No.0129
全国的に風の強かった10日の日曜日の夜、わたしは映画「赤い影」のDVDを自宅の書斎で観ました。原題は「DON'T LOOK NOW」で、英国ホラー映画の傑作としてカルト的な存在の作品ですが、わたしのブログ記事「『慈を求めて』校正」に書いたゲラ・チェックの合間、息抜きに観賞したのです。
「一条真也の読書館」で紹介した『トラウマ恋愛映画入門』で、この映画の存在を初めて知ってから、ずっと観たいと思っていました。そして、ついに観ました。
いやあ、もう冒頭から画面に引き込まれて、気づいたら105分が経過してエンドロールが流れていましたね。かの『エクソシスト』と同じ1973年に製作された、いわゆる「オカルト・サスペンス」ですが、これは大変な傑作だと思いました。
この作品は、イギリスとイタリアによる合作映画です。『鳥』や『レベッカ』などアルフレッド・ヒッチコックの映画の原作で知られる小説家ダフネ・デュ・モーリアの短編を映画化しました。監督は「映像の魔術師」と呼ばれたニコラス・ローグ。
最初の舞台はイギリス。かわいい息子と娘を持つバクスター夫妻は幸せに暮らしていました。しかし、突如として愛娘クリスティン(シャロン・ウィリアムズ)が池で水死してしまい、悲しみのどん底に突き落とされます。
わが子の水難事故の数ヶ月後、考古学者のジョン(ドナルド・サザーランド)は教会修復の仕事でイタリアのベニスを訪れますが、傷心の妻ローラ(ジュリー・クリスティ)を同行します。ある日、食事を取るために入ったレストランでバクスター夫妻は年老いた姉妹と邂逅します。姉ウェンディ(クレリア・マタニア)が言うには、盲目の妹ヘザー(ヒラリー・メイソン)には霊感があるといいます。そして、そのへザーは亡くなったクリスティンの姿が見えるというのです。レストランで夫妻の間に座っていたクリスティンは赤いレインコートを着ており、「自分は幸せだから心配しないで」と言ったと、へザーはローラに告げました。
その直後、ローラは失神してしまいます。目が覚めたローラは、もう悲嘆の極限から立ち直り、晴れやかな表情になっているのでした。
その後、姉妹と再会したローラは、亡き娘の言葉を借りたヘザーから「ベニスを去らなければ、ジョンの身に危険が降りかかる」と忠告されます。しかし、霊媒の言葉など信じようとしないジョンは妻の警告をまったく取り合いません。
ローラは大きな不安を覚えますが、ちょうどその頃、ベニスでは不可解な連続殺人事件が起きていました。また、それと合わせるように、ジョンの周囲では奇怪な出来事が起こり始めるのでした。
この映画、観ているうちに非常に不安な気分になってきます。
その理由は主に2つあります。1つは全編にわたって観客の目に飛び込んでくる「赤」の色彩です。撮影監督出身のニコラス・ローグらしく、赤を基調とした烈しい色彩を効果的に用いています。バロック的な映像の引力と、カットバック映像を凝らした目くるめく回想(フラッシュバック)で幻想的な世界を創り上げています。
映画の冒頭でクリスティンが着ているレインコートの「赤」に始まって、ジョンが仕事で使っているスライド写真にこぼす血の「赤」、ベニスで同じホテルに泊まっている男のガウンの色である「赤」、その他にも至る所に「赤」い色彩の物体が登場します。なお、M・ナイト・シャマランは「赤い影」の影響を強く受けていることで知られ、彼の代表作「シックス・センス」(99年)では幽霊が出現するシーンに予兆として赤い色が画面に現れています。
「赤」といえば、「赤い影」のラスト近くでは、赤頭巾ちゃんが振り向いて顔を見せる非常にショッキングな場面が登場します。83年に新宿のシネマスクエアで初めて『赤い影』を観たという映画評論家の町山智宏氏は、著書『トラウマ恋愛映画入門』で、「今まで映画を観た経験のなかで最もショッキングな瞬間だった」とさえ述べ、次のように書いています。
