No.0176


 SF超大作「クラウド アトラス」をDVDで観ました。

 この映画は「未来医師イナバ」こと稲葉俊郎さんのブログで知りました。映画通でもある稲葉さんは「映画『クラウド アトラス』」というブログ記事の冒頭に、「チラホラとよい前評判を聞いていた『クラウド アトラス』。とんでもなく面白かったー。自分の中で今年1番の映画!面白すぎる。3時間くらいあったけど一気に見て瞳孔ひらきまくった。手塚先生の『火の鳥』を同時読みしてる感じを彷彿とさせました」と書いています。
 この映画は2013年3月に日本公開されています。大作SFには目がないわたしですが、どういうわけかこの「クラウド アトラス」はまったく自分のアンテナに引っ掛かってきませんでした。こういうこともあるのですねぇ。

 「クラウド アトラス」は、「マトリックス」3部作のウォシャウスキー監督および「ラン・ローラ・ラン」のトム・ティクヴァ監督という異例の3大監督によって、デヴィッド・ミッチェル著作のベストセラー小説を映画化した新感覚SF超大作です。アカデミー主演男優賞を2回受賞したトム・ハンクスとアカデミー主演女優賞を受賞したハル・ベリーの二大スターが共演しています。

 ヤフー映画の「解説」には以下のように書かれています。

「19世紀から24世紀へと世紀を超えて、六つの時代と場所を舞台に人間の神秘を描く壮大なスペクタクル・ドラマ。兄が性転換を経て姉弟となったラリー改めラナ、アンディ・ウォシャウスキー監督と、『パフューム ある人殺しの物語』のトム・ティクヴァが共同でメガホンを取る。時代をまたいで存在する同じ魂を持つ複数の人物という難役に挑むのは、名優トム・ハンクスをはじめ、ハル・ベリーやスーザン・サランドンといった豪華キャストたち。過去や未来を映す迫力ある映像や、深いストーリーなど、ロマンあふれる世界観に圧倒される」

 また、ヤフー映画の「あらすじ」には以下のように書かれています。

「1849年、太平洋諸島。若き弁護士に治療を施すドクター・ヘンリー・グース(トム・ハンクス)だったが、その目は邪悪な光をたたえていた。1973年のサンフランシスコ。原子力発電所の従業員アイザック・スミス(トム・ハンクス)は、取材に来た記者のルイサ(ハル・ベリー)と恋に落ちる。そして、地球崩壊後106度目の冬。ザックリー(トム・ハンクス)の村に進化した人間コミュニティーのメロニム(ハル・ベリー)がやって来て・・・・・・」

 この映画のキャッチコピーは、「それは偶然ではない――過去~現在――未来―時代と場所を越え、すべての人生はつながっている――」というものですが、そのままこの巨大スケールの映画のメッセージとなっています。
 主人公は、6つの時代と場所で、6つの人生を生きる男です。その人生は悪人で始まります。しかし、さまざまな数奇な経験を経て、ついには彼の魂は世界を救うまでに成長していくのでした。過去・現在・未来にまたがる500年の間の6つのエピソードは、一見アトランダムな流れに見えますが、じつはシーンからシーンへのつなぎの1つ1つが完璧に計算されており、圧倒的な映像で描かれていきます。

 映画のタイトルは、劇中にも登場する「クラウドアトラス六重奏」から取られています。この曲名は、明らかに映画で描かれる6つの人生のシンボルになっています。その6つの人生が登場するストーリーを、稲葉さんが以下のようにまとめてくれています。

「1849年の南太平洋諸島の航海記を、クラウドアトラス六重奏の作曲家(1936年のスコットランド)が愛読して、その恋人のシックススミスは転生(1973年 サンフランシスコ)して原発爆破の陰謀を阻止するよう命を捨てて行動する。そのときのジャーナリストの女性の深い記憶の底に残っているのはクラウドアトラス六重奏のメロディーで、その作曲に関わったお城は、後に老人ホームとなり、そこでは元編集者の老人が虐待される(2012年のロンドン)。ただその虐待からの逃亡劇、後に映画化され、それを2144年のネオ・ソウルでクローン人間となり転生したソンミ451は涙する。地球は崩壊して、地球人は再度原始的な生活に戻る。その2321年ハワイではソンミ451は預言者であり神として崇められている・・・・・」

