No.0171
忘年会シーズンですが、12日の夜は1人で過ごしました。
この日に公開されたばかりの映画「ゴーン・ガール」を観たのです。
とても面白く、そして怖い作品でした。良く出来たスリラー映画です。
「ヤフー映画」の「解説」には、以下のように書かれています。
「結婚5周年に突如姿を消した妻を捜す男が警察の捜査やメディア報道に追い込まれ、さらに妻殺害の疑いを掛けられてしまう物語を描くスリラー。アメリカの女性作家ギリアン・フリンのベストセラーをベースに、理想の夫婦が抱える秘密を暴く。監督は、『ソーシャル・ネットワーク』などの鬼才デヴィッド・フィンチャー。主演はオスカー受賞作『アルゴ』など監督業でも活躍するベン・アフレック、妻には『アウトロー』などのロザムンド・パイクがふんする」
また「ヤフー映画」の「あらすじ」には、以下のように書かれています。
「ニック(ベン・アフレック)とエイミー(ロザムンド・パイク)は誰もがうらやむ夫婦のはずだったが、結婚5周年の記念日に突然エイミーが行方をくらましてしまう。警察に嫌疑を掛けられ、日々続報を流すため取材を続けるメディアによって、ニックが話す幸せに満ちあふれた結婚生活にほころびが生じていく。うそをつき理解不能な行動を続けるニックに、次第に世間はエイミー殺害疑惑の目を向け・・・・・・」
この映画、とにかく失踪した人妻エイミーを演じたロザムンド・パイクが美しかったです。きれいなブロンドの髪に整った顔立ち。まさに「クール・ビューティー」そのイメージそのままです。「クール・ビューティー」といえば、ブログ「グレース・オブ・モナコ~公妃の切り札」で紹介した映画のモデルになったグレース・ケリーの名が浮かびますが、実際、「ゴーン・ガール」でのロザムンド・パイクの雰囲気はグレース・ケリーを彷彿とさせました。
グレース・ケリーをはじめ、「鳥」のティッピ・へドレン、「めまい」のキム・ノヴァク・・・・・・すべて美しいブロンドヘアの持ち主です。
「ヒッチコック・ブロンド」という言葉があるぐらい、巨匠ヒッチコック監督はとにかくブロンドの女性が好きだったようです。
わたしのブログ記事「ヒッチコック」で紹介した映画を観れば分かりますが、ヒッチコックの最大のヒット作である「サイコ」のジャネット・リーはわざわざブロンドのカツラをつけています。彼がいかにブロンドにこだわったのかが分かるエピソードですが、おそらくヒッチコックが生きていれば、絶対にロザムンド・パイクを気に入ったに違いありません。
というよりも、「ゴーン・ガール」というスリラー映画そのもが非常にヒッチコック映画の香りを放っていました。特に、妻が夫に関する妄想に苛まれる「断崖」に似ています。「ゴーン・ガール」では立場が逆転して、夫が妻に関する妄想に苛まれるわけですが。
あと、ヒッチコックの最高傑作である「サイコ」にも通じる内容です。実際、アンソニー・パーキンスが演じた「サイコ」の主人公ノーマン・ベイツの風貌にそっくりな人物が重要な役割で「ゴーン・ガール」に登場します。
いずれにせよ、デヴィッド・フィンチャー監督は敬愛するヒッチコックへのオマージュとして「ゴーン・ガール」を製作したように思えます。
もっとも、原作であるギリアン・フリンの小説はもっと深い不安を描いていたようです。
「映画com.」で評論家の山崎まどか氏は、「結婚という夢に固執した女のサスペンスフルなブラック・コメディ」として、以下のように述べています。
「原作の前半はエイミーが失踪するまでの、夫婦の息詰まるような関係を描いていた。ニューヨークで華やかな生活をおくっていたニックとエイミーの後ろでアメリカの経済が大きく傾き、それがミズーリ州まで追いかけてきて2人を蝕んでいく。デヴィッド・フィンチャーの映画版はその要素が薄い。唐突に消えたエイミーの行方を追うミズーリの人々を俯瞰するような突き放したトーンの向こう側に、人を不安にさせる何かが渦巻いているのを見せるに過ぎない」
また、山崎氏は次のようにも述べています。
「ベン・アフレックが演じるニックは受け身で感情をはっきり表すこともなく、人々を苛立たせる。暴力や姦通、背後にある様々なものを匂わす気配は漂っているが、はっきりとつかむことが出来ないのだ。その不安定なムードは中盤以降がらりと変わってくるのだが、原作に忠実なそのドラマティックな展開の意味すらも、前半における事件の描き方によってやや変わってきている。原作にあった社会的な背景をより遠くに置くことで、フィンチャーは結婚生活というより普遍的なテーマにフォーカスしたようだ」
この映画のストーリーに触れることはできません。何を書いても「ネタバレ」になってしまいます。でも、「結婚の空虚さ」「夫婦という関係のインチキさ」を描いているということは明かしてもいいでしょう。実際、これから結婚をしたいと考えている人はこの映画を観ないほうがいいかもしれません。心底震え上がって、結婚するのが怖くなるかもしれません。もともと、男と女はそれぞれが別世界に住む生き物です。夫婦が一緒に暮らすというのは、すぐ近くに「異界」を抱え込むことなのです。しかし、それだからこそ異質なもの同士の魂の合体は「結魂」となり、「産霊(むすび)」を実現するのですが・・・・・・。このあたりについて、さらに詳しく知りたい方は拙著『結魂論~なぜ人は結婚するのか』(成甲書房)をお読み下さい。
それにしても、失踪したエイミーは結婚後5年を経過した人妻であり、少女ではありません。なぜ、この映画のタイトルは「ゴーン・ワイフ」でも「ゴーン・レディ」でもなく、「ゴーン・ガール」なのか。そのことが、わたしの中に謎として残りました。人気作家だった母親のせいで少女時代のエイミーはカリスマ的な存在でしたが、「少女時代は去った」「いつまでも娘気分ではいられない」といったような意味も込められているのでしょうか?
最後に、わらしのブログ記事「財布を紛失しました(´Д`。)」に書いたように、わたしは師走に財布をなくすという不幸に見舞われたのですが、この映画の主人公であるニックが被った災厄に比べれば、財布をなくすことなど屁でもありません。そのように思えてきて、映画を観終わったわたしの心は晴れ晴れとしていました。映画には、こういう効能もあるのです!