映画「ウォルト・ディズニーの約束」を観ました。
 「夢と魔法だけでは作れない映画がある」のキャッチフレーズで公開されたばかりですが、その内容は名画「メリー・ポピンズ」の誕生秘話です。

 先日、甥の大学合格を祝う食事会を開いたのですが、そのとき、甥がウォルト・ディズニーの理念に深い関心を抱いていることを知り、わたしも若い頃、ディズニーの思想と人生に惹かれていたことを思い出しました。「一条真也の読書館」で紹介した『9割がアルバイトでも最高のスタッフに育つディズニーの教え方』への書評にも書いたように、わたしが大学1年生のときに東京ディズニーランドがオープンしました。その衝撃は今でも憶えています。「夢と魔法の国」に魅せられたわたしは、おそらく100回以上はディズニーランドに足を運んでいると思います.

 わたしは処女作『ハートフルに遊ぶ』(東急エージェンシー)から『ハートビジネス宣言』(東急エージェンシー)まで8冊の本を書いて10年間の休筆期間に入ったわけですが、その8冊すべてには東京ディズニーランドが登場しています。それぐらい、若い頃のわたしは、ディズニーランドに夢中なのでした。「ハートフル」という言葉も、ディズニーランドをイメージして考えたぐらいです。

 ディズニーのアニメも好きで、ディズニー・クラシックは全作品を観ました。ビデオソフトやDVDもせっせと買い揃え、2人の娘たちにも見せてきました。もちろん、「メリー・ポピンズ」も何度か観ました。「なぜ、アニメではなくて実写なのだろう?」と疑問に思ったことを記憶していますが、「ウォルト・ディズニーの約束」を観て、その理由がよく理解できました。
 また、映画「メリー・ポピンズ」は音楽がとにかく素晴らしい!
 シャーマン兄弟の作曲によるものですが、その数々の名曲が誕生した瞬間が「ウォルト・ディズニーの約束」にはふんだんに登場して興味深かったです。

 映画の公式HPには、「『メリー・ポピンズ』誕生に隠された感動の実話」として、以下のように書かれています。


「ウォルト・ディズニー(1901-1966)----"ミッキーマウス"の生みの親にして、"夢と魔法の王国(ディズニーランド)"の創造主、そして記録的なアカデミー賞®受賞歴を誇る伝説の映画人。世界中の誰もが彼の名前や作品を知っているのに、その"真実"を知る者はいない・・・・・・。映画製作50周年を経て、いま明かされる『メリー・ポピンズ』誕生秘話。映画化に向けて情熱を燃やし続けるウォルト・ディズニーにとって唯一にして最大の障害----それは、映画化を頑なに拒む原作者P・L・トラヴァースだった。誰もが不可能と思ったこの映画製作は、どのような"魔法"で実現できたのか? そして、ふたりの間に交わされた"ある約束"とは・・・・・・? これは、初めてディズニーによる映画制作の裏側を描いた感動のドラマだ」

 公式HPの「ストーリー」には、「"映画化"への想いがすれ違う、ウォルトと原作者P・L・トラヴァースが交わした、ある"約束"とは・・・?」として、以下のように書かれています。


「『メリー・ポピンズ』映画化を目指すウォルト・ディズニーと、それを阻もうとする原作者のP・L・.トラヴァース。ハリウッドにやってきた彼女は、ウォルトたち映画製作者が提案する脚本アイデアをことごとく否定する。なぜ彼女は頑なに『メリー・ポピンズ』を守ろうとするのか? その答えが、幼い頃の彼女と父親の関係にあると知ったウォルトは、映画化実現への最後のチャンスをかけてトラヴァースに"ある約束"をする・・・。」

