No.0104
日本映画「クロユリ団地」を観ました。
元AKB48の前田敦子主演のジャパニーズホラーです。この映画を観た理由は2つあります。1つは、中田秀夫が監督だから。もう1つは、「孤独死」をテーマにしていると知ったからです。
物語の舞台は、老朽化したクロユリ団地。そこへ移り住んできた明日香(前田敦子)は、隣室で何かを引っかくような音を聞きます。また早朝に目覚まし時計が鳴り出して、いつまでも鳴り止まないことが続きます。ある日、彼女は隣室で亡くなっている老人を発見します。死後数日が経過した、いわゆる孤独死でした。それを機に明日香の周囲では奇怪な現象が続いて起こります。また、助けを求めていたはずの老人を救えなかったという罪悪感から、明日香の精神は疲労を募らせていきます。彼女は、遺品整理で隣室を訪れる特殊清掃員・笹原(成宮寛貴)の協力を得て、亡くなった老人の真意を探ろうとするのでした。
三度の飯よりもホラー映画の大好きなわたしですが、この映画を観た率直な感想は「なによ、これ?」でした。正直、「残念な映画だなあ」と思いましたね。
とは言っても、槍玉にあがりやすい前田敦子の演技のせいではありません。彼女の演技は想像以上に良かったです。薄幸そうな表情、暗い表情、不安な表情・・・・・あらゆるネガティブな表情をさせたらピカイチの女優ではないでしょうか。そして、それらの表情は恋愛ドラマとか学園ドラマなどではなく、なによりもホラーに求められるものです。さらには、ホラーの肝である絶叫シーンも合格点を与えることができます。つまり、前田敦子はホラー女優に向いている!
彼女に比肩するキャラクターといえば、奥菜恵ぐらいでしょうか?
彼女をサポートする役柄の成宮寛貴も、なかなか良い味を出していました。
でも、両主演の熱演をぶち壊したのは、手塚理美演じる霊能者。1人で除霊を行っているときは、それなりの雰囲気があったのですが、手下を連れて本格的なお祓いで祈祷の呪文を唱えるシーンはマンガそのものでした。インチキ新興宗教の匂いがプンプンしますし、祈祷の呪文はコメディとしか思えませんでした。
残念ながら、この映画は脚本も演出も満足できるレベルではありません。ストーリーも、「牡丹燈籠」と「異人たちとの夏」の出来損ないみたいでした。特に、CGを使ったラストシーンは最悪でした。よくも、あんな興醒めするラストを思いついたものです。ラストが酷評されたSF映画「プロメテウス」といい勝負ですな。
まったく、あの中田秀夫監督がメガホンを取ったとは到底思えません。
中田監督といえば、1996年に発表したデビュー作「女優霊」は名作でした。当時、あんな怖い映画は観たことがなく、ものすごいインパクトでした。また、「リング」(1998)、「リング2」(1999)もJホラー時代の幕を開けた傑作でした。
さて、「クロユリ団地」には、ミノル君という少年が登場します。
すでに予告編や各種のPRにおいてミノル君は主人公の明日香にとって禍々しい存在であることが知られていますので、ネタバレにはならないと思います。
彼は特殊メイクでひたすら観客を怖がらせようとするのですが、それが遊園地のお化け屋敷みたいで、あまりにもショボいのです。
なんだか、ミノル君を演じている子役の男の子が可哀想になりました。
怖さでいえば、清水祟監督の「呪怨」「呪怨2」に登場した俊雄君のほうが遥かに上です。あの全身を白塗りした俊雄君はムチャクチャ怖かったですもん!
