No.0058
日本映画「東京公園」を観ました。
今度の「北九州映画祭」にこの作品が出品されることになり、わが社にスポンサーにならないかという打診が某新聞社からあったのです。ちょうど「小倉コロナシネマワールド」で上演されていたので、早速、関係者と一緒に観に行きました。
新聞社の方が、わが社に声をかけてきたのには2つ理由があるそうです。 1つは、この映画が「死」をテーマにしていること。
もう1つは、青山真治監督が北九州の出身だということです。わが社の企画部長は、青山監督とわたしが新聞紙上で対談するプランを考えていると言っていました。
青山監督は、北九州市立緑丘中学から福岡県立門司高校の出身だそうです。
1964年生まれですから、わたしの1学年下ですね。わたしは中高ともに違う学校に通っていましたが、北九州のどこかで会ったことがあるかもしれませんね。
門司高校から立教大学に進んだ青山監督は、映画研究会に所属しました。
在学中は、かの蓮實重彦先生に学び、深い影響を受けたそうです。
卒業後はフリーの助監督として、ダニエル・シュミットや黒沢清といった監督につきました。ちなみに、黒沢監督はわたしの大好きな監督で、彼の「降霊」はホラー映画の最高傑作であると思っています。その黒沢監督のもとで修行した青山監督は、オリジナルビデオ「教科書にないッ!」で初監督を務め、故郷である門司を舞台にした「Helpless」で商業映画デビューを果たしています。
代表作である「EUREKA」はカンヌ国際映画祭の国際批評家連盟賞・エキュメニック賞を受賞します。また、自身でノベライズ小説『EUREKA』を書き、第14回三島由紀夫賞を受賞するという多才ぶりを見せています。なお、奥様は女優のとよた真帆さんです。
さて、最新作の「東京公園」ですが、第64回ロカルノ国際映画祭で金豹賞審査員特別賞を受賞しています。主人公であるカメラマン志望の大学生・光司を三浦春馬が演じ、彼の義理の姉に小西真奈美、親友の元カノを榮倉奈々、彼が写真を撮るミステリアスな女性を井川遥が演じています。
光司は東京の公園を巡り、家族写真を撮りためていました。
ある日、いつものように被写体に向けてシャッターを切っていると、突然現れた男性に難癖をつけられ、光治はその男に連絡先を教えます。
しばらくして、その男性から連絡が入り、2人は再会します。
男は、光治に奇妙な依頼をしてきました。それは、娘連れで公園を散歩する女性を尾行し、その写真を撮ってほしいという内容でした。
この作品には、いくつかストーリーにサプライズがあります。
ですので、ネタバレにならないように、これ以上書くのは控えておきます。
観終わって、わたしの心に残ったのは、ただただ主役の三浦春馬の魅力でした。
わたしは別にホモでもゲイでもありませんが(笑)、美しい男性が大好きです。
いま、日本人男性で一番美しいのは三浦春馬ではないか・・・・・。
本当にそう思えるぐらい、彼はキラキラ輝いていました。
この映画には、井川遥、榮倉奈々、小西真奈美といった美女が登場しますが、はっきり言って、三浦春馬の輝きの前では影が薄かったですね。
ただし、この映画の感想は、それだけでした。あとには、何もありません。
新聞社の方が言うように、「死」をテーマにしているとは思いませんでした。
この作品に「死者」は出てくるけれども「死」がテーマではないと思いました。
どりらかというと、生きている者の「愛」のほうがメインテーマではないでしょうか。
愛は、人間にとって、もっとも価値あるものです。実話にしろ、フィクションにしろ、さまざまな愛の物語が、わたしたちの魂を揺さぶってきました。
少し前には、恋人の少女が白血病という難病に冒されたというストーリーの純愛小説『世界の中心で、愛をさけぶ』などに多くの人々が感動しました。
ハリウッド映画の「タイタニック」や「きみに読む物語」にしろ、日本映画の「ホタル」や「男たちの大和」にしろ、ハンカチなしには観れなかった人がたくさんいたようです。
韓流ブームを巻き起こしたドラマ「冬のソナタ」もありましたね。
これらの作品には、ある1つの共通項があります。
すべての作品が、「愛」と「死」の2つのテーマをもっていることです。
かつて、その名も『愛と死をみつめて』という若い男女の往復書簡集がベストセラーとなり、吉永小百合主演で映画化されたことを思い出す人もいるかもしれません。
「愛」と「死」は、あらゆる人にとって最大のテーマではないでしょうか。
考えてみれば、古代のギリシャ悲劇からシェィクスピアの『ロミオとジュリエット』、伊藤左千夫の『野菊の墓』といった古今東西の感動の名作は、すべて「愛」と「死」をテーマにした作品であることに気づきます。
「愛」はもちろん人間にとってもっとも価値のあるものです。ただ、「愛」をただ「愛」として語り、描くだけではその本来の姿はけっして見えてきません。そこに登場するのが、人類最大のテーマである「死」です。「死」の存在があってはじめて、「愛」はその輪郭をあきらかにし、強い輝きを放つのではないでしょうか。「死」があってこそ、「愛」が光るのです。そこに感動が生まれるのです。逆に、「愛」の存在があって、はじめて人間はみずからの「死」を直視できるともいえます。
ラ・ロシュフーコーという人が「太陽も死も直視できない」と有名な言葉を残しています。たしかに太陽も死もそのまま見つめることはできません。
でも、サングラスをかければ太陽を見ることはできます。同じように「死」という直視できないものを見るためのサングラスこそ「愛」ではないでしょうか。
誰だって死ぬのは怖いし、自分の死をストレートに考えることは困難です。
しかし、愛する恋人、愛する妻や夫、愛するわが子、愛するわが孫の存在があったとしたらどうでしょうか。人は心から愛するものがあってはじめて、みずからの死を乗り越え、永遠の時間の中で生きることができるのです。
いずれにせよ、「愛」も「死」も、それぞれそのままでは見つめることができず、お互いの存在があってこそ、初めて見つめることが可能になるのではないでしょうか。
「東京公園」には、さまざまな「愛」の"かたち"が登場します。
しかしながら、「死」を中途半端に描いているために、「愛」そのものの"かたち"をうまく浮かび上がらせることができなかったように思います。そこが残念でした。
もっと「死」に正面から向き合えば、完成度の高い作品になったのではないでしょうか。 「死」をテーマした映画といえば、今月1日から東京で「エンディングノート」が公開されています。3日からの東京出張で時間が取れれば、ぜひ観賞したいと思います。