 この映画、60年代のディズニーランドやウォルト・ディズニーのオフィスが再現されており、ディズニー・ファンにはたまらない場面の連続です。冒頭で、ホテルの客室に入ったトラヴァースがディズニー・キャラクターたちのぬいぐるみを邪険に扱うシーンがあり、観客は驚かされます。特にミッキーマウスに対する扱いがひどいのですが、ミニーもドナルドも乱暴にクローゼットに押し込まれてしまいます。しかし、くまのプーさんのぬいぐるみだけには、トラヴァースは優しく語りかけるのでした。映画ジャーナリストの金原由佳氏が映画パンフレットに書いてある文章を読んで知ったのですが、トラヴァースの『メアリー・ポピンズ』のイラストが、プーさんの絵を描いたE・H・シェパードの娘であるメアリー・シェパードによるものという関係がありました。シェパードはイラストつながりで、『くまのプーさん』の作者であるA・A・ミルンに親しみを感じていたのかもしれませんね。

 それにしても、トラヴァースのアニメ嫌いは相当なもので、「アニメなんて子どもだましよ!」とディズニー本人に言い放つ場面も登場します。アニメに命を懸けている彼に向かってあまりにも失礼な態度だと映画を観ていて腹が立ってきますね。でも、現在では想像もつかないほど、60年代当時のアニメの社会的地位は低かったことがわかりました。その後、ディズニーや手塚治虫や宮崎駿といった多くの人々の努力の結果、今やアニメーションは立派な芸術ジャンルとしての地位を築いてきたのです。

 この映画の大きなテーマは、ずばり、「父親」です。
 トラバースもディズニーも父親に対して屈折した想い、さらにはトラウマがありました。映画パンフレットに掲載されている「正反対のアーティストが、子供時代の傷を芸術に昇華するまで。」に、金原由佳氏が次のように書いています。


「子供に対する愛情の表現方法は正反対。だけど、このふたりに強い共通点があることをこの映画は明かしていく。それは世界的な著名人となりながらも、彼らは心理学でいうインナーチャイルド(内なる子供)を大切にし、子供時代の痛みにいまも繊細に傷ついているという点だ」

 さらに、金原氏は次のように述べています。


「児童心理学の世界では、子供が健全に育つための三要素として、ミルク=食べ物、親からの無条件の愛、そして肉体と精神の安全を挙げられる。だが、トラヴァースとディズニーの父親たちには子供に無条件な愛を与えるだけの余裕がなかった。トラヴァースの父は慣れないオーストラリアでの仕事と生活に疲弊し、命尽きてしまう。少女の心にはアルコールに溺れる父を助けられなかったという深い悔恨が残り、父の最期に間に合わなかった梨はトラウマの象徴となる。ロサンゼルスのホテルの部屋に置いてある梨を見て、いまは初老となった彼女がプールに投げ捨てる場面が印象的だ。
 一方、ディズニーの父親は厳格な人で、毎朝3時半には息子を起こし、6年にわたって無給で新聞配達をさせたことは有名だ。父親と物理的な距離を取るためにディズニーは若くして陸軍に志願し、その早い巣立ちが彼の芸術的なセンスを覚醒させるにいたったことは広く知られている」

 この映画を観て、わたしは子供に与える父親の影響の大きさというものを知り、なんだか怖くなってきました。わたしは2人の娘たちの心にどのような影響を与えたかと思うと、複雑な思いです。でも、わたし自身が父から与えられた影響を考えても、息子と娘では少々事情が違うように思います。

 ちょうど、『偽悪のすすめ』坂上忍著(講談社+α新書)という本を読み終えたばかりなのですが、坂上氏の父は大のギャンブル好きで母親には暴力をふるい、借金と憎しみだけを残して他の女性のところに去って行ったそうです。それでも、坂上氏は「父親のどこかに、男としてのなにかを学ぶのが息子というものです」と述べ、自らを「ファザコン」と告白しています。そして、父が好きだったギャンブルの世界に自身も身を投じてきたそうです。なんだか、坂上氏とウォルト・ディズニーの生き様が重なって見えました。