「この小さな『赤頭巾』はホラー映画のアイコンになった。デヴィッド・クローネンバーグの『ザ・ブルード』(79年)、ダリオ・アルジェンドの『フェノミナ』(85年)、ジョエル・シュマッカーの『フラットライナーズ』(90年)、M・ナイト・シャマランの『ヴィレッジ』(04年)、イーライ・ロスの『ホステル』(05年)、その他数え切れないほどの映画にそれは登場する」
もう1点、観客を不安にさせるものが「水」です。クリスティンが落ちた池、バクスター邸を出るときに降っていた雨、いずれも不気味なイメージを漂わせます。
わたしのブログ記事「雨の日、霊を求めて」に書いたように、「水」と「霊」には深い関連性があります。「湿った恐怖」といえば、わたしの心には1本の映画のタイトルが浮かびます。もう何回も観ている作品ですが、"Seance on a Wet Afternoon"という1964年製作のイギリス映画です。日本では、「雨の午後の降霊祭」というタイトルです。わたしは、この「雨の午後の降霊祭」を世界一怖い映画ではないかと思っているのですが、霊媒が重要な役割を果たすところといい、オカルトとサスペンスを見事に融合させた部分といい、9年後に作られた「赤い影」は明らかに「雨の午後の降霊祭」の影響を受けているように思います。
そして、「水」といえば、ベニスという「水の都」が舞台となっていることを忘れてはなりません。水は「不安定な精神状態」のシンボルでもあります。
その水が街中に存在するベニスには、人間の精神状態に影響を与える力を秘めていると言えるでしょう。「ベニス」とはヴェネツィアの英語読みですが、わたしは、かつて『ハートビジネス宣言』(東急エージェンシー)の「ハートビジネス宣言―あとがきに代えて」で、次のようにヴェネツィアについて書きました。
「ヴェネツィアはアドリア海に浮かぶ大小の島々を数多くの橋と運河とで結んでつくられた美しい海上都市だ。文明都市で唯一、車がまったく走っていない街でもある。したがって交通手段はといえば、船か徒歩しかない。狭い路地をようやく抜けて小さな運河に出る。橋をわたって再び狭い路地へ入る。それを抜けて、やっと広場に出るが、そこは見知らぬ場所である。長く歩きつづけると、いつしか迷宮に迷い込んでしまったような不思議な気分になってしまう。
あらゆる橋あらゆる建物からはギリシャ神話の神々の彫頭やカーニバルの仮面などが世界をじっと見おろしている。
この街は明らかに、人間の意識を変容させる魔力をもっている。
ライアル・ワトソンも『生命潮流』の冒頭に書いていたが、ヴェネツィアには現実のものとは思えないところがある。何かとりとめのない、夢の中の像のようなはかなさが柔らかな光と暗い水、古い18世紀の家具と超近代的なガラスの組み合わせには漂っているのだ。この魔法の街で、ワトソンはテニス・ボールの表面と裏面を反転させる奇妙な超能力をもった少女に出会ったという。
たしかに、ヴェネツィアでなら何が起こっても不思議ではない気がする」
「赤い影」こそは、ヴェネツィアの魔術性を見事に表現した映画だと思います。
最後に、この映画には映画史上に残る、ある有名なシーンが存在します。
それは、約5分間にもおよぶジョンとローラのセックスシーンです。
なんでも、映画そのものが成人指定にならぬように数箇所修正したそうですが、公開当時から大変な話題となったそうです。「赤い影」が製作されたのは1973年でしたが、日本公開は10年後の1983年でした。もし、ともに73年に作られた「エクソシスト」と同じく74年に日本で公開されていたとしたら、オカルト映画を見逃さなかったわたしは、必ず映画館で観賞したことでしょう。
その結果、この5分の夫婦の愛の営みを見て、小学5年生のわたしは鼻血ブーッ(古い!)になったことと思います。それは必ずや、わたしの心に強烈な印象を残し、その後の人生に多大な影響を与えたような気がします。もちろん、良くない影響です。また、くだんの赤頭巾が振り向くシーンも少年には刺激が強過ぎたことでしょう。やはり、町山氏が言うように、この映画はとんでもないトラウマ映画です。こんな映画、夢みる少年時代に観なくて、本当に良かった!(笑)