No.0165
16日の日曜日、わたしは数ヵ月ぶりに穏やかな朝を迎えました。
というのも、ずっと取り組んでいた『永遠の知的生活』(実業之日本社)および『超訳 空海の言葉』(KKベストセラーズ)の作業にメドがついたのです。
そこで18日に行われるサンレー創立48周年記念式典に備えて散髪に行ったのですが、なんと床屋さんがお休み。なんで日曜に休みなの?!
仕方ないので、Tジョイリバーウォーク北九州で久々に映画を観ました。
「トワイライト ささらさや」という日本映画です。
「ヤフー映画」の「解説」には、以下のように書かれています。
「夫の死後、幼い子供を一人で育てることになったヒロインと、他人の体を借りて彼女を助ける亡き夫を、新垣結衣と大泉洋が初共演で演じる感動ドラマ。加納朋子の小説『ささら さや』を基に、メガホンを取るのは『神様のカルテ』『くじけないで』などの深川栄洋。中村蒼や福島リラ、石橋凌、富司純子など若手からベテランまでが脇を固める。前向きでかわいらしいヒロインとユーモラスで優しい亡き夫の奮闘に、爽やかな感動が心を突き抜ける」
また、「ヤフー映画」の「あらすじ」には、以下のように書かれています。
「サヤ(新垣結衣)は夫のユウタロウ(大泉洋)を突然の事故で亡くしてしまう。人に対して疑いを抱かないサヤが、一人で息子を抱えることを心配するユウタロウ。成仏できずに、いろいろな人の体に乗り移って、サヤのために手助けをすることに。のどかでどこか不思議な町ささらの人々に助けられながら、サヤは母親として成長する」
この映画の主演は、大泉洋と新垣結衣です。
大泉洋の姿をスクリーンで見るのは、わたしのブログ記事「青天の霹靂」で紹介した映画以来ですが、どうもイマイチというか存在感がなかったですね。
まあ、幽霊役だから仕方ないのかもしれませんが・・・・・・。
一方、新垣結衣のほうは存在感抜群で、何よりも美しかったです。
祝言の白無垢姿、夫の葬儀での喪服姿、ともによく似合っていました。
「家族愛」をテーマした作品ですが、結婚式の場面も葬儀の場面も出てきました。それも当然でしょう。なぜなら、冠婚葬祭こそは「家族愛」というものを最も浮き彫りにするからです。そのことは、かの名匠・小津安二郎も熟知しており、小津の映画には必ず冠婚葬祭のシーンが登場しました。そして、数々の小津映画と同じく、「トワイライト ささらさや」も松竹の作品です。
さて、「家族愛」には「夫婦愛」があり、「親子愛」があります。
この映画では、その両方が描かれていました。まず「夫婦愛」ですが、家族がいなくて天涯孤独の身だったサヤは、ユウタロウと結婚することによって初めて家族というものを持ちます。その場面を観て、わたしは『むすびびとーこころの仕事』(三五館)に出てくるエピソードを思い出しました。
それは、ある結婚式での話です。新郎新婦は2人とも両親を知りません。身内と呼べる人も誰ひとりいません。同じ児童福祉施設で兄妹のように育った2人は、次第にお互いを意識するようになり、愛を育んで結婚へと至りました。そんな2人を施設の園長さんが親代わりとなって温かく見守ってきました。新婦は同じ境遇の子どもたちのお世話をしたいという夢を持っていました。園長さんが新婦のために短大までの費用を何とか工面した結果、新婦は夢を叶えることができ、現在は自分が育った施設で働いています。ただ1人の親族もいない2人でしたが、友人、施設の職員、施設の弟や妹が多数出席し、手作りのアットホームな披露宴となりました。両親への花束贈呈のシーンで、2人は園長夫妻に向かって「お父さん、お母さん、今まで本当にありがとうございました」と泣きながら花束を渡しました。夫妻の目にも涙が光っていました。家族を持つことの喜びがひしひしと伝わってくる結婚式でした。「トワイライト ささらさや」でも、今時珍しい祝言の場面を通して、家族を持つことの幸せが描かれていました。
それから、「親子愛」ですが、生後4ヵ月の赤ん坊を抱えて未亡人となったサヤは当然ながら苦労します。頼る肉親もいないサヤは、たった1人でわが子を守ろうとしますが、それを観ながら、わたしのブログ記事「かみさまとのやくそく」で紹介した映画を思い出しました。それは、すべての赤ちゃんは自分の母親を選んで産まれてくるという真実を明かした内容でした。
映画上演後のシンポジウムで、登壇したわたしは「ヒトの赤ちゃんというのは自然界で最も弱い存在です。すべてを母親がケアしてあげなければ死んでしまう。2年間もの世話を必要とするほどの生命力の弱い生き物は他に見当たりません」と述べました。
わたしは、ずっと不思議に思っていました。「なぜ、こんな弱い生命種が滅亡せずに、残ってきたのだろうか?」と。あるとき、その謎が解けました。それは、ヒトの母親が子どもを死なせないように必死になって育ててきたからです。出産のとき、ほとんどの母親は「自分の命と引きかえにしてでも、この子を無事に産んでやりたい」と思うもの。実際、母親の命と引きかえに多くの新しい命が生まれました。また、産後の肥立ちが悪くて命を落とした母親も数えきれません。まさに、母親とは命がけで自分を産み、無条件の愛で育ててくれた人なのです。「トワイライト ささらさや」に出てくる存在感抜群の乳母車を眺めながら、わたしはそんなことを考えました。
