No.0166
シネプレックス小倉で22日公開の映画「インターステラー」を観ました。
「インターステラー」は途方もなく面白い映画でした。
「ヤフー映画」の「解説」には、次のように書かれています。
「『ダークナイト』シリーズや『インセプション』などのクリストファー・ノーラン監督が放つSFドラマ。食糧不足や環境の変化によって人類滅亡が迫る中、それを回避するミッションに挑む男の姿を見つめていく。
主演を務める『ダラス・バイヤーズクラブ』などのマシュー・マコノヒーを筆頭に、『レ・ミゼラブル』などのアン・ハサウェイ、『ゼロ・ダーク・サーティ』などのジェシカ・チャステインら演技派スターが結集する。
深遠なテーマをはらんだ物語に加え、最先端VFXで壮大かつリアルに創造された宇宙空間の描写にも圧倒される」
「ヤフー映画」の「あらすじ」には次のように書かれています。
「近未来、地球規模の食糧難と環境変化によって人類の滅亡のカウントダウンが進んでいた。そんな状況で、あるミッションの遂行者に元エンジニアの男が大抜てきされる。そのミッションとは、宇宙で新たに発見された未開地へ旅立つというものだった。地球に残さねばならない家族と人類滅亡の回避、二つの間で葛藤する男。悩み抜いた果てに、彼は家族に帰還を約束し、前人未到の新天地を目指すことを決意して宇宙船へと乗り込む」
わたしはSF映画が大好きで、ハリウッドのSF超大作といえば必ず観ることにしています。この「インターステラー」は「宇宙」がテーマですが、最近の作品の中では、わたしのブログ記事「オブリビオン」やブログ「ゼロ・グラビティ」で紹介した映画が「宇宙」を描いた名作でした。「インターステラー」は、これら2作に勝るとも劣らないクオリティで宇宙空間を表現したばかりか、内容的にはさらに深く、哲学的次元にまで踏み込んでいました。
わたしにとってのSF映画の最高傑作であるスタンリー・キューブリック監督の「2001年宇宙の旅」を連想したぐらいです。
主人公クーパーを演じたマシュー・マコノヒ―は渋く、彼とともに宇宙へ旅立つヒロインのアメリア・ブランドを演じたアン・ハサウエイは美しかったです。
クーパーはアメリカ中部の田舎町で暮らす農夫でしたが、人類史上もっとも重大な使命をまっとうするために、前人未到の宇宙へ旅に出ます。
最愛の娘マーフに「必ず、帰ってくる」と言い残して・・・・・・。
人類の救うためにクーパーが課せられた使命は次の6つでした。
MISSION 01:幽霊の正体を突き止めろ
MISSION 02:ワームホールを潜り抜けろ
MISSION 03:海の惑星から脱出せよ
MISSION 04:氷の惑星から脱出せよ
MISSION 05:アメリアを第3の惑星へ送り出せ
MISSION 06:マーフにメッセージを伝えろ
映画タイトルである「インターステラー」とは「惑星間移動」という意味です。一種のSF用語とも言えますが、この他にも、この映画には「ワームホール(時の道穴)」とかタイム・ダイレーション(ある星での2年は地球の23年に相当する)といった専門用語がガンガン出てきます。
そして、多くのレビューには「量子論や相対性理論が理解できないと、この映画の本当の面白さはわからない」などと書かれています。
読んだばかりの本と映画「インターステラー」のパンフレット
わたしは基本的に理系人間ではなく、量子論や相対性理論に詳しい方でもありませんが、たまたまこの日は知識豊富でした。というのも、映画鑑賞の直前に床屋さんの待合室で読了した本というのが『量子論から解き明かす「心の世界」と「あの世」』(PHP研究所)という本だったのです。京都大学名誉教授である岸根卓郎氏の著書ですが、数式や難しい理論ではなく、言葉で量子論を説明することに成功した画期的な名著です。わたしは執筆予定の『永遠葬』(仮題)のための参考文献として読んだのですが、宇宙の仕組みそのものと人間の意識の本質を解明しており、まさに映画「インターステラー」を理解するための解説書と言ってもよい内容でした。わたしは、たまたま同書を読了した直後に「インターステラー」を観たのです。まるでシンクロ二シティですが、「こんな偶然があるのか!」と自分でも驚いた次第です。
たとえば、『量子論から解き明かす「心の世界」と「あの世」』の第二部「量子論が解明する心の世界」の「光速を超えると、あの世へも瞬時に行ける」という章の冒頭には以下のように書かれています。
「アインシュタインの特殊相対性理論によれば、この世ではどんなに速い物質も決して光速を超えることはできないという。ところが、量子論によるとミクロの世界では、『波束の収縮』にもみるように、『超光速』は普通に起こる現象であるという。そればかりか、そのような、『超光速の世界では、時間も空間も自由になる』という。その意味は、『光速を超えると、過去へも未来へも自由に行けるし、宇宙のどこへでも瞬時に行ける。それゆえ〈光速を超える〉と、時間も空間も〈双方向〉になって、どこへでも〈瞬時〉に行ける』ということである」
