No.0136


 今日は、7日に公開されたばかりの日本映画「利休にたずねよ」をシネプレックス小倉で観ました。
 10スクリーンある中で、最も小さなスクリーンでの上映でした。
 しかし、公開直後の日曜日ということもあって観客はけっこう多かったです。

 この映画の監督は田中光敏氏ですが、じつは小倉のわが家に来られたことがあります。2003年に公開された「精霊流し」のロケ地としてわが家を使えないかと見学に来られたのです。北九州フィルムコミッションのスタッフも一緒でした。田中監督は、リビングの壁一面に並べられている大量の映画のビデオソフト(当時はまだDVDの普及前でした)を見て非常に驚かれ、わたしに向って「とても映画がお好きなんですね」と言われました。築80年近いレトロ建築であるわが家を田中監督は気に入って下さいましたが、なんと1ヵ月間にわたって自宅を明け渡さなければならないと聞いて、わたしはお断りしました。
 そんなことを懐かしく思い出しながら、この「利休にたずねよ」を観たのですが、しみじみと静かな感動をおぼえる名作でした。

 映画公式HPの「イントロダクション」には、「新しい利休像を追求した直木賞受賞小説の完全映画化」のタイトルで、以下のように書かれています。


「利休・・・・・彼こそは『茶聖』とまで称えられた至高の芸術家。『美』に対する見識や独創性の数々には、かの織田信長や豊臣秀吉でさえ一目を置いたという。もしも、その崇高なまでに研ぎ澄まされた美意識が、若い頃に体験した情熱的な恋に始まっているとしたら......?大胆な仮説のもとに希代の茶人の出発点を取り上げ、第140回直木賞を受賞した山本兼一の歴史小説『利休にたずねよ』(PHP文芸文庫)。それは、まさに美の本質に迫る極上のミステリーにして、心を焦がす究極のラブストーリー。もはや歴史小説の枠を超えた傑作が今、長編映画として新たな生命を宿す」

 同HPの「ストーリー」には、以下のように「あらすじ」が綴られています。


「雷鳴がとどろく雨嵐の早朝、3千もの兵に取り囲まれた利休屋敷。
 太閤・豊臣秀吉(大森南朋)の命により、今まさに希代の茶人・千利休(市川海老蔵)は自らの腹に刃を立てようとしていた。
 死に向かう夫に対して妻・宗恩(中谷美紀)がたずねる。
 『あなた様にはずっと想い人がいらっしゃったのでは・・・』
 その言葉が、利休の胸中に秘められた、遠い時代の記憶を蘇らせていく。
 かつて利休は織田信長(伊勢谷友介)の茶頭として仕えていた。
 信長にまで『美は私が決めること』と豪語する彼の絶対的な美意識は、やがて信長家臣の秀吉をも虜にする。信長の死後、天下統一を果たした秀吉の庇護のもと、"天下統一の宗匠"として名を馳せる利休。
 しかし、その名声はしだいに秀吉の心に渦巻く"むさぼり"に火をつける。
 愛する者を奪われ、立場が危ぶまれていく利休。
 『残るあやつの大事なもの・・・』
 利休がひた隠しにする、彼に美を教えた"何か"。秀吉が執拗に追い求めるその秘密は、青年時代の利休の記憶に隠されていた。
 若かりし頃、利休は色街に入り浸り、放蕩の限りを尽くしていた。
 そんなある日、高麗からさらわれてきた女と出逢う。
 その気高き佇まいと美しさに、一目で心を奪われた彼は、後に彼の師匠となる茶人・武野紹鴎(市川團十郎)の手引きのもと、かいがいしく女の世話を焼くことになり、しだいに2人は心を通わせていく。
 しかし女は一国の王への貢ぎ物であり、それは叶うはずのない恋。
 やがて別れの時を目前に迎えた夜、利休の情熱がある事件を引き起こす。
 はたして、その先に利休が見たものとは・・・・・。
 時の権力者をも畏れさせた茶聖・千利休の正体とは?
 美への情熱。禁断の恋。彼の心に秘められた謎に迫る」

 まず、なんといっても「茶聖」と呼ばれた利休を歌舞伎界のプリンス・海老蔵が演じる。これに勝る話題性はないでしょう。茶道も歌舞伎も日本を代表する文化であり、しかも流行語大賞にもなった「おもてなし」の主な源流は茶道にあります。
 さすがに形式の芸術である歌舞伎の世界に生きる海老蔵の所作はまことに美しく、見事に新しい利休像を見せてくれました。
 利休の妻・宗恩を演じた中谷美紀も良かったですが、彼女は映画そのものよりも、最優秀芸術貢献賞を受賞した「第37回モントリール世界映画祭」での美しさが印象的でした。モントリオール最古の教会での茶事も、その後のスピーチも素晴らしかったです。東京五輪プレゼンの滝川クリステルもいいですが、中谷美紀もジャパニーズ・ホスピタリティ=「おもてなし」の女神だと思いましたね。

