映画「アバウト・タイム~愛おしい時間について~」をTOHOシネマズシャンテで観ました。

 「ヤフー映画」の「解説」には、以下のように書かれています。


「タイムトラベルの能力を持つ家系に生まれた青年が意中の女性との関係を進展させようと奮闘する中で、愛や幸せの本当の意味に気付くヒューマンコメディー。『ラブ・アクチュアリー』などで知られるラブコメに定評のあるリチャード・カーティス監督が、恋人や友人、家族と育む何げない日常の大切さを描く。『ハリー・ポッター』シリーズなどのドーナル・グリーソンを主演に、『きみに読む物語』などのレイチェル・マクアダムス、『ラブ・アクチュアリー』にも出演したビル・ナイらが共演」

 また「ヤフー映画」の「あらすじ」には、以下のように書かれています。


「自分に自信がなく恋人のいないティム(ドーナル・グリーソン)は21歳の誕生日に、父親(ビル・ナイ)から一家の男たちにはタイムトラベル能力があることを告げられる。恋人を得るため張り切ってタイムトラベルを繰り返すティムは、やがて魅力的な女性メアリー(レイチェル・マクアダムス)と恋をする。しかしタイムトラベルによって生じたアクシデントにより、そもそもメアリーと出会っていなかったということになってしまい・・・・・・」

アバウト・タイム~愛おしい時間について~」のイギリス公開時には、リチャード・カーティス監督の代表作「フォー・ウエディング」「ラブ・アクチュアリー」「ノッティングヒルの恋人」、そして「アバウト・タイム~愛おしい時間について~」の4作品をまとめた動画が解禁され、ユーチューブにもアップされています。使用されている楽曲は、「アバウト・タイム~愛おしい時間について~」のエンディングロールで流れたエリー・ゴールディングの「How Long Will Love You」です。

 この映画のパンフレットの扉には、リチャード・カーティス監督が次の言葉を寄せています。

「この作品を映画監督としての集大成にしようと思っている。物語のテーマは家族。恋をして、結婚して子供が生まれ、家族を築いていくことの素晴らしさを語っている。作品を見てくれた人たちには、何気ないことがかけがえのないものに変わることを感じてほしい」

 わたしは、これまでカーティス監督の作品はすべて観てきました。彼のファンというよりも、仕事の上での必要上です。というのも、「フォー・ウエディング」をはじめ、彼の作品にはすべて結婚式が登場するからです。舞台はもちろんイギリスですが、カーティス作品で描かれるハートウォーミングな結婚式は、世界中のブライダル・ビジネスに多大な影響を与えてきました。
 わたしは「ラブ・アクチュアリー」を鑑賞した直後に行われたサンレーグループの冠婚責任者会議において、映画の内容を紹介しながら、今後の冠婚トレンドについて話したことがあります。

 さて、「アバウト・タイム~愛おしい時間について~」は、いわゆる「タイムトラベル映画」です。最近も、わたしのブログ記事「オール・ユー・ニード・イズ・キル」およびブログ「インターステラ―」で紹介したSF映画の傑作をはじめ、人間が時間を超越する行為を描いた映画は無数にあります。それはそのまま映画の歴史であると言っても過言ではありません。
 ちょうど今、『別冊映画秘宝 タイムトラベル映像読本』岸川靖・編(洋泉社)という本を読んでいるのですが、その表紙には「『タイムマシン』『タイムトンネル』『ある日どこかで』・・・・・・はるか未来から太古の昔まで時空を越えるSF活劇映像の世界を徹底研究!」と書かれています。

 先日、わたしのブログ記事「6才のボクが、大人になるまで。」で紹介したトークイベントに参加したときにも感じたのですが、わたしは映画を含む映像作品そのものが生まれた根源には人間の「不死への憧れ」があると思います。
 写真は一般に「時間を殺す芸術」と呼ばれます。その瞬間を「封印」するという意味です。しかし映像は「時間を生け捕りにする芸術」です。かけがえのない時間をそのまま「保存」するという意味です。そのことは、わが子の運動会を必死でデジタルビデオで撮影する親たちの姿を見てもよくわかります。「時間を保存する」ということは「時間を超越する」ことにつながり、さらには「死すべき運命から自由になる」ことに通じます。写真が「死」のメディアなら、映画は「不死」のメディアなのです。だからこそ、映画の誕生以来、無数のタイムトラベル映画が作られてきたのでしょう。