中田監督のインタビューによれば、スウェーデンのホラー映画「僕のエリ 200歳の少女」にインスパイアされて「クロユリ団地」を作ったそうです。公式サイトによれば、中田監督はインタビューに答えて次のように語っています。
「今回オリジナルのホラーを作ると決まったときにまず思ったことは、ただ恐いホラーではないものを作りたいということです。ジャンルはホラーですが、ストレートに恐怖を打ち出すよりも、悲しみをたたえた内容の方がいまの時代には合っている。その線で話を練っている中で、スウェーデンのホラー映画『僕のエリ 200歳の少女』という作品を思い出したんです。少女(に見える)と学校で疎外されている少年という孤独な二人が、結びつこうとしても結びつけない。悲しい宿命を負い、心に傷持ったもの同士の物語を、現代の日本を舞台に作ってみたいと思いました」
「僕のエリ 200歳の少女」はわたしも大好きな作品で、DVDも持っています。
でも、いくら贔屓目に見ても、あの名作と「クロユリ団地」はつながりません。
また、「クロユリ団地」では、孤独死というテーマが取り上げられています。
中田監督は、インタビューの中で次のように語っています。
「医学が進歩し、いまや日本は世界でも一二を争う長寿の国になりましたが、貧富の格差が広がって年金ギリギリの生活をするひとり暮らしの老人が急増しています。現代社会が持つある種の歪みというか、人と人が孤立したまま生きるという、理想とはほど遠い現実が目の前にある。また、隣人と友だちになりたいと思ってはいても、ちょっとした行き違いやすれ違いのためにかなわない。昔ハリネズミ症候群という言葉が流行りましたが、針が邪魔をして人同士が結びつけないでいるその隙間に、この世のものではない何者かが入ってくる。図らずもそちらと繋がってしまう怖さや哀しさ、それがこの映画のテーマです」
そのようなテーマの中で、中田監督が舞台として選んだのが団地でした。
中田監督は語ります。「高度成長期を背景に、次々に団地が建ちはじめてから50年ほど経過しました。そんな現在、知らない隣人同士が住む部屋が無機質に並んだ団地を舞台にしたら、どんなことが起きるだろうと膨らませていったんです。ちょうど老人の孤独死を盛り込もうと話をしていた時に、実際に映画の内容とよく似た孤独死があって、ぞわぞわしたのを覚えています。調べてゆくと、団地では月に3、4件の孤独死が重なることも珍しくない。たぶんこれからは、ニュースにもならなくなるだろうと言う人もいます」
孤独死は社会問題にもなっており、わたしもずっと関心を抱いてきました。
わたしのブログ記事「孤独死講演会」に書いたように、2010年7月27日、東京で「孤独死に学ぶ」と題する講演とディスカッションを行いました。
全互協の総会イベントでしたが、わたしのお相手に「孤独死の防人」こと中沢卓実さんをお招きしました。中沢さんは千葉県松戸市の常盤平団地自治会長であり、特定非営利法人「孤独死ゼロ研究会」理事長でもあります。かつて「東洋一のマンモス団地」と呼ばれた常盤平団地は、全国のニュータウンに先駆けて53年前に建設されました。常盤平団地は「孤独死防止のメッカ」とされ、さまざまな取り組みが行われていることで知られています。
それは、2000年秋に起きました。
72歳の一人暮らしの男性の家賃の支払いが滞ったために何度も公団から催促状が発送されたにもかかわらず、何の連絡もありませんでした。異常を感じた管理人は警察に連絡し、警察官がドアを開けます。そこにあったのは、キッチンの流しの前の板間に横たわる白骨死体でした。
かつての「東洋一の団地」に衝撃が走り、住民たちは、「自分たちの団地から、孤独死が出るなんて!」「隣人とのつながりとは、そんなに希薄なものだったのか」「恥ずかしい、人に知られたくない」という気持ちをそれぞれ抱いたそうです。誰もが大きなショックを受けました。みんな、孤独死とは団地などではなく、特別な状況下で起こるものであると思い込んでいたからです。しかし、さらに独居老人の多くなった常盤平団地で、孤独死が続きます。
そこで立ち上がったのが、中沢氏を会長とする常盤平団地自治会のメンバーでした。「孤独死ゼロ」を合言葉に、崩壊したコミュニティを復活させるという目標を立てます。そして、団地自治会を中心に、常盤平団地地区社会福祉協議会、民生委員が一緒になって、孤独死問題に対処するためのネットワークやシステムを作りました。みなさんの努力が実って、常盤平団地の孤独死は激減しました。今では「孤独死防止のメッカ」とも呼ばれるようになりました。
クロユリ団地のモデルが、この常盤平団地であることは明らかです。監督によれば、クロユリは、"呪い"や"秘めた恋"という花言葉が、映画を言い表していることから使ったとか。しかし、わたしは「孤独死ゼロ」に向けての中沢さんたちの血の滲む努力を知っていますので、団地での孤独死がホラー映画の題材に使われたことに違和感と不快感をおぼえました。団地そのものの描き方、さらには遺品整理業者やゴミ回収業者の取り上げ方にも偏見のようなものを感じました。
そういえば、大昔のホラー映画に出てくる葬儀業者や霊園業者の描き方は偏見に満ちていました。そのような特定の職業を貶めることなく、人間心理の恐怖を描くことは可能であると思います。かの蓮実重彦氏の弟子でもある中田秀夫監督ならば、安易な怪奇映画のマンネリズムに陥ることは良しとしないはず。
中田監督の次回作に期待したいと思います。