No.0175


 テオ・アンゲロプロス監督の「永遠と一日」をDVDで観ました。
 テオ・アンゲロプロスといえば、ギリシャ映画界最大の巨匠です。 1935年生まれ。アテネ大学法学部を卒業後、兵役を経てフランスのソルボンヌ、IDHEC(国立映画高等学院)に留学。帰国後は映画雑誌で批評活動を行った後、68年に短編映画「放送」を自主製作して映画監督としてデビュー。70年に監督・脚本を務めた処女長編作「再現」でギリシャ・テサロニキ映画祭グランプリ、フランスのジョルジュ・サドゥール賞受賞など、各国で賞賛を集めました。75年の長編第3作「旅芸人の記録」ではカンヌ映画祭国際批評家大賞、80年の長編第5作「アレクサンダー大王」ではヴェネチア映画祭金獅子賞、国際批評家大賞をダブル受賞、98年、「永遠と一日」でカンヌ映画祭パルム・ドールを受賞しました。

 わたしは、映画史上に残る大傑作とされている「旅芸人の記録」や「アレクサンダー大王」はすでに観ていましたが、この「永遠と一日」は未見でした。「世界的巨匠」と認められていたテオ・アンゲロプロスは、寡作ながら新作が発表されるたびに世界を熱狂させました。日本でも、評論家にとどまらず、黒澤明や大島渚といった映画監督たちからその才能を高く賞賛されていたことで知られます。そんな彼は、2012年の1月に、アテネで映画の撮影中、トンネル内でオートバイにはねられ頭を強打。運ばれた先の病院で死亡しました。世界中の映画ファンがその死を惜しみました。

 「永遠と一日」は、死を強く意識した老詩人と難民の子供との1日間の交流を詩情豊かに描いた人間ドラマであり、美しい映像詩でもあります。DVDパッケージの裏には、以下のように物語が紹介されています。

「不治の病を患い、人生で最後の一日を送ることに決めた老詩人アレクサンドレのもとを訪れる様々な出来事。アルバニア難民である少年との出会い。家族たちとの別れ。愛犬との最後の時間。長く住んだ家の解体。追い求め続けた過去の詩人の姿。母との思い出。そして、数年前に亡くした妻アンナとの思い出。彼女の静かだが強く激しい愛情を、アレクサンドレは人生ではじめて生々しく感じることができた」

 続いて、DVDパッケージの裏には、以下のように書かれています。

「現実と幻想を軽やかに行き来しつつ、老詩人の最後の一日を描いた詩情溢れるアンゲロプロスの傑作。まるで人生に微笑みかけるようなやさしさと穏やかさに満ちたこの作品は、カンヌ国際映画祭で最高賞のパルム・ドールを受賞した。『ベルリン・天使の詩』などで知られるドイツの名優ブルーノ・ガンツとのコンビは、遺作となった『エレ二の帰郷』にも受け継がれている」

 「永遠と一日」を観て、まず感銘を受けたのは主演のブルーノ・ガンツの存在感の大きさといか、その堂々とした佇まいでした。彼の名前を一躍世界に知らしめた「ベルリン・天使の詩」からも、わたしは多大なインスピレーションを受けました。あの映画で守護天使ダミエルを演じたブルーノ・ガンツは「愛」の意味を人間たちに伝えようとしましたが、「永遠の一日」で彼が演じた老詩人もまったく同じく「愛」の意味を伝えてくれたように思います。その意味で、老詩人アレクサンドレとは天使ダミエルの化身だったのかもしれません。天使に時間はありません。天使は「永遠」を生きます。そして、人も「愛」の意味を知ることによって、「永遠」を生きることができるのです。

 アレクサンドレが亡き妻に「明日の時の長さは?」と問いかけると、妻は「永遠と一日」と答えます。この場面を観て、わたしは『愛する人を亡くした人へ』や『死が怖くなくなる読書』などで書いてきたメッセージを思い出しました。それは、「愛」の存在があって、はじめて人間は自らの「死」を直視でき、それを乗り越えることができるというものです。箴言家のラ・ロシュフーコーは「太陽と死は直視できない」と言いました。たしかに、太陽と死は直接見ることができません。でも、間接的になら見ることはできます。そう、太陽はサングラスをかければ見れます。そして、死にもサングラスのような存在があるのです。それを「愛」と呼びます。