 また、利休の師匠である武野紹鴎を演じた市川團十郎と海老蔵との父子共演も大きな話題となりました。わたしのブログ記事「市川團十郎さんの葬儀に思う」に書いたように、今年3月3日に66歳で亡くなられた團十郎の本葬が同月27日、東京都港区の青山葬儀所で営まれました。
 喪主で長男の海老蔵は、亡き父がパソコンに残した辞世の句「色は空 空は色との 時なき世へ」を読み上げ、「父が自分の最後を悟っていたのを気づかずに大変申し訳なく、情けない思いがしました」と声を震わせました。團十郎の生前最後の言葉は、「みんなありがとう」だったそうです。それを明かした海老蔵は、「父は皆様に感謝する心をとても大切にする人でした、そんな父に成り代わりまして一言いわせて下さい。皆様、本日は本当にありがとうございました」と深々と頭を下げました。わたしはそれを見て、「素晴らしい挨拶だなあ」と感銘を受けました。そして、「海老蔵は、やっぱり千両役者だ!」とあらためて思いました。

 歌舞伎は、世界に誇る日本独自の演劇です。もともと世界の各地で、演劇の発生は葬儀と深く関わっています。葬儀とは、世界創造神話を再現したものだといわれます。1人の人間が死ぬことによって、世界の一部が欠ける。その不完全になった世界を完全な世界に修復する役割が葬儀にはあるのです。また、演劇とは王の死の葬送行事として生まれたという説もあります。葬儀と演劇は非常に近く、ともにこの上なく非日常的なのです。
 海老蔵は、亡き父である團十郎の葬儀の喪主として挨拶することが、市川宗家の跡取りとして、また1人の歌舞伎役者として、一世一代の大舞台であることをよく理解していたように思います。海老蔵の独特の間のある挨拶を「芝居がかっている」と思った人もいるそうですが、わたしは「役者なのだから、芝居がかっているのは当たり前ではないか!」と思います。それに、「息子が私という苦労絶えない人生」の一言は名言です。なかなか凡人は言えるセリフではありません。
 この一言で、彼はあの騒動の禊を完全に済ませたと思いました。いや、まことに立派な喪主挨拶でした。「成田屋!」と声をかけたくなるほどに・・・・・。

 葬儀といえば、映画の中で利休夫妻は愛娘を亡くします。
 悲しみのどん底で利休は一服の茶を点て、妻の宗恩に差し出します。
 「そして、これはそなたのために点てた茶だ。悲しい思いばかりさせて、すまぬ」と言うのでした。そのとき、宗恩は「ようやく出来たのですね。あなたの理想の茶が・・・」と言うのでした。この場面には胸を打たれました。

 わたしはこの場面から、本木雅弘と宮沢りえが夫婦役を演じている「伊右衛門」のCMを連想しました。本木・宮沢の2人が利休夫妻を演じても良かったかもしれませんね。また、本木雅弘の代表作である「おくりびと」の納棺師役を海老蔵が演じたらどうなるかなども想像してしまいました。
 「おくりびと」が世界中で絶賛されたのは、納棺師の所作の美しさがありましたが、それは明らかに茶道や歌舞伎の形式美に通じています。茶を点てることはグリーフケアにもなりうるのではないかと思いました。

 市川海老蔵・中谷美紀以外の配役も良かったです。大森南朋の秀吉もいい味を出していましたが、何よりも伊勢谷友介の信長が良かった!
 わたしのブログ記事「清須会議」で紹介した時代劇では、彼は信長の弟・三十郎信包を演じましたが、その初登場シーンは信包というより信長そのもののイメージでした。それで「伊勢谷友介に信長を演じさせれば良かったのに!」と思っていたのですが、この「利休にたずねよ」で堪能することができました。わたしは某パーティー会場で彼に会ったことがありますが、非常に礼儀正しい好青年でした。わたしが彼が主演した「CASHEERN」を絶賛すると、はにかんだような表情で喜んでくれました。でも、スクリーン上での彼の演技には秘めた狂気のようなものが感じられ、信長役にはぴったりだったと思います。

 その信長と利休が初めて会う場面では、満月が重要な役割を果たしました。
 この映画のテーマは「美」ですが、日本人の美意識の原点はなんといっても「花鳥風月」、その中でも「月」にきわまると思います。利休は「茶聖」と呼ばれましたが、「歌聖」と呼ばれた西行も、「俳聖」と呼ばれた芭蕉も、いずれも月をこよなく愛し、膨大な数の作品を残しています。
 「花鳥風月」といえば、映画の中では利休夫妻が小鳥の幻燈を楽しむシーンも登場しました。利休の美意識とはけっして堅苦しいものではなく、きわめて遊び心に満ちていたことがわかります。利休の「遊び心」は平等性や平和性を秘めたものでしたが、その最高傑作こそは彼の作った茶室でした。

