No.0052
DVDで日本映画「掌の小説」を観ました。
桜が満開のこの季節に、ふさわしい作品でした。
ノーベル文学賞を受賞した文豪・川端康成の集大成が『掌の小説』です。
122篇の短編小説が収められていますが、その中から「桜」にまつわる作品を映像化し、4本の短編映画にまとめたオムニバスです。
日本の美は「風景」や「風土」に現れていますが、究極的には「桜」に集約されます。
その日本美のシンボルである「桜」をテーマに、海外でも評価の高い4人の新進気鋭の監督である岸本司、三宅伸行、坪川拓史、高橋雄弥が、それぞれの映像美を見せてくれます。吹越満、香椎由宇、福士誠治など人気、実力派俳優も共演しており、第22回東京国際映画祭の「日本映画・ある視点部門」に正式出品されました。
「掌の小説」のDVD
この映画には、次の4本の短編映画が収められています。
売れない作家の夫と、自分の死期が近いことを知っていて「足が淋しい」と言う病床の妻の心の交流を描く「笑わぬ男」。
妾として生きている女が、少女時代に故郷で出会った"ありがとさん"と呼ばれているバスの運転手を思い返す「有難う」。
映画館で自国の歌を歌うロシアの少女アンナに魅せられた青年が、夜な夜な彼女が寝泊りする木賃宿に通う「日本人アンナ」。
来る日も来る日も同じ木の下で凧を上げ続ける老人が、ある日街の雑踏の中に今は亡きかつての恋人の姿を見つける「不死」。
それぞれのストーリーを美しい桜の花が彩ります。
そんなに感動するとか、人生観が変わるといった映画ではありません。
ただ物語が淡々と流れていき、無常観のようなものが漂っています。
そして、その無常観は川端康成の文学に一貫して流れているものでもあります。
もともと、わたしは小学校の頃から川端の『伊豆の踊子』が大好きだったのですが、大人になってからは『みずうみ』とか『眠れる美女』といった作品を好むようになりました。
川端の文学には「美しさ」と「哀しみ」と「死の香り」があります。
それは谷崎潤一郎の文学にも通じるものかもしれませんが、つまるところ「桜」の文学ということでしょう。咲き誇る満開の桜には、「美しさ」も「哀しみ」も「死の香り」もありますから。桜の文学といえば、谷崎の『細雪』がすぐに思い浮かびますが、川端の『掌の小説』もまた桜の文学であることに、この映画を観て気づきました。
川端康成『掌の小説』(新潮文庫)
原作の『掌の小説』は高校生の頃に愛読しました。
なにしろ、それぞれの短編が文庫本で2~3ページしかありませんので、ちょっとした時間ですぐ1つの作品を読めるのが嬉しかったです。
しかし、短くとも、川端の短編には大河小説のエッセンスが濃縮されたような密度を持っていました。そして、そこには市井の人々の人生が込められていました。
たとえば、『掌の小説』には「お信地蔵」という作品があります。
お信地蔵とは、山の温泉宿の裏庭にある大きな栗の木の蔭にある地蔵です。
川端は、その由来について次のように書きます。
「名勝案内記によると、お信は明治五年に六十三で死んだのだそうだ。二十四の時、亭主に先立たれてから一生後家を立て通したという。つまり、村の若者という若者を一人漏らさず近づけたのである。お信は山の若者たちを一切平等に受入れた。若者たちはお互いの間に秩序を立ててお信を分かち合った。少年が一定の年齢に達すると村の若者たちからお信の共有者の仲間に入れてもらった。若者が女房を持つとその仲間から退かせられた。こういうお信のお蔭で、山の若者は七里の峠を越えて港の女に通うことなく、山の乙女は純潔であり、山の妻は貞潔だった。この谷間のすべての男が谷川の釣橋を渡って自分の村に入るように、この村のすべての男はお信を踏んで大人になったのだった」
この後、ちょっとした物語が続くのですが、いかがですか?
たった300字ほどの文章で、なんと豊かな人生の情景が広がってくることでしょうか!
お信の顔も、お信を共有した村の若者たちの顔も、ありありと浮かんでくるようです。
まことに、川端康成という人は魔術的な作家であったと思います。