 わたしは自分がタイムトラベラーになったときの心境を想像しました。
 日本が世界に誇るSFコミック『ドラえもん』には、ドラえもんとのび太がタイムマシンに乗って時間の流れの中を行く場面がよく登場します。彼らはどこか特定の時点を目的地とし、その時代にタイムトラベルするわけですが、自分ならどの時間を目指すか?わたしのブログ記事「財布を紛失しました(´Д`。)」に書いたように、わたしは師走に財布をなくすという不幸に見舞われたので、今のわたしなら財布をなくした現場であるKタクシーに乗車している時点に帰りたいです。また例えば、わたしが車を運転していて人身事故を起こしたような場合は、確実に事故が起こる前の時点に帰りたいと思うでしょう。つまり、流れゆく時間の中でタイムトラベルの目的地とされるのは「事故」の直前といったケースが多いように思います。

 「事故」というのは出来事です。それもマイナスの出来事です。
 そして、流ゆく時間の中には、プラスの出来事もあります。
 その最大のものが結婚式ではないでしょうか?
 考えてみれば、多くの人が動画として残したいと願う人生の場面の最たるものは結婚式および結婚披露宴ではないかと思います。なぜなら、それが「人生最高の良き日」だからです。
 結婚式以外にも、初宮参り、七五三、成人式などは動画に残されます。
 それらの人生儀礼も、結婚式と同じくプラスの出来事だからです。
 わたしがタイムトラベラーだとしたら、プラスの出来事かマイナスの出来事か、どちからを必ず目指すのではないかと思います。

 わたしは、人生儀礼とは季節のようなものだと思っています。
 「ステーション」という英語の語源は「シーズン」から来ているそうです。
 人生とは1本の鉄道線路のようなもので、山あり谷あり、そしてその間にはいくつもの駅がある。季節というのは流れる時間に人間がピリオドを打ったものであり、鉄道の線路を時間に例えれば、駅はさまざまな季節ということになります。そして、儀式を意味する「セレモニー」も「シーズン」に通じます。七五三や成人式、そして結婚式とは人生の季節、人生の駅なのです。タイムトラベラーという「旅人」なら、「駅」を目指すのは当然でしょう。

 ここで、忘れてはならないことがあります。
 最大の人生儀礼とは、葬儀であるということです。
 葬儀は、まさに故人の人生の総決算です。葬儀といえば、イギリス版「おくりびと」として大きな話題になっている「おみおりの作法」という映画が来年1月に公開されるので、楽しみにしています。
 ずっと、幸福な結婚式を描いてきたカーティス監督は、この「アバウト・タイム~愛おしい時間について~」では主人公ティムの父親の葬儀を描きました。ティムは愛する父の死をどうしても受け入れられず、何度かタイムトラベルして生前の父に会いに行きます。ずっと『唯葬論』という著書の構想を練っているのですが、わたしはすべての人間の文化の根底には「死者との交流」という目的があると考えています。そして、この映画で何度も生前の父親に会いに行く主人公の姿を見ながら、映画そのものが「死者との再会」という人類普遍の願いを実現するメディアでもあることに気づきました。そう、映画を観れば、わたしが好きなヴィヴィアン・リーにだって、グレース・ケリーにだって、高倉健や菅原文太にだって会えます。

 わたしは、この映画を観て「フィールド・オブ・ドリームス」を連想しました。
 ともに主人公と亡き父親との魂の交流を感動的に描いているからです。
 わたしのブログ記事「ザ・マスター」に書いたように、アメリカ映画の本質とは父親を描くことにあります。また、読書館で紹介した小説『キネマの神様』に登場する日米の映画ブロガーのやりとりでも、この点が最大の焦点となります。
 「フィールド・オブ・ドリームス」をはじめとしたアメリカ映画から「父親」というメインテーマを論じる日本人のゴウに対して、恐ろしいくらいに映画を知り尽くしているアメリカ人ローズ・バッドは、「どうやら君たち日本人は、我々アメリカ人の心の奥に柔らかく生えているもっとも敏感で繊細な『父性への憧れ』という綿毛を逆撫でするのが趣味らしい」と書き込みます。

 たしかに、わたしもアメリカ映画の本質は「父性への憧れ」を描くことだと思いますが、この「アバウト・タイム~愛おしい時間について~」はイギリス映画です。どうやら、「父性への憧れ」というのはアメリカ映画ではなく「映画」そのものの本質なのかもしれません。そういえば、この映画全体を通じて、ティム自身が父親になることが最大のテーマになっています。そう、映画は「父性への憧れ」「不死への憧れ」「死者との再会への憧れ」から生まれたのです。その意味では、「アバウト・タイム~愛おしい時間について~」ほど映画らしい映画はないのかもしれませんね。
 この映画は『死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)で取り上げました。

  • 販売元:NBCユニバーサル・エンターテイメントジャパン
  • 発売日:2015/11/06
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