No.0170
わたしのブログ記事「文太兄いの手形」に書いたように、4日、日比谷シャンテの敷地内にある「合歓の広場」を訪れました。次の恵比寿での打ち合わせまでには時間があったので、何か映画でも観ようと思い、「6才のボクが、大人になるまで。」を「TOHOシネマズシャンテ」で鑑賞しました。ベルリン映画祭の銀熊賞(監督賞)を受賞した話題作です。
「ヤフー映画」の「解説」には、以下のように書かれています。
「『ビフォア』シリーズなどのリチャード・リンクレイター監督がメガホンを取り、6歳の少年とその家族の12年にわたる軌跡をつづった人間ドラマ。
主人公を演じた新星エラー・コルトレーンをはじめ、主要人物4人を同じ俳優が12年間演じ、それぞれの変遷の歴史を映し出す。
主人公の母をパトリシア・アークエット、母と離婚しアラスカに行ってしまった父をイーサン・ホークが熱演。お互いに変化や成長を遂げた家族の喜怒哀楽を刻み付けた壮大な歴史に息をのむ」
また「ヤフー映画」の「あらすじ」には、以下のように書かれています。
「メイソン(エラー・コルトレーン)は、母オリヴィア(パトリシア・アークエット)と姉サマンサ(ローレライ・リンクレイター)とテキサス州の小さな町で生活していた。彼が6歳のとき、母は子供たちの反対を押し切って祖母が住むヒューストンへの引っ越しを決める。さらに彼らの転居先に、離婚してアラスカに行っていた父(イーサン・ホーク)が1年半ぶりに突然現れ・・・・・・」
主人公の少年メイソンを演じるエラー・コルトレーンを筆頭に、母親役のパトリシア・アークエット、父親役のイーサン・ホーク、姉役のローレライ・リンクレーターの4人の俳優が、12年間同じ役を演じ続けて完成された作品です。それぞれの成長あるいは老化のリアルな姿が興味深かったです。
4人家族それぞれの人生が描き出されますが、わたしには母親の生き方に違和感を覚えました。6才のメイソンと姉は、キャリアアップのために大学に入学した母に伴われてヒューストンに転居し、その地で多感な思春期を過ごします。その後、母は大学教授と再婚しますが、その男はアルコールに依存し、家族に暴力を振るう最低の男でした。
母は覚悟がないまま妊娠し、そのまま結婚したことで、「自分の納得のゆく人生を送らなければ」と思ったのでしょうが、自身のエゴで子どもたちの心を傷つけ続けるところは不愉快でした。
この映画を観て痛感したことは、女性は結婚および妊娠には覚悟が必要だということです。もちろん男性にも覚悟は必要ですが、やはり女性の場合は出産や育児の問題もあり、人生における最大の重大事と言えるでしょう。メイソンは初恋などを経験し、高校を卒業して母親のもとを巣立ちますが、そのとき大学教員となった母親が泣きながら「わたしの人生は何なの? あとは葬式だけなの?」と泣き崩れたのは本当に哀れでした。この女性は、自分から不幸になる性向の持ち主のようです。
徹底して自己中心の母親に比べて、イーサン・ホーク演じる父親と子どもたちとの交流には心温まるものがありました。一方、母親が再婚した義父は大学教授という社会的地位の高い仕事でありながら、酒乱だし、家庭で荒れるし、とにかく最低でした。わたしは、この義父の姿を苦々しく観ながら、「家では泥酔しないようにしよう」とか「口うるさく言うのはやめよう」とか、いろいろと考えさせられました。「父親とはどうあるべきか?」を自問せずにはおれない映画でした。
大人になっていくメイソンは、やがてアート写真家という将来の夢を見つけます。写真は一般に「時間を殺す芸術」と呼ばれます。その瞬間を封印するという意味でしょうが、この映画そのものは時間の流れをそのまま追っているのに、主人公は「時間を殺す芸術」としての写真家としての道を歩み出します。このあたり、「写真」と「映画」の本質について考えさせられてました。
わたしのブログ記事「インターステラ―」で紹介した映画では「時間」についての斬新な考え方が提示されますが、この「6才のボクが、大人になるまで。」もまた違った意味で「時間」について考えさせられる映画でした。
最後に大学に入学したメイソンは、同級生たちとハイキングに出かけ、1人の女の子と会話を交わします。そのとき、メイソンは「時間というのは、つまりは今のことだ」といった意味のことを語ります。時間とは、過去でも未来でもなく現在のこと。この一言には大きなインスピレーションを受けました。
「NYタイムス」は、この映画について「21世紀に公開された作品の中でも並外れた傑作の1本」と評しています。米映画評集計サイトのRotten Tomatoesでは驚異の高評価100%を記録しているとか。早くもアカデミー賞最有力の声も上がっている「6才のボクが、大人になるまで。」ですが、原題は「Boyhood(少年時代)」です。
「映画com.」で、評論家の若林ゆり氏は、「離婚した両親に振り回されて理不尽な思いをしたり、喪失や孤独、初恋といった感情を知っていくメイソン。そのささやかな瞬間瞬間の積み重ねが、見る者の心を震わせずにはおかないのだ。まるで自分のことのように体験する映画の時間は、またたく間に過ぎていく。1年ごとに変貌し、顔つきも心も精悍になっていく少年の姿に、美しくも残酷な"時"をリアルに感じながら」と述べています。
とにかく、「6才のボクが、大人になるまで。」は、1人の少年の6歳から18歳までの成長と家族の軌跡を、12年かけて撮影した映画として大きな話題を呼んでいます。わたしは、この映画を観ながら、日本のドラマである「北の国から」を連想しました。このドラマは15年にも渡って、1つの家族の歴史を追っています。メイソンを演じるエラー・コルトレーンに「北の国から」で純を演じた吉岡秀隆の面影が重なりました。まあ、「北の国から」はリアルタイムで15年間に渡って撮影、放送されたわけですが、「6才のボクが、大人になるまで。」は12年間ひたすら撮影されただけというのが驚異的です。しかし、両者に共通するのは、夫婦の離婚で一番振り回されるのは子どもという真実でしょう。やはり極力、離婚は避けるべきであると思います。そのためにも、結婚は慎重にしなければなりません!
この映画は『死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)で取り上げました。