No.0164


 わたしのブログ記事「未来医療研究会イベント」で紹介した映画上映会に参加し、ドキュメンタリー映画「かみさまとのやくそく」を観ました。

 この映画の原作は、産婦人科医である池川明氏の一連の著作です。
 池川氏は1954年東京都生まれ。帝京大学医学部大学院卒。医学博士。上尾中央総合病院産婦人科部長を経て、1989年に池川クリニックを開設しました。胎内記憶・誕生記憶について研究を進める産婦人科医としてマスコミ等に取り上げられることが多く、講演も多く行っています。母と子の立場に立った医療を目指しているとのこと。

 池川氏には、『おぼえているよ。ママのおなかにいたときのこと』『ママのおなかをえらんできたよ。』『雲の上でママのおなかを見ていたときのこと。』(以上、リヨン社)、『子どもは親を選んで生まれてくる』(日本教分社)『おなかの中から始める子育て』(サンマーク出版)など多くの著書があります。

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池川明先生、池川先生のお嬢さんと


 この映画は、製作・撮影・編集・監督のすべてを荻久保則男氏が務めています。映画HPの「作品概要」には、以下のように書かれています。


「事前取材無しの撮影と、音楽やナレーションを使わず、出演者たちの会話のやりとりとインタビュー、シーンのキーワードテロップのみで編集された本作。 観客ひとりひとりが考えながら、リアルな緊張感を共有できる映画になりました。~池川明医師は神奈川県横浜市で産婦人科のクリニックを開業するかたわら、胎内記憶研究の第一人者として全国を講演して回っています。胎内記憶を持つ子どもたちに、生まれてきた理由について訪ねると、「人の役に立つため」と全員が答えるといいます。「自分が生まれて、お母さんが幸せ、これが子どもたちにとっての幸せなんです」と、池川医師。
 ~幼児教育の専門家である飛谷ユミ子さん、かがみ知加子さんそれぞれの幼児教室で胎内記憶、出生前記憶を語る子どもたち~
 ~中部大学の大門正幸教授と池川医師による胎内記憶、出生前記憶の聞き取り調査を通して、 カメラは胎内記憶研究の現場を見つめます。胎内記憶への解釈が、母子や兄弟間の絆にどう影響を与えるか、研究者とともに感じ、考えてみてください。~
 ~実際の子育てについて、胎児や赤ちゃんの通訳である「たいわ士」南山みどりさんの子育て セラピーを取材しました。子どもの心にどう寄り添えば、親子関係が良くなるのでしょうか?~
 ~そして、自分自身への愛について。南山みどりさんのワークを通して、あなたのインナーチャイルドに目を向けてみてください。~」

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「たいわ士」の南山みどりさんと


 また、映画HPの「作品解説」には、以下のように書かれています。


「胎内記憶と子育ての実践、インナーチャイルドをテーマにしたドキュメンタリー映画です。胎内記憶とは お母さんのお腹の中にいたときの記憶や、その前の記憶のこと。2~4才の子どもたちが話すと言われています。インナーチャイルドとは、あなたの内なる子ども。心の深奥部に潜み、幼児期の体験によって傷つけられたり抑圧されたりしている、真の自己のことです。
 この映画には 音楽もナレーションもありません 。しかし、胎内記憶の聞き取り調査や子育ての実践、内なる子どもへの自己肯定ワークの過程を、カメラは丁寧に見つめます。研究者、教育者、たいわ士(胎児や赤ちゃんの通訳)が、子ども達と真剣に向き合う姿を先入観なく、ありのままに観てほしい。そして観客ひとりひとりが身近な子どもたちとのつながり方を考える時間を共有してほしい、そんな思いで作られた映画です。胎内記憶やインナーチャイルドのこと、 知らない方も、知っている方も、 ありのままの映像から、 ご自分の大切な 何かを感じていただけると思います」

