない映画を、わたしはあまり観たことがありません。
 その意味で、今年の最後に良い映画を観ることができて幸せでした。
 この映画を観て、これまで嫌いだった「忠臣蔵」の物語が何だか好きになりました。

  • 販売元:ワーナー・ホーム・ビデオ
  • 発売日:2011/06/15
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