 稲葉さんは、「この映画のベースにあるのは輪廻転生(reincarnation)」と指摘し、以下のように述べています。

「転生には性別や時代や人種にも関係がないようだ。僕らの些細な色んな行為は、親切でも悪でも、未来や過去へと同時に複雑に影響しあっているということ。6つの時代のパラレルワールド。原因や結果。過去・現在・未来。それは単純な直線関係ではないようだ。人間の脳の働きの癖でそう理解しやすいだけにすぎなくて。すべては今、同時的に起こっている。頭(理性)で把握する時に直線関係で因果や時間の流れを直線的に並べてしまうだけだろう。『時間』は一つの概念でありコンセプトだ。
輪廻転生(reincarnation)のイメージとしては、複数のスクリーンを映画館で同時に上映していることと似ている。 映画のフィルムを伸ばして、そのすべてのコマを同時にみているのに似ている。時間を糸とすると、糸が入り乱れた糸玉全体を見ているイメージ」

 素晴らしい感想です。さすがは、精神世界にも造詣の深い未来医師!

 この映画はたしかに「輪廻転生」をメインテーマとしながら、同時に「学び」の意味、「ソウルメイト」の真実なども描いていると思いました。
 さて、輪廻転生といえば、仏教の専売特許と思っている人がいますが、それは違います。生まれ変わりは、古来から人類のあいだに広く存在した考え方です。世界には、輪廻転生を認める宗教がたくさんあります。
 ヒンドゥー教や仏教といった東洋の宗教が輪廻転生を教義の柱にしていることはよく知られていますが、イスラム教の神秘主義であるスーフィーの伝統でも、詩や踊りの中で輪廻転生が美しく表現されています。
 ユダヤ教では、何千年も前から柱の一つとして、輪廻転生を肯定する「ギルガル」という考え方がありました。ユダヤの神秘思想である「カバラ」も輪廻転生に多く言及しています。約2世紀前に、近代化をはかった東欧のユダヤ人によってこの考え方は捨てられましたが、今でも、一部の人々の間では輪廻転生の思想は生きています。

 そして、キリスト教は輪廻転生を否定していると思われています。
 もちろん、現在はそうですが、過去においては違いました。キリスト教も初期の頃は輪廻転生を認めていたのです。もともと『新約聖書』には輪廻転生の記述がありました。それが、紀元4世紀、コンスタンティヌス帝がキリスト教をローマの国教としたときに削除したのです。紀元6世紀には、コンスタンティノープルの宗教会議において、公式に輪廻転生は異端であると宣言されました。いずれも輪廻転生という考え方が帝国やキリスト教会の安定を脅かすと思われたからです。前世や来世があるという考えでは、救済されるまでに時間がかかりすぎます。1回きりの最後の審判というおどしによって、信者に正しい行動をさせる必要を感じたのです。それでも、輪廻転生を信じるキリスト教徒もいました。イタリアと南フランスにいたカタリ派の人々です。しかし、彼らは異端として虐殺されました。12世紀のことです。

 日本でも、生まれ変わりは信じられてきました。
 江戸時代の国学者である平田篤胤は、「生まれ変わり少年」として評判だった勝五郎のことを研究しました。文化・文政年間に武蔵国多摩郡で実際に起きた事件ですが、勝五郎という名の八歳の百姓のせがれが「われは生まれる前は、程窪村の久兵衛という人の子で藤蔵といったのだ」と言い出しました。仰天した祖母が程窪村へ連れていくと、ある家の前まで来て、「この家だ」と言って駆け込みました。また向かいの煙草屋の屋根を指さして、「前には、あの屋根はなかった。あの木もなかった」などと言いましたが、すべてその通りでした。これが日本で最も有名な生まれ変わり事件です。

 西洋の歴史をみると、ピタゴラス、プラトン、ミルトン、スピノザ、ゲーテ、ビクトル・ユーゴー、ホイットマン、イプセン、メーテルリンクといった人々は、みな輪廻転生を肯定する再生論者でした。

 「クラウド アトラス」と輪廻転生について、稲葉さんは述べます。

「この映画を見ると、自分の些細な善行為は複雑な形で自分に善として返ってきて、自分の些細な悪行為(罪)は複雑な形で自分に悪として返ってきているのが分かる。 時間のスパンが長い(自分の別の人生へ影響を与えている場合は分かりにくい)から分かり行くいだけで。自分が助けようとしている人は、過去自分が助けられた人かもしれない。自分を助けてくれた人は、過去自分が助けた人かもしれない。そして、どんな人でも過去生で悪人や犯罪者を経験しているらしい。記憶を失っているだけで『自分』はあらゆる立場を経験している。そう考えると、犯罪者への眼差しも少し変わる。ちょっとした勇気や意思の力で、何かしらの善を個人がもたらすことが、全体としての善につながっているようだ。
もちろん、善悪というのは小さいスパンで考えるのではなくて、長い長いスパンで考えたほうがいいみたい。ほんの数十年のスパンで考えるのは適切ではないようだ。少なくとも数世代のスパンで。インディアンも3世代先のことを見越しながら日々行為している。
『雲の地図(クラウド・アトラス)』や星の地図を見ながら。自然の壮大な因果を思いつつ、自分の行為が波紋を呼びながら及ぼす影響を考えることが大事だろう。全ての事は自分に返ってくる。与えているものを僕らは受け取っているのだ、ということを感じる」