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荻久則夫監督と


 また、映画HPの「監督メッセージ」で、荻久則夫監督が述べています。


「この作品は、私が作った気がしないのです。なにか、大いなる力によって導かれ、完成させていただいたとしか思えないのです。
 すべての人に思い出してほしいのです。あなたは皆に愛され、祝福されて生まれてきたのだということを。そしてあなたは、あなたが選んだお母さんを助けるために、人の役に立つために生まれてきたのだということを。赤ちゃんたち、こどもたちの声に耳を傾けると、幸せへの近道が見えてきます。自分はひとりぼっちだと思っているあなたの中にも、実は純真な子どもが住んでいます。だからあなたにも心躍らせて映画の中の子どもたちと共鳴してほしいのです。そして、あなたの身近にいる子どもたちにも、あなたの中に住む子どもにも、優しい思いをシェアして、抱きしめてあげてほしいのです」

 わたしは、この映画を観て、メーテルリンクの『青い鳥』に出てくる「未来の国」を思い浮かべました。チルチルとミチルが最後に訪れる国ですが、ここでは、これから将来生まれてくる子どもたちが出番を待っています。
 彼らは、人間が長生きするための妙薬を33種類も発明するとか、誰も知らない光を発見するとか、羽がなくても鳥のように飛べる機械を発見するとか、とにかく人類のために何か役立ちたいという大きな志を抱いています。

 「未来の国」では、運命の支配者である「時」のおじいさんも登場します。
 「時」のおじいさんもは、「子どもたちの生まれる時は運命によって決まっており、それを変えることはできない」と言います。また、「人間は地上に生まれるとき、たとえ発明などではなく、罪でも病気でもよいから何か1つは土産を持っていかなければならない」と言うのです。これは人間の使命というものについて考えさせてくれます。

 そして、「未来の国」の子どもたちは、将来の自分たちの両親についてよく知っていました。赤ちゃんは生まれる前に、お母さんと約束して、今度の人生ではどういった使命を果たすのかを心に決めているというのです。でも、彼らが地球に到着した時点で、宇宙はその記憶を消してします。ごくたまに、記憶が残っている子どもが存在する。そのような考えが『青い鳥』に描かれていますが、これは「かみさまとのやくそく」の内容に通じます。

 神秘学や心霊主義にも詳しかったメーテルリンクは、そのような思想をどこかで学んだのかもしれません。さらには、「幸福」のシンボルである青い鳥とは、ずばり結婚相手のことを暗示しているという見方もできます。じつは有名な『青い鳥』には後日談ともいうべき続編が存在します。1987年に発表された『いいなずけ』という作品で、日本では『チルチルの青春』というタイトルで中村麻美氏による翻案(あすなろ書房)が出ています。

 青い鳥をさがす旅に出てから7年後、チルチルは16歳になりました。ある晩のこと、なつかしい妖婆があらわれ、チルチルが幸福な結婚をするために、その相手を見つけてあげようといいます。候補者は、チルチルの6人のガールフレンドです。「森」をはじめ、「先祖の国」とか「子孫の国」とか、さまざまな場所を訪れた末に、チルチルが見つけた結婚相手は意外な人物でした。その相手は6人のガールフレンドではなく、なんと7年前にチルチルが青い鳥をあげた病気の女の子だったのです。美しい娘に成長した彼女は、あれ以来、ずっとチルチルのことを想い続けていたのです。

 面白いのは、彼女を選んだのが「子孫の国」にいたチルチルの未来の子どもたちだったことです。彼らは、未来の自分たちの母親に抱きついたのでした。ここにも、子どもは親を選んで生まれてくるという思想が見られます。
 いずれにしても、幸せの青い鳥と同じく、理想の結婚相手は遠くではなく近くにいるのだというメッセージは、とてもわかりやすいといえます。あまり高望みをしていてはダメだということですね。なお、今の自分は本当の自分ではないと信じて、いつまでも定職につかずに夢を追い続けて転職を繰り返す人のことを「青い鳥症候群」というそうです。
これらのことは、『涙は世界で一番小さな海』(三五館)でも紹介しました。

 それから、「かみさまとのやくそく」で紹介されている、赤ちゃんが自分の意志でお母さんを選んでいる。人は自分で自分の人生を決めているという考えは非常にしっくりきます。というのも、わたしはこの世の人生とは学校のようなものだと考えているからです。学校とは、学びの場です。わたしたちは、学ぶために、わざわざ生まれてきたのです。

 人生とは、自分で自分に与えた問題集ではないでしょうか。そこでは、人間関係のトラブル、貧困、病気、障害、そして死などの、さまざまな「思い通りにならないこと」つまり、さまざまな「試練」を組み合わせて自ら問題集を作成する。そして、それを解くことこそが人生の目的なのです。いわば、自分で目標管理シートを書くようなものですね。