 「愛」と「死」は、文学における二大テーマであると言ってもよいでしょう。
 偉大な文学作品は、必ず「愛」と「死」の両方を描いています。なぜか。
 「愛」はもちろん人間にとって最も価値のあるものです。ただ「愛」をただ「愛」として語り、描くだけではその本来の姿は決して見えてきません。
 そこに登場するのが、人類最大のテーマである「死」です。
 「死」の存在があってはじめて、「愛」はその輪郭を明らかにし、強い輝きを放つのではないでしょうか。

 そう、「死」があってこそ、「愛」が光るのです。
 そこに感動が生まれるのです。逆に、「愛」の存在があって、はじめて人間は自らの「死」を直視できるとも言えます。「死」という直視できないものを見るためのサングラスこそ「愛」ではないでしょうか。誰だって死ぬのは怖いし、自分の死をストレートに考えることは困難です。しかし、愛する恋人、愛する妻や夫、愛するわが子、愛するわが孫の存在があったとしたらどうでしょうか。人は心から愛するものがあってはじめて、自らの死を乗り越え、永遠の時間の中で生きられるように思います。

 その愛は生きている人間に限られません。今は亡き愛する者の面影だって、死を乗り越えるサングラスになりうるのです。実際、「永遠と一日」におけるアレクサンドレにとっての愛情の対象は、この世に残した実娘というよりも、あの世の母親や妻だったように思います。もうずいぶん前に亡くなったわたしの祖母は、「いつお迎えが来てもいい。あちらで、おじいさんが寂しがっているだろうから、早く行ってあげないとね」と言っていましたが、結局はそういうことではないでしょうか。

 さて、「永遠の一日」はとても美しい映画です。
 アンゲロプロス監督のイメージが飛翔するがまま、自由に描かれています。まさにアンゲロプロス映画の美と詩情が頂点を極める傑作であると言えますが、中でもアレクサンドレが難民の子と一緒に乗り込んだ夜行バスのシーンが秀逸でした。そのバスには、赤旗を持った革命家、別れ話をする恋人たち、楽団、そしてバイロンとおぼしき過去の詩人など、さまざまな人々が乗り込んできます。でも、彼らにはリアリティがなく、幻想の世界の住人としか見えません。このあたりの描写は、ブログ『銀河鉄道の夜』で紹介した宮沢賢治の名作をを連想させます。おそらく、アンゲロプロスは賢治の影響を受けているのではないでしょうか?

 最後に、今年最初の映画として「永遠の一日」を選んだ理由として、わたしの次回作が『永遠葬』なので「永遠」という単語が心に飛び込んできたと書きました。それはウソではないのですが、もっと大きな理由がありました。
 「サロンの達人」こと佐藤修さんが、自身のブログでこの映画について触れていたのを読んだからです。佐藤さんは「おみおくりの作法」というブログ記事の中で、試写会で観たイギリス映画「「おみおくりの作法」非常に感動したと述べた後、「昔観たギリシア映画『永遠と一日』に負けずに涙が出ました」と書かれていました。「おみおくりの作法」は1月24日(土)よりシネスイッチ銀座ほかでロードショーされます。今からとても楽しみにしています。

 イギリス版「おくりびと」として大きな話題になっている「おみおくりの作法」と「永遠の一日」には共通したテーマがあります。
 それは、「人生を修める」という最も重要なテーマです。
 いまの日本は「終活ブーム」だそうです。わたしも『決定版 終活入門』(実業之日本社)を書きましたが、そこで「終活」の代わりに「修活」という言葉を提案しました。「終末活動」ではなく「修生活動」です。「修生」とは文字通り、「人生を修める」という意味です。

 人生の総決算としての葬儀を描いたのが「おみおくりの作法」であるなら、「永遠の一日」は「人生を修めて永遠に至る」ことを描いた映画ではないでしょうか。やはり、思惑通りに『永遠葬』のアイデアが湯水のように湧いてきました。本だけ読んでいてもダメですね。たまには映画を観なければいけないと改めて思いました。佐藤さん、良い映画を紹介していただき、ありがとうございました。また、今年最初のHP更新では、『超訳 空海の言葉』(KKベストセラーズ)をご紹介いただき、重ねて御礼を申し上げます。

  • 販売元:TOEI COMPANY,LTD.(TOE)(D)
  • 発売日:2014/08/08
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