No.0124
渋谷の宇田川町にある「アップリンク」でフランス映画「美輪明宏ドキュメンタリー~黒蜥蜴を探して~」を観ました。
前から観たかった作品ですが、ずっと「東京都写真美術館」でのみ上映されていました。その上映時間も非常に限られていたため、上京のたびに観賞を試みるも果たせずにいました。それが、新たな場所として渋谷の「アップリンク」に移ったことを知りました。1日1回、それも朝のみの上映ですが、わたしは「どうしても観たい!」と機会を狙っていたのです。やっと実現しました。
「アップリンク」の外観
上映室は快適でした
いくつかの上映室のある「アップリンク」の中で、わたしは40席ほどの部屋に通されました。大ぶりのソファーが置いてあって、なかなか快適な空間です。わたしは、その前から3列目の真ん中のソファーに座って観賞しました。最初、観客はわたし1人でしたが、上演開始後15分ぐらいして、もう1人入ってきました。
1時間ちょっとの作品でしたが、とても興味深く、夢中になって観賞しました。
「ああ、台風の中、わざわざ観に来て正解だったなあ!」と思える作品でした。
この映画は、深作欣二監督の映画「黒蜥蜴」で、ヒロインを演じた美輪明宏さんに魅了されたフランス人監督パスカル=アレックス・ヴァンサンが手掛けたドキュメンタリーです。新しいアーティスト像を作り上げた美輪さんの華麗な活動の歴史と実像に見事に迫っています。
冒頭に、映画「黒蜥蜴」のアクションシーンが登場します。
ナレーターが「一見、B級映画のようだが・・・」と言った後で、「製作は日本を代表する映画会社の松竹。小津安二郎や溝口健二の作品を世に送り出した会社が製作しているだ」と説明しているのが、なんだか可笑しかったです。
フランスの巨匠コクトーが作った「双頭の鷲」の舞台で主演を果たし、フランスの歌姫ピアフの「愛の讃歌」をフランス語で歌う美輪明宏さん・・・・・この稀代のアーティストを、フランス人映画監督であるパスカル=アレックス・ヴァンサンはけっして「ギミック」とは見なさず、それどころか偉大な芸術家としてリスペクトしていることが、映画を観ているうちによくわかりました。
ドキュメンタリーというだけあって、貴重な自宅での取材も行われています。
幼少時の思い出に始まって、天使のような中性的美貌がもてはやされた歌手デビュー時代、ホモセクシュアルであることへのプライドなどが本人の口から語られるのですが、あまりにも一本筋が通っているというか、その毅然とした生き方に深い感動を覚えました。映画の最後の「どんなことがあっても、私を支えてくれたのは愛でした」という一言には魂が震えました。本当に凄い人です!!
三島由紀夫、寺山修司との思い出が語られ、横尾忠則や北野武や宮崎駿といった仕事仲間も続々登場します。日本の戦後文化史をそのまま体現したような美輪さんの華麗なる軌跡に圧倒されます。
しかしながら、特に印象に残ったのは三島由紀夫との思い出でした。
同性愛者でもあった三島が美輪明宏(当時は丸山明宏)に恋心を抱いていたことは有名です。でも、そんな三島に対して、若き美輪さんは冷たい態度を取り続けます。最後は、芸術的連帯感から、三島の戯曲である「黒蜥蜴」に主演し、それは現在も続く美輪さんの代表作となったのでした。
最近読んだ『トラウマ恋愛映画入門』(集英社)という本で、著者の町山智宏氏はウディ・アレンの「アニー・ホール」を取り上げています。恋人ダイアン・キートンと共演したアレンが、ニューヨークに住むコメディアンのアルヴィを演じた映画ですが、町山氏はこう述べています。
「人が恋し続けるのは、卵が欲しいからだ、とアレン=アルヴィは言う。彼とキートンは、『アニー・ホール』という素晴らしい卵を残したのだ」
それにならえば、三島由紀夫と美輪明宏は「黒蜥蜴」という素晴らしい卵を残したと言えるのではないでしょうか。わたしは、そう思います。
わたしが『魂をデザインする』(国書刊行会)で対談した横尾忠則さんが出演しているのも嬉しかったです。横尾さんは寺山修司が主宰する劇団「天井桟敷」の美術関係の仕事をしていたそうですが、当時のエピソードも興味深かったです。
また美輪さんとの思い出を語った後、「ボクを起用すれば、美輪さんもまた新しい世界が創れるのに!」とちゃっかり売り込みをするところがチャーミングでした。
横尾さんがお元気そうで何よりですが、それにしてもあの頃、三島由紀夫、寺山修司、横尾忠則、美輪明宏といった過剰な才能たちが同時代を生きていたことは信じられないような気がします。このメンバーに加えることができるとすれば、あとは澁澤龍彦くらいでしょう。三島も寺山も澁澤も早々とこの世を去ってしまいました。美輪さんと横尾さんには末永く活躍していただきたいと思います。
美輪さんと三島由紀夫邸について話す
わたしは美輪さんにお会いしたことがあり、その「オーラ」に感服した人間です。
わたしの書斎と社長室には、2000年12月14日、美輪さんに松柏園ホテル のクリスマス・ディナーショー出演をお願いしたとき、ロイヤル・スイートで撮影したツーショット写真が飾られています。
あのとき、わたしのブログ記事『三島由紀夫の家』で紹介した篠山紀信の写真集の中にある若き美輪さんが三島邸のホームパーティーを訪れている写真を見ながら、わたしたちは今は亡き三島由紀夫について語り合ったのでした。
美輪明宏さんは日本人の宝物です!
今ではもうセピア色の思い出ですが、あのとき美輪さんから言われた言葉はわたしの人生に大きな影響を与えてくれました。その言葉の内容をここに書くわけにはいけませんが、心の底から美輪さんに感謝しています。
昨年末のNHK「紅白歌合戦」では、美輪さんの「ヨイトマケの唄」に日本中が酔いしれました。本当に、すべての日本人にとっての宝物のような方だと思います。