 わたしは、この映画の未来像のイメージが印象深かったです。
 特に、2144年に「給仕クローン」という存在が飲食店でサービスを行っている姿がショックでした。映画では、まったく同じ顔をした給仕クローンの女の子たちが某ハンバーガーチェーンを彷彿とさせる店で働いているのです。生身の人間である男性客は彼女たちにセクハラのし放題なのですが、少しでも抵抗すると彼女たちは殺されてしまいます。
 給仕クローンの代わりはいくらでも作れるので、言うことをきかない者は処分されるのです。わたしは『決定版 おもてなし入門』という本を書き上げたばかりですが、サービス業というものの意義を徹底的に否定したこの描写には強い不快感をおぼえました。
 また、強い危機感もおぼえました。実際、現実のサービスの現場でクローンやロボットでもいいサービスが行われているからです。よく考えれば、「労働集約型」などという言葉そのものが「給仕クローン」につながる危険性を秘めています。生身の人間だけにしか出来ないサービスこそ「おもてなし」です。わたしは、「おもてなし」の本を書いて良かったと思いました。
 そして、わたしは、本業である冠婚葬祭業の現場において、真の「おもてなし」を提供しなければならないと痛感しました。そういった想いや行動が次の時代に影響を与えていくのではないでしょうか。
 稲葉さんも、ブログの最後に次のように述べています。

「人間はどこまでも非人道的なことも想像できるし実行するのも実行しないのも人間の意思次第だ。意思の力で世界はパラレルワールドに枝分かれしている。人類は善にも悪にも進みうる自由意志を与えられている。自由とはそういう諸刃の剣でもある。諸刃の剣は使い方次第だ。どちらの面を使うのか。人類の善も悪もすべて受け止めて前へ進む覚悟が必要だろう。歴史とはそういうものだ」

 反逆罪で逮捕されたクローン給仕のソンミは取り調べ官の尋問を受けます。彼女は多くの質問に答えますが、その言葉の1つ1つが重く、観る者の心に突き刺さります。
「魂は時空という玄海をはるかに超える」
「愛というものは死をも乗り越える」
「命は自分のものではない」
「子宮から墓場まで、人は他者とつながっている。過去も現在も・・・・・・」
「すべての罪が、あらゆる善意が、未来を創る」
「それぞれの生き方が永遠の魂に影響を与えうる」

 ソンミの発言を聴いた取り調べ官は、発言の内容の深さに動揺しつつも、「あなたは来世を信じるのですか? 天国が存在すると思うのですか?」と問います。それに対して、ソンミは毅然として、次のように言うのでした。

「死はただの扉に過ぎません。閉じたとき、次の扉が開く。わたしにとって天国とは新しい扉が開くこと」

 わたしは、この言葉を聴いて、「勇気の人」こと矢作直樹先生との対談本『命には続きがある』(PHP研究所)の内容を思い出しました。 あの本では、矢作先生とわたしが「死は終わりではない」「死は不幸ではない」と繰り返し語っています。ちなみに、わたしに「クラウド アトラス」を紹介してくれた稲葉さんは東大医学部で矢作先生に学び、現在、お二人はともに東大病院に勤務されています。

 この映画を「とにかく見てほしい!超絶お薦め!!」とまで絶賛する稲葉さんは、映画のDVDを大量に購入し、周囲の人に配られたそうです。
 稲葉さん、素晴らしい映画を紹介していただいて、ありがとうございました。
 おかげさまで、正月から有意義な時間を過ごすことができました。
 最後に、これほどの名作がアメリカでは、驚くほどの低評価でした。 なんと、「TIME」誌「2012年のワースト映画トップ10」の1位だったとか。
 これはキリスト教国家であるアメリカ人の信仰が影響しているというよりも、この映画のような世界観を受け入れる感性がないのでしょう。
 ハリウッドの大スターであるにもかかわらず、この奇跡のような映画に出演したトム・ハンクスとハル・ベリーの2人に心からの敬意を表します。

  • 販売元:ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント
  • 発売日:2014/02/05
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