 わたしのブログ記事「ザ・マスター」、「一条真也の読書館」で紹介した『キネマの神様』や『映画は父を殺すためにある』の書評などでも述べたように、もともとアメリカ映画の最大のテーマは「父性」です。ジャンルを問わず、アメリカ映画には繰り返し「父親」というものがさまざまな形で描かれています。
 しかし、この「ウォルト・ディズニーの約束」という映画、単なるファザコン映画ではありません。そんな「ファザコン」とか「トラウマ」などのキーワードでくくれるほど単純な映画ではありません。一筋縄ではいかない深さを持っているのです。
 というのも、トラヴァースの父親は幼い彼女に、やたらと「ほら、そこに妖精がいるよ」的なファンタジックな言葉をささやき続けます。彼のルーツはアイルランドにあり、ケルトの妖精の世界を愛していたのです。

 その父親の夢見がちな言葉に、娘のトラヴァースは深い影響を受けます。映画パンフレットには「P・L・トラヴァースと映画『メリー・ポピンズ』を結ぶもの」という文章が掲載されており、武蔵野大学非常勤講師でP・L・トラヴァース研究家の森恵子氏が以下のように述べています。


 「トラヴァースが大きく影響を受けたものに、父親から伝えられたアイルランドの伝統があった。神話や伝説を愛し、アイルランドのすることで悪いことはひとつもないという父親の郷愁は、トラヴァースの想像力をかきたてた。後にイギリスに渡ったとき彼女はイェイツやジョージ・ラッセルと交流し、アイルランド文化や神話への興味を深くした」

 トラヴァースの父親の非現実的な言葉は、現実の世界に適応できないアル中の男の現実逃避のように思う人が多いでしょう。しかし、わたしはそうは思いませんでした。すなわち、彼には本当に妖精や精霊たちが見えていたのではないかと思うのです。じつは、映画の冒頭で初老の女性となったトラヴァースの書斎の机の上に『グルジェフの教え』という本が置かれている場面が出てきます。G・I・グルジェフ(1866~1949)は「20世紀最大の神秘思想家」と呼ばれた人物です。代表作に『注目すべき人々との出会い』があります。
 また、トラヴァースの父親は娘の詩を読んだとき、「まだ、イェイツの域には達していないな」と言いました。W・B・イェイツ(1865~1939)は神秘主義詩人として知られ、魔術結社「黄金の夜明け団」のメンバーでした。つまり、グルジェフもイェイツもオカルト界の大物であり、目に見えない世界の実在を説く人物だったのです。イェイツには、そのものずばりの『幻想録』という著書もあります。

 目に見えないものが見えたのはグルジェフやイェイツだけではありません。日本にも彼らと同じ資質を持った詩人がいました。宮沢賢治です。名言ブログ「宮沢賢治(3)」で、賢治が生前に出版した唯一の童話集『注文の多い料理店』の「序」には、「これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、虹や月あかりからもらつてきたのです」という一節があります。有名な一節ですが、「虹や月あかりからもらつてきたのです」という言葉は比喩でも誇張でもなく、事実そのものだったのではないかという見方があります。賢治は虹や月あかりからのメッセージを受けとれる一種の霊能力者だったのではないかということです。そして、幻視者たちは風からもメッセージを感じ取ります。賢治は「風の又三郎」を幻視しましたが、トラヴァースは「風にのってきたメアリー・ポピンズ」を描きました。

 森荘巳池氏という、岩手県盛岡市在住の直木賞作家がいます。
 花巻農業高校時代に賢治の文学仲間だったことでも知られていますが、その森氏が賢治の霊的能力について明かしています。賢治の処女詩集である『春と修羅』に対して、森氏が好意的な評論を書いたことがきっかけで、賢治は森氏の自宅をよく訪れて文学談義をしたそうです。その際、賢治は色々と不思議な体験を話してくれたというのです。たとえば、木や草や花の精を見たとか、早池峰山で読経する僧侶の亡霊を見たとか、賢治が乗ったトラックを崖から落とそうとした妖精を見たとか、そういった驚くべき体験です。また、賢治が窓の外を指さして「あの森の神様はあまり良くない、村人を悩まして困る」と語ったこともあるとか。

