No.0157
日本映画「乾き。」を観ました。
「下妻物語」「嫌われ松子の一生」「パコと魔法の絵本」「告白」などの中島哲也監督の最新作ということで注目されていますが、ネットなどでは意外な低評価です。わたしは、もともと中島監督の映画が好きなのですが、この「乾き。」を観終わったときの率直な感想は、「うーん・・・」でした。
ヤフー映画の「解説」には、以下のように書かれています。
「第3回『このミステリーがすごい!』大賞を受賞した深町秋生の小説『果てしなき渇き』を、『告白』などの中島哲也が実写化したサスペンスミステリー。謎の失踪(しっそう)を遂げた娘の行方を追う元刑事の父親が、いつしか思いも寄らなかった事態に引きずり込まれていく姿を活写する。名優・役所広司を筆頭に、『悪人』などの妻夫木聡、『ゆれる』などのオダギリジョーら、実力派が大挙して出演。中島監督ならではの鮮烈なタッチに加え、ヒロインに抜てきされた新人・小松菜奈の存在感にも注目」
またヤフー映画の「あらすじ」には、以下のように書かれています。
「品行方正だった娘・加奈子(小松菜奈)が部屋に何もかもを残したまま姿を消したと元妻から聞かされ、その行方を追い掛けることにした元刑事で父親の藤島昭和(役所広司)。自身の性格や言動で家族をバラバラにした彼は、そうした過去には目もくれずに自分が思い描く家族像を取り戻そうと躍起になって娘の足取りを調べていく。交友関係や行動を丹念にたどるに従って浮き上がる、加奈子の知られざる素顔に驚きを覚える藤島。やがて、ある手掛かりをつかむが、それと同時に思わぬ事件に直面することになる」
この「思わぬ事件」について書かないと感想にはならないのですが、ネタバレになってしまいます。元刑事で今は警備員をしている主人公が、別れた妻から行方不明になった娘の捜索を依頼される話ですが、「愛する娘は、バケモノでした。」という刺激的なコピーから予想していたほど、娘は壊れていないと思いました。今どきの高校生で、この娘よりも荒んだ子はたくさんいるでしょう。「バケモノ」というからにはもっと凄い悪行を想像していたので、ちょっと拍子抜けしました。
また、役所広司演じる主人公の藤島の凶暴性をこれでもかというぐらいに描いていますが、そんなに「悪い奴」だとは思えませんでしたね。黒沢あすかが演じた、藤島を罵倒しまくる別れた妻の方が「悪い女」だと思いました。
わたしは、意外にも「これは腹立つわな」とか「これは怒り狂うでしょ」とか「もう暴れるしかないよね」といったふうに藤島に共感することが多い自分に驚きました。もともと、わたしは気の短い人間なのですが、その本性が呼び起こされるようなヤバい映画でした。(苦笑)
もともと、映画というメディアは暴力的なメディアであると思います。
だから「暴力」や「凶暴」や「狂気」といったテーマと結びつくと、観る人間の無意識にアクセスして落ち着かない気分にさせるのでしょう。それにしても、この「乾き。」の暴力シーンはハンパではありません。はっきり言って、グロいです。なんというか、ストーリーの味付けとしての暴力シーンの描写がどんどんエスカレートして、ひとり歩きしていった感じですね。
中島監督の「嫌われ松子の一生」や「告白」にも通じるところがあるのですが、この「乾き。」は観ていてイライラしてきます。それは、「いじめ」や「暴行」といった不愉快なシーンが多いこともありますが、それよりもイカれた不愉快な登場人物が多いからだと思います。
とにかく、次から次へ狂った連中が登場します。主演の役所広治をはじめ、妻夫木聡、二階堂ふみ、橋本愛、オダギリジョー、中谷美紀といった豪華キャストが繰り広げる「狂演」は圧巻です。
ふと、わたしはわたしのブログ記事「凶悪」やブログ「地獄でなぜ悪い」で紹介した映画を中島監督は意識したのではないかと思いました。あれらの映画は、ひたすら後味が悪くて「鬼畜映画」などと呼ばれましたが、「乾き。」は最初から「最狂の鬼畜映画」をめざして作られたような気がします。その意味では、「最低の映画だった」とか「こんなクソ映画観るんじゃなかった」といった感想を抱いた観客は、中島監督のたくらみにまんまとハマったわけです。
わたしとしては、ブログ「告白」やブログ「悪人」で紹介した映画のように、人間の「悪」を描きながらも最後は「救い」のようなものを表現してほしかったです。「乾き。」には「救い」は微塵も感じられませんでした。
特に、いじめられっ子の末路がひどすぎます。わたしのブログ記事「東京ガスCM中止に思う」で紹介したように、就活生を描いたCMが「リアルすぎる」との批判を浴びました。しかし、「乾き。」の場合は「超リアル」というか、「現実は、ここまで酷くないだろう」と思ってしまいます。
この映画は「学生1000円キャンペーン」を展開していましたが、こんな「社会は腐っている」「子どもも大人もみんな狂っている」といった内容の作品をわざわざ未来ある学生に観せようとするのはいかがなものですかね?
