No.0062
今年も押し迫った中、日本映画「源氏物語 千年の謎」を観ました。
というのも、鎌田東二先生から『遠野物語と源氏物語~物語の発生する場所とこころ』(創元社)という編著をお送りいただき、その本の頁をパラパラと繰りました。
すると、『源氏物語』のことが無性に気になってきたのです。
そこで、超拡大ロードショーを続けているこの映画を観に行きました。
『源氏物語』といえば、日本が世界に誇る長編恋愛小説です。
この映画は、『源氏物語』の誕生の秘密に斬新な解釈で迫った作品です。
「愛の流刑地」の鶴橋康夫監督がメガホンを取ったということで、エロティックな描写が多いのかと思いましたが、それほどではありませんでした。
作者である紫式部が生きる現実の世界。光源氏らが生きる物語の世界。
その2つの世界が時空を超えて重なっていくさまを描き出しています。
映画の冒頭に、満月が湖の水面に映る場面が出てくるのですが、天上の月と湖面の月という"2つの月"が現実と物語の"2つの世界"のメタファーになっていました。
また、この映画はなんといっても映像美が素晴らしかったです。
豪華絢爛な宮廷行事の再現は、非常に見応えがありました。
平安貴族の風習も、ディティールにこだわって、よく描けていたと思います。
改めて思うのは、平安の文化とは唐の文化、すなわち中国王朝文化のコピーであったこと。雅楽や舞踊の美しさも、その源流には中国があります。
平安京も、とことん長安の都を再現すべく生まれました。
光源氏と彼を取り巻く宮中の女性たちの物語
ネタバレにならないように、ストーリーを簡単に紹介します。
平安時代、紫式部という文才のある1人の女人が、京の都にやって来ます。
藤原道長からの頼みで、彼の娘・彰子の教育係として京の都に来たのでした。
道長は、自分の娘が帝の子を産むことを強く望み、紫式部にある命を下します。
それは、帝の心を奪うような魅力的な物語を紡ぎ出すことでした。
そこで式部は、絶世の美男である光源氏と彼を取り巻く宮中の女性たちの物語を執筆します。やがて、源氏を愛するあまり生霊になってしまった六条御息所の情念と、道長への恋心を秘めて執筆に打ち込む式部の心が重なっていきます。
キャストは、紫式部を中谷美紀、藤原道長を東山紀之、そして光源氏を生田斗真が演じています。しかし、中谷美紀と東山紀之の存在感が大きすぎたようです。
主役の生田斗真の影が薄くなってしまい、彼には気の毒でしたね。
特に「ヒガシ」こと東山紀之の道長はよく合ってました。
平安貴族の衣装も似合うし、舞いも優雅で、色気がありました。
20年前ならば、ヒガシが光源氏を演じていれば、最高のはまり役だったでしょう。
今ならば、個人的には三浦春馬か岡田将生の光源氏が見てみたかったです。
あと、源氏の継母である藤壺を演じた真木よう子が美しかったですね。
そして、六条御息所を演じた田中麗奈の熱演が光りました。
この映画から「助演女優賞」が出るとしたら、間違いなく田中麗奈でしょう。
源氏の正妻である葵の上を呪い殺す場面は迫力満点でしたが、なんとなく田中麗奈の怖い顔が映画「ゲゲゲの鬼太郎」で演じた猫娘に見えてしまいました。
この物語の特長の1つは、陰陽師を全面に出しているところです。
この時代は、鬼や怨霊といった超自然的存在を人々が恐れ慄く時代だったのです。
陰陽師の代表的存在である安部清明が要所要所に登場するのですが、清明を演じた窪塚洋介の存在感が薄いのが残念でしたね。現実世界に生きる清明が、物語世界の中に入って六条御息所の生霊と対決するシーンは面白かったですが。
それから、清明は「紫式部の顔には凶相が出ている」と道長に進言します。
物語という虚構世界を築き上げて、言葉の力で人々の心を変容させる物語作家が黒魔術師に通じるところがあるというのです。もちろん、作家は言葉の力によって人々の心を癒すこともできるわけで、その場合は白魔術師にもなります。
平安時代に活躍した陰陽師と物語作家は、どちらもマジシャンだったのですね。
最後に、この映画にはじつによく満月が登場しました。
道長と紫式部が絡み合う冒頭シーンから、満月が出ています。
そして、満月の妖気に導かれて死霊が道長を襲いますが、それを清明が陰陽道によって退治すると、死霊は満月に吸い込まれていきます。
ラスト近くでは、煌々と輝く満月を見て、道長が「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」という有名な歌を即興で詠みます。
「この世は、自分(道長)のためにあるものだ。だから満月が欠けることもない」という意味ですが、わたしは「天を見上げれば、夜空に輝く満月こそは彼岸であり、すべての人が死後に帰る故郷だ」という想いを込めて、「天仰ぎ あの世とぞ思ふ 望月は すべての人が かえるふるさと」という歌を詠んだことがあります。