 どうやら、賢治には、迷った霊魂が見えたようです。
 今でも花巻の地元では、賢治のことを「キツネ憑き」と呼んで敬遠する人々がいると、本で読んだことがあります。宮沢家の人々も賢治の不思議な能力については知っていましたが、タブーとしてけっして語らないそうです。 
 なお、幻視者としての宮沢賢治のエピソードは『涙は世界で一番小さな海』(三五館)に書きました。そして、わたしはトラヴァースの父親も賢治と同じような霊的体質を持った人だったのではないかと思います。彼の「ほら、妖精がいるよ」という物言いがリアルで真に迫っていたからこそ、娘のトラヴァースも見えない世界を信じ、長じて『メアリー・ポピンズ』というファンタジーの大傑作を書くことができたのではないでしょうか。

 トラヴァースの父親の孤独な人生からもわかるように、幻視者というのは、社会から拒絶されます。コリン・ウィルソンのいう「アウトサイダー」そのものです。わたしは画家のゴッホなども典型的な幻視者だと思っているのですが、そのゴッホも宮沢賢治も生前にはまったく評価を受けなかったことは有名です。まだ、ゴッホや賢治は死後に作品が評価されましたが、銀行の支店長を降格され失意のままアル中で死んだトラヴァースの父親は最後まで「現実不適応者」でした。

 ある意味で、ウォルト・ディズニーという人も「幻視者」だったのではないでしょうか。だからこそ、あれだけ多くのファンタジー作品を世に送り出し、ディズニーランドという「夢と魔法の王国」さえも現実に作り上げてしまったのかもしれません。しかし、幻視者は社会から拒絶されるはずなのに、ディズニーだけは違いました。彼は、実際に社会的な成功も収めたのです。この事実がトラヴァースには許せなかったのではないでしょうか。「夢見ること」と「社会的成功」の両方を得たディズニーを認めることは、「夢見ること」ができても「社会的成功」を得られなかった父への冒涜につながるような気がしたのかもしれません。

 ウォルト・ディズニーという一代のヒーローの本当に偉大な業績とは、「夢見ること」と「社会的成功」との両立です。いや、彼は「すべては夢見ることから始まる」ことを訴えたのです。それが「成功」や「幸福」につながることを世界中に示したのです。それは、まさに人類史的な「人生革命」だったと言えるでしょう。

 そのウォルト・ディズニーを、トム・ハンクスがじつに魅力的に演じています。トム・ハンクス自身、今回の演技について、「ポイントは彼(ウォルト)が持つ目の輝きと鋭い洞察力を表現すること」と述べています。トラヴァースを演じた女優のエマ・トンプソンは、ウォルト・ディズニーにもトム・ハンクスにも「カリスマ性」があるとして、「2人とも人並みの感覚と、皇帝のようなパワーとビジョンを併せ持っている」と評しています。今やアメリカの国民的俳優であるトム・ハンクスが、国民的英雄であるウォルト・ディズニーを見事に演じきった。その事実だけでも、多くのアメリカ人にとって、この映画は国民的映画となったのでしょう。

 最後に「メアリー・ポピンズ」および「ウォルト・ディズニーの約束」は、あまりにも銀行家を悪く描きすぎているような気がしました。これを銀行関係者を祖父や父に持つ子供が観たら、どう思うでしょうか。わたしには、そのことが心配でした。
 ちょうど今読んでいる『熔ける~大王製紙前会長 井川意高の懺悔録』井川意高著(双葉社)には、著者の祖父で大王製紙の創業者である井川伊勢吉翁の「銀行というのはな、晴れた日には親切に傘を貸してくれる。でも、雨の日になると肝心の傘を取りあげてしまうもんなんだぞ」という言葉が登場します。
 この言葉に同意する経営者はきっと多いはず。でも、わたしは銀行家にだって「夢みること」の大切さを知っている人はいると信じています。

  • 販売元:ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社
  • 発売日:2014/08/06
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