さらに、著者の岸根氏は「光速を超えると、生前の世界(過去の世界)へも、死後の世界(未来の世界)への瞬時に行ける」「光速を超えると、宇宙の中のすべての点が自分の家になる」「時間や空間にとらわれない、〈自由自在〉な〈タイムトラベル〉の実現をも意味することになる」と述べています。
また、第五部「量子論の明日への期待」の「人類の果てしなき夢を与えてくれるもの」という章では、以下のように書かれています。
「SF作家のジュール・ヴェルヌは、『誰かによって想像できることは、別の誰かによって、いつかは必ず実現できる』といったが、そのことを、本書の課題とする『心の世界の解明』にまで敷衍していえば、私見では、『人類の〈誰か〉によって想像できる、人類にとっての〈究極の夢〉の〈心の世界の解明〉もまた、人類の〈誰か〉によって〈いつかは〉は必ず〈実現〉できる』ということになろう」
これは、まさに「インターステラー」の主人公クーパーが実現すべきだった〈夢〉を他の〈誰か〉が代わりに果たしたことについて述べています。その〈誰か〉とは意外な人物でしたが、ネタバレになるので書きません。
「人類の果てしなき夢を与えてくれるもの」には、人類の〈誰か〉によって想像できる、人類にとっての〈究極の夢〉の〈心の世界の解明〉もまた、人類の〈誰か〉によって〈いつかは〉は必ず〈実現〉できる」ことに理由が以下のように述べられています。
「ハイデガーによれば、〈人類は根源的に宇宙の時間的存在である〉からであるし、またアウグスティヌスによれば、『その宇宙の時間は、人類の心の中だけにある』からである。とすれば、私が本書を通じて希求してきた、『〈人類究極の夢〉である〈心の世界の解明〉もまた、〈宇宙の時間的存在〉であり、しかもその〈宇宙の時間〉を唯一〈心の中〉に持つ人類の〈誰か〉によって、〈いつかは必ず実現〉できる』ということになろう。そうであれば、結局、『人類の〈果てしなき夢〉の〈心の世界の解明〉を叶えてくれるものもまた、〈時間〉をおいて外にない』といえよう」
では、著者の岸根氏にとっての〈人類の夢〉は何でしょうか。岸根氏は同書の「補論 タイムトラベルは可能か」で、「人類は〈量子コンピュータの開発〉によって、その〈積年の夢〉であり、〈積年の願い〉でもある〈亡くなった愛しい人たちに会いたい〉といった〈心の旅路〉を、〈映像〉によって叶えることができる」と述べています。この〈亡くなった愛しい人たちに会いたい〉というのは、たしかに人類最大の夢かもしれません。同書の最後には「私事ではあるが、私の本書の執筆もまた、最近、亡くした愛しい娘に会いたいとの私の『切なる想い』が、その動機である」と書かれています。
愛しい娘に会いたいという「切なる想い」は、映画「インターステラー」にも登場します。いや、登場するどころかメインテーマの1つです。
地球での別れの際に心を通わせることができなかった娘に会いたいという想いは、孤独な宇宙空間でのクーパーの心を支えます。
最後には感動の展開が待っていて、わたしはハンカチを濡らしましたが、それもネタバレになるので書くことはできません。ただ言えることは、本当に心の底から憎み合っている父親と娘など存在しないということです。
いま、『殉愛』百田尚樹著(幻冬舎)という本が大変な物議を呼んでいますが、この本には関西の大物芸能人やしきたかじんが自分の一人娘と絶縁関係にあり、その娘さんは父たかじんの死に目にも会えなかったと書かれています。でも、死の瞬間まで娘を憎む父親など絶対にいないと思います。21日、この娘さんは名誉毀損やプライバシー侵害をされたとして、出版元の幻冬舎に、出版差し止めと1100万円の損害賠償などを求める訴えを東京地裁に起こしました。ネットでは応援のエールが相次いでいます。
わたしのブログ記事「トワイライト ささらさや」で紹介した映画のときと同様、わたしは「インターステラー」を観終わった後も、『殉愛』のことを考えていました。
くれぐれも、「死人に口なし」などと思ってはいけません。
死者は必ず、自分の伝えたいことを生者に伝えようとします。
「インターステラー」でも、そんなシーンがありました。この映画の冒頭には「幽霊」が登場し、クーパー家の人々の間で議論が交わされますが、その「幽霊」の正体が終盤で明かされます。この場面を観たとき、「幽霊をこのように解釈するとは!」とショックを受けつつも、わたしは感動しました。
映画の中では、クーパーがマーフに「親というのは、子どもの未来を見守る幽霊なんだよ」というセリフを吐きますが、この言葉はわたしの心に突き刺さりました。クーパーがマーフを残して宇宙に旅立ったとき、ちょうど彼女はわたしの次女ぐらいの年齢でした。
というわけで、急に次女のことが愛しくなったわたしは、彼女が好きなキャラメル・ポップコーンをお土産に買って帰宅しました。
この映画は『死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)で取り上げました。