 その「人生という問題集」の中で、人間として最も大切なことは何でしょうか。それは、魂を成長させることです。さまざまな試練を通じ、学びを積んで魂を成長させるために、人間はこの宇宙の中に存在しているのです。
 わたしたちは、なぜ生まれてくるのか。それは、生まれてこなければ経験できない貴重な学びの機会があるからこそ生まれてくるのです。その機会、つまり「貧」や「病」や「争」などの「思い通りにならないこと」を通じて学ぶことこそが、人間として生きる目的・意義・意味なのだと言えるでしょう。

 わたしたちが学ぶのは、魂の成長のためであると言いました。魂の成長といっても、さまざまなステージがあり、それによって難易度が異なります。はっきり言って、何の不自由もない平穏無事な生涯を送ることは小学校レベルの問題集ではないでしょうか。わたしは、そう思います。
 一方、「見えない、聞こえない、話せない」の三重苦で知られるヘレン・ケラーや、両手・両足を失った中村久子のような方の人生とは、大学院レベルの最も難しい問題集なのです。この2人は、超難解な問題集を途中で投げ出し、学校から逃げ出しませんでした。つまり、自殺などせずに、これらの難問を見事に解いて、「この世」という学校を堂々と卒業していったのです。まさに、重い障害を抱えながらも人生を生ききった方々は、人類を代表して卒業証書を授与される資格のある偉人だと、わたしは心から思います。

 さて、現実の世界で学校を卒業する際に最も多く使われる言葉、それはやはり「さようなら」でしょう。卒業とは、別れです。卒業の別れはセンチメンタルで悲しくはあるけれど、決して不幸な出来事ではありません。卒業してゆく者にとって、その先には新しい世界や経験や仲間が待っているのであり、卒業とは旅立ちでもあるのです。だから、「さようなら」の次に卒業式で使われる言葉は「おめでとう」なのです。

 それは、死という人生の卒業もまったく同じことです。
 たしかに死は悲しいものです。不幸な出来事ではありませんが、悲しい出来事ではあります。誰だって、親や配偶者や子どもや恋人が死んだら、悲しいはずです。わたしだって、とても悲しいです。
 しかし、その悲しさとは、実は死そのものの悲しさではなく、愛する者と別れる寂しさからくる悲しさなのです。ですから、別れの寂しさを死そのものの悲しさと混同してはなりません。死とは、人生という名の学校を卒業して次の世界に進むプロセスにほかならないことを知ることが大切です。今日のシンポジウムに出演されている矢作直樹先生との共著のタイトルではありませんが、『命には続きがある』ということを痛感させてくれる映画でした。

 それから、この映画を観ていて、わたしは自分の母親のことを想いました。
 「ぼくを生んでくれて、本当にありがとう」と感謝の気持ちでいっぱいになりました。わたしの誕生日は5月10日なのですが、5月は自分にとって特別な月です。それは、5日の「子どもの日」、10日の自分の「誕生日」、そして「母の日」があるからです。幼いときから、わたしにとって、いつもこの3つの「日」は三点セットでした。そして、大人になってから、この3つは実は同じことだと気づきました。それは、自分を産んでくれた母親に感謝する日だということです。

 ヒトの赤ちゃんというのは自然界で最も弱い存在です。すべてを母親がケアしてあげなければ死んでしまう。2年間もの世話を必要とするほどの生命力の弱い生き物は他に見当たりません。わたしは、ずっと不思議に思っていました。「なぜ、こんな弱い生命種が滅亡せずに、残ってきたのだろうか?」と。あるとき、その謎が解けました。それは、ヒトの母親が子どもを死なせないように必死になって育ててきたからです。

 出産のとき、ほとんどの母親は「自分の命と引きかえにしてでも、この子を無事に産んでやりたい」と思うもの。実際、母親の命と引きかえに多くの新しい命が生まれました。また、産後の肥立ちが悪くて命を落とした母親も数えきれません。まさに、母親とは命がけで自分を産み、無条件の愛で育ててくれた人なのです。この映画を観て、ちゃんとわたしを産んでくれた母に対する強い感謝の念が湧いてきました。お母さん、ありがとう!

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上映会のようす