それから、この映画ではもう1つの親子愛も描かれています。
主人公のユウタロウは父親(ずいぶん恰幅の良くなった石橋凌が演じていました)との確執があり、けっして心を開こうとはしませんでした。それは死後も同様でしたが、最後に父の心を知ったユウタロウは号泣します。
未亡人となったサヤが何度も口にする「子どもを愛さない親なんていないよ」という言葉は間違っていなかったのです。
この映画には、未亡人となったサヤを取り巻く「ささら町」に住む多くの隣人たちが登場します。それぞれクセはありますが、いずれも善人ばかりです。夫を亡くし慣れない子育てに悩むサヤをあれこれ助けてくれます。
『隣人の時代』(三五館)でも述べましたが、わたしは「血縁のない人には、地縁がある」「家族がいなければ、隣人の出番」といつも言っています。この映画では、その言葉をそのまま実現してくれました。しかし、それでも血縁は重要です。というか、人間は一生、血縁を否定することはできませんし、血縁から逃げることもできません。
そこで、わたしは最近読んだ1冊の本のことを考えました。
ずっとベストセラー1位を続けている『殉愛』百田尚樹著(幻冬舎)という本です。じつは、わたしは刊行日に入手して、その日のうちに読みました。
「関西の視聴率王」やしきたかじんの最期の日々を描いたノンフクションです。彼が亡くなる前の2年間の闘病生活には、その看病に人生のすべてを捧げた、亡くなる3ヵ月前に結婚した32歳年下の妻がいました。その究極の夫婦愛を大ベストセラー作家である百田氏が書き上げた本です。
一気に読了したわたしは、それなりに感動し、次回の「ハートフル・ブックス」で取り上げようと思っていました。ところが、その後、なんとも凄い展開になってきました。この本について賛否両論どちらに付くかは置いておきます。しかしながら、わたしは、未亡人がたかじんの死を彼の実母や実弟にも知らせず、参列者5人だけの火葬で済ませたことには違和感が残ります。生前のたかじんは、じつの親とも実の娘とも縁を切っていたそうです。でも、切っても切っても切れないのが血縁です。たかじんが本当に親や子と絶縁したのだとしたら、「かわいそうな人だ」と思うほかはありません。
それにしても、『ダディ』以来の幻冬舎商法には疑問が残ります。
わたしは、炎上商法というのは認めない人間です。そんな下さらないことをするぐらいなら、商売などしないほうがいいと考えています。
ちなみに、「トワイライト ささらさや」の原作である加納朋子(北九州市生まれ!)著『ささら さや』は幻冬舎から刊行されています。
いずれにせよ、この『殉愛』をめぐる問題は非常に重要ですので、もう少し事情が明らかになってから、当ブログでもしっかり言及したいと思います。
話を映画「トワイライト ささらさや」に戻します。
この映画は、死者と生者との交流を描いています。
わたしたちの周囲には、目には見えなくとも無数の死者がいます。
「死者を忘れて、生者の幸福などありえない」が、わたしの口癖です。
「トワイライト ささらさや」には、ユウタロウの幽霊が登場しますが、未亡人のサヤにとっては怖い幽霊ではなく、なつかしく優しい「優霊」です。そう、この映画は、いわゆる「ジェントル・ゴースト・ストーリー」と言えるでしょう。
「一条真也の読書館」で紹介した『押入れのちよ』、『怪談文芸ハンドブック』にも書きましたが、「ジェントル・ゴースト・ストーリー」とは日本語に直せば「優霊物語」とでも呼ぶべき怪談文芸のサブジャンルです。
これまで多くのジェントル・ゴースト・ストーリーが映画化されてきました。
わたしのブログ記事「天国映画」で紹介したように、ハリウッドでは「オールウェイズ」、「ゴースト~ニューヨークの幻」、「奇跡の輝き」などが有名です。
また、ブログ記事「ラブリー・ボーン」で紹介した映画などが代表です。
日本でも、山田太一原作「異人たちとの夏」、浅田次郎原作「鉄道員(ぽっぽや)」といった名作をはじめ、「黄泉がえり」「いま、会いにゆきます」「ツナグ」、さらに、わたしのブログ記事「ステキな金縛り」で紹介した映画などが代表です。
もうすぐ、「ツナグ」の平川雄一朗監督の最新作である「想いのこし」が公開されます。岡本貴也の小説を、テレビドラマ「リーガルハイ」でも共演した岡田将生と広末涼子を迎えて実写化したヒューマンコメディーですが、これまた「ツナグ」と同様にジェントル・ゴースト・ストーリーのようです。
広末涼子がポールダンサーの幽霊に扮してセクシーなダンスを披露するそうで、今から観るのを楽しみにしています。
ただ、ジェントル・ゴースト・ストーリーをあまり連発するのは考えもの。
たしかに日本人好みの人情物語なのですが、それだけのディテールに至るまでしっかりと丁寧に描いてほしいです。正直言って、「トワイライト ささらさや」は物足りませんでした。それと、力づくで泣かせようとするところが鼻についたのも事実です。なんでも、力づくはいけませんね・・・・・・。