 茶室はこの上なく狭い空間です。しかし、そこにいる者の心を自由にしてくれる空間でもあります。わたしのブログ記事「キャプテン・フィリップス」で紹介した映画でも狭い空間が舞台となりました。フィリップス船長が海賊とともに乗り込んだ救命艇です。救命艇での密室劇は息詰まるものがあり、観ていて非常に疲れました。一方で、「利休にたずねよ」に登場する茶室での密室劇は観ていて心が安らぎました。もちろん、わたしはこれが日米の文化の差などと言う気は毛頭ありません。第一、海賊と一緒の救命艇と茶室を比較しても意味がないでしょう。大事なことは、茶室という狭い空間が広い「こころの宇宙」に通じていることです。
 この映画は、数々の伝説の茶器も登場する茶道映画です。
 それと同時に、「こころの宇宙」を見つめる茶室映画でもあります。

 『茶をたのしむ』(現代書林)にも書きましたが、茶室は狭い空間をつくり出すところに、その美学があったと言えます。室内装飾の簡素化と、その空間を縮小しようとしたことから、「わび」や「さび」といった茶の新世界が出現したのです。コロンブスは広い海の彼方に新大陸を発見しましたが、茶文化のコロンブスであった村田珠光は、逆に書院座敷を四畳半に区切り、その空間を屏風で狭く囲った瞬間、新しい別の宇宙を発見したのです。
 そして、より簡素化された草庵茶室を完成させた千利休は、四畳半茶室にさらなる「縮み」のベクトルを導入しました。三畳、二畳、ついには一畳台目という極小空間に至り、それを利休は理想の茶室としたのです。

 利休によって、茶はさまざまな心的情報を飲む者に与えるということを日本人の前に示してきました。まず、茶室で茶を飲むと人は「平等」になります。
 そもそも茶室の中における主人と客人との関係は、主従関係を離れた対等の関係でした。そこでは、身分の差を超えて、あくまで個人対個人の関係だったのです。近代民主主義の時代ならともかく、身分制と主従関係を基本として構成されている前近代社会の中にあって、このような人間関係が茶室の中で実現したことは奇跡的でさえありました。そして、この奇跡の空間において、「一期一会」という究極の「おもてなし」の精神が生まれ、育まれていったのです。

 さらに利休は、偉大な心理学者であり、一流の空間プランナーでもありました。
 『リゾートの思想』(河出書房新社)に書いたように、茶室には、露地、中門、飛石、蹲踞(つくばい)、躙口(にじりぐち)といった、利休が張りめぐらせたさまざまな仕掛けを見つけることができます。そこでは天下人も富豪も、他の人々と同じ歩幅で敷石を踏み、必ず頭を下げなければ中には入ることができなかった。中に入った後も、狭い空間ゆえに互いに正座して身を寄せ合わなければなりません。茶室では、すべての人間が平等となるのです。

 また、茶室で茶を飲むと人は「平和」になります。
 かつては武士といえども必ず刀を預けてから茶室内に入りました。
 刀のような武器ほど茶室に似合わないものはありません。
 茶室で点てられる、もてなしの茶は主人自身がみんなが一部始終を見ている前で点てられました。このことは重要です。それまでの茶は、殿中の茶と呼ばれるものでした。つまり宴会の料理と同じで、別の部屋で点てた茶、作った料理が」運ばれてきたのです。それだと、こっそり毒を入れたものが運ばれてくるかもしれません。殿中の茶を飲むことは、大変な不安や不信感を伴うものだったのです。そんな不安や不信感を拭い去る画期的な作法こそ、主人自らが抹茶を取り出し、それを茶碗に入れて点てるという点前(てまえ)だったわけです。

 そしてその主人の点てた濃茶は、みんなで廻し飲みされました。この作法は茶に毒が入っていないこと、すなわち安全が保障された飲み物であることを確認することでした。人間の相互不信を解消し、逆にそのまま相互信頼の関係をつくってゆく、茶室はまさに平和な空間にほかなりませんでした。
 茶室の平和性は、その空間内においてあらゆる宗教が溶け合うことにも現れています。現在のユダヤ、キリスト、イスラムの一神教同士の対立が人類を危機的状態に追い詰めている事実からもわかるように、本来、人間を幸福にする平和エンジンであるべき宗教が実際は戦争エンジンと化す場合が多々あります。
 しかし、わたしは茶室とはあらゆる宗教が共生する場所であると考えています。なぜなら、総合芸術としての茶室を宗教面から見ると次のようになるからです。


 手水鉢で手を洗う・・・・・・神道
 掛軸・・・・・・仏教
 茶室内の作法・・・・・・儒教
 方角や位置・・・・・・道教
 袱紗・・・・・・キリスト教

 このように、茶室の中には日本人の心に影響を与える主な宗教のエッセンスが込められているわけです。まさに茶室は究極の平和空間!