ただ、この映画でデビューした小松菜奈の存在感は素晴らしかったです。
「映画com.」で、評論家の佐藤睦雄氏は「『渇き。』小松菜奈の魅力が牽引し、日本映画の職人技が満たす『ただものじゃない何か』」というタイトルで以下のように述べています。
「中島哲也は女優を輝かせる監督だ。『下妻物語』が深田恭子、『嫌われ松子の一生』が中谷美紀、『告白』が松たか子の映画だとしたら、本作は小松菜奈の映画だろう。彼女の魔術的な可愛さが『映画の推進力』となって、観ているぼくらは2時間のエログロ話につき合うはめになるのだ。彼女が魅力的でなかったとしたら、説得力は皆無だったろう。そういう意味では、小松の起用で映画は80%成功している」
佐藤氏は「残り20%はストーリー性のカタルシスが担うべきところなのだが、お世辞にも本作は『後味が良い』とはいえない。肝心の娘探しのストーリーが尻切れトンボのようになっていて、見せるべき帰結が弱く、どうも釈然としないのだ」と書いていますが、まったく同感です。同じ中島監督の作品でも、「告白」の最後にはカタルシスがありました。しかし、「乾き。」のラストにそれはありません。まあ、何度か藤島が車を暴走させて相手の車に突っ込む場面はスカッとしましたが・・・・・(苦笑)。
イカれた藤島に扮した役所広治の演技力には、ただただ圧倒されました。佐藤氏も「この男、ギラギラした野獣のようで、タバコをスパスパ喫い、よくギトギトと汗をかく。その新陳代謝に比例するかのごとく次から次へと事件に巻き込まれ、その暴力性を加速させて映画は凶暴になっていく。おびただしい血しぶきが飛び出るのだが、完全に野獣になった主人公は無敵なのだ、もう漫画のように。おそらく来年の演技賞を総なめにしそうな役所の怪演にニンマリしてしまう」と書いています。
わたしは、役所広治の怪演を眺めながら、彼がかつて主演した黒沢清監督の「カリスマ」や「ドッペルゲンガー」などをなつかしく思い出しました。狂気の演技もいいですが、わたしが一番好きな役所広治の主演映画は「どら平太」です。彼には武士がよく似合うと思っているのですが、その意味で10月4日に公開される「蜩ノ記」が楽しみですね。
「蜩ノ記」の予告編を見ると、「死ぬことを自分のものとしたい」という役所広治のセリフが出てきますが、これだけでもう、たまりませんね。「日本人の美しき礼節と愛」を描いた映画とのことですが、予告編の最後には「残された人生、あなたならどう生きますか?」というナレーションが流れます。切腹を控えた日々を送る武士の物語ですが、ある意味で究極の「終活」映画と言えるかもしれません。現在、『決定版 終活入門』(仮題、実業之日本社)の原稿を書いているわたしには気になる作品です。