 さらに、「利休にたずねよ」を観て気づいたことがありました。利休が盆に水を浮かべて夜空の満月を映したり、枯れかけたムクゲの花を水に与えて命をよみがえらせるシーンがありました。 彼は水というものの力を知り尽くしていました。そして、彼がきわめた茶の湯の道こそは、水を湯と化して、さらには茶に変える芸術にほかなりません。その茶によって、人の心に平安をもたらす。
 利休こそは、「水の白魔術師」だったのではないでしょうか。
 そう、茶の湯とは日本が生んだ幸福創造のホワイト・マジックだったのです!

 人類の歴史は「四大文明」からはじまりました。ナイル河・チグリス=ユーフラテス河、インダス河、黄河の4つの巨大文明は、いずれも大河から生まれました。
 『世界をつくった八大聖人』(PHP新書)や『涙は世界で一番小さな海』(三五館)にも書きましたが、孔子、ブッダ、ソクラテス、イエスの「四大聖人」は、大河の文明を背景として生まれた「水の精」ではなかったかと思います。そして、利休という「水の魔術師」の体内には偉大な「水の精」たちも潜んでいたのではないでしょうか。だから、彼は茶の聖人、すなわち「茶聖」と呼ばれたのです。

 しかし、「聖人」であるはずの利休は、「天下人」である秀吉によって切腹に追い込まれます。その理由は、大徳寺の山門に利休像を置いたからだとか、娘を秀吉の側室として献上しなかったからだとか、または利休が高額で茶器を売り買いしたからだとか、いろいろ言われたようです。
 でも、真の理由はだた1つ。秀吉が利休の人気を嫉妬したからです。
 考えてみれば、信長が本能寺の変で死亡せずにそのまま「天下人」となっていれば、利休の運命も大きく変わっていたかもしれません。信長と秀吉では、「美」に対する理解の度合いにおいて雲泥の差でしょうから。秀吉ほど、「美」を理解できないというか、教養がない人間もいないでしょう。あのキンピカの黄金の茶室など、醜悪のきわみであり、日本文化の恥です。

 「清須会議」で大泉洋が演じた秀吉は、「天下人」になる前の愛嬌あふれる人物でしたが、「利休にたずねよ」で大森南朋が演じた秀吉は権力欲の権化でしかありませんでした。この映画では、朝鮮出兵を決意した頃の秀吉の嫌らしさをよく描いていました。大徳寺の和尚は「あの方の欲は貪りじゃ」と言って、秀吉の貪欲ぶりを指摘しましたが、いつの世でも初心を忘れて権力の座に固執する馬鹿がいるものです。無利子の金を借りて、まるで子ども銀行券みたいな(笑)借用証を示すような某知事などもその1人でしょう。
 いずれにしても、秀吉と利休はまったく正反対の人間だった気がします。

 冒頭に、切腹を控えた利休が「この世は、武力や銭金だけで動いているのではないぞ」とつぶやくシーンがあるのですが、それを見て、なぜかわたしのブログ記事「堤清二氏の死去」で書いた故・堤清二氏のことを思い出してしまいました。
 あの方がこの映画を観たら、どんな感想を抱いたことでしょうか。

 利休は朝鮮出兵に反対し、それが切腹への一因となるわけですが、この映画では彼の心に高麗の美女が住んでいました。日本にさらわれてきた彼女と利休の心の交流および悲しい恋は観客の涙腺を緩ませてくれます。しかし、このような物語の設定自体、現在の茶道界の人々が観たら複雑な感情を持つことでしょう。しかも、利休が彼女のために点てた茶には、ある物が混入されます。 この描写だけは「許しがたい」と思う人もいるのではないでしょうか。
 「利休にたずねよ」というタイトルの由来が、妻の夫に対する疑心というのも、何だかスケールが小さいというか、ショボイ感じがしてなりません。

 たとえフィクションであるにせよ、利休は聖人なのですから、「聖なるものは汚してはならない」というのがわたしの率直な感想です。
 最後に、晩年の利休を演じる枯れた海老蔵も悪くはありませんでしたが、放蕩の限りを尽くしていた若い頃の利休を演じた場面は本当に生き生きとしていましたね。映画の完成披露会見で、中谷美紀が「平成の狼藉者」と海老蔵のことを呼んだシーンが思い出されました。いや、なかなか味わい深い映画でした。

  • 販売元:キングレコード
  • 発売日:2017/02/22
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