映画「イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密」を観ました。

 ネットで驚異の高評価となっている「イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密」は、第2次世界大戦時、ドイツの世界最強の暗号エニグマを解き明かした天才数学者アラン・チューリングの波乱の人生を描いた伝記ドラマです。チューリングは劣勢だったイギリスの勝利に貢献し、その後コンピューターの概念を創造したことで知られます。彼は「人工知能の父」と呼ばれた英雄でしたが、戦後は悲劇の運命をたどるのでした。
 監督は「ヘッドハンター」などのモルテン・ティルドゥム、ベネディクト・カンバーバッチがチューリングを演じるのをはじめ、キーラ・ナイトレイ、「イノセント・ガーデン」などのマシュー・グード、「裏切りのサーカス」などのマーク・ストロングら実力派が共演しています。
 原作は『エニグマ アラン・チューリング伝』上・下、アンドルー・ホッジズ著、土屋俊・土屋希和子・村上祐子訳(勁草書房)です。
 数理物理学者であるホッジズが天才数学者の辿る数奇な人生を描き出した好著です。戯曲「ブレイキング・ザ・コード」の原作でもあり、あらゆるチューリング評伝のルーツとなった歴史的著作です。
 じつは、わたしは「イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密」という放題は気に入りませんでした。これでは、いかにも痛快な推理エンターテインメントのような趣がありますが、実際は暗号解読をめぐる悲劇的な人間ドラマです。邦題は原作本と同じ「エニグマ」でいいと思いました。

 映画公式HPの「INTRODUCTION」には、「英国政府が50年以上隠し続けた教学と感動の実話」「べネディクト・カンバーバッチョ=アラン・チューリングが、世界最強の暗号エニグマに挑む!」というリード文に続いて、以下のように書かれています。

「『彼の時代が必ず来る』──2010年、TVシリーズ『SHERLOCK(シャーロック)』で大ブレイクを果たしたベネディクト・カンバーバッチ。その人気が英国から世界へと熱波のごとく広がるに従って、多くのメディアがそう予言した。そして傑作『裏切りのサーカス』、ハリウッド超大作『スター・トレックイントゥ・ダークネス』などの快進撃を経て、遂にその時がやって来た。最新主演映画でキャリア最高の評価を受け、本年度アカデミー賞で初の主演男優賞ノミネートという快挙を成し遂げたのだ。
カンバーバッチがめぐり会った、シャーロック・ホームズに匹敵する天才の役は、実在の数学者アラン・チューリング。
第二次世界大戦時に、解読不可能と絶望視されていたドイツ軍の暗号エニグマに、恐るべき回転速度を誇る頭脳で挑んだ男だ。戦争終結とコンピューター発明に貢献した人物でありながら、その生涯は重大機密として英国政府に隠され続けてきた。今、50年以上の時を経て、謎に満ちた男の驚愕と感動の真実が明かされる──!」

 また映画公式HPの「STORY」には、「英雄か、モンスターか。」「世界の運命を変えた天才数学者の、あまりにも切ない秘密とは――」というリード文に続いて、以下のように書かれています。

「1939年、イギリスがヒトラー率いるドイツに宣戦布告し、第二次世界大戦が開幕。天才数学者アラン・チューリング(ベネディクト・カンバーバッチ)は、英国政府の機密作戦に参加し、ドイツ軍の誇る暗号エニグマ解読に挑むことになる。エニグマが"世界最強"と言われる理由は、その組み合わせの数にあった。暗号のパターン数は、10人の人間が1日24時間働き続けても、全組合せを調べ終わるまでに2000万年かかるというのだ――!」

 続いて、映画公式HPの「STORY」には以下のように書かれています。

「暗号解読のために集められたのは、チェスの英国チャンピオンや言語学者など6人の天才たち。MI6のもと、チームは暗号文を分析するが、チューリングは一人勝手に奇妙なマシンを作り始める。子供の頃からずっと周囲から孤立してきたチューリングは、共同作業など、はなからするつもりもない。 両者の溝が深まっていく中、チューリングを救ったのは、クロスワードパズルの天才ジョーン(キーラ・ナイトレイ)だった。彼女はチューリングの純粋さを守りながら、固く閉ざされた心の扉を開いていく。そして初めて仲間と心が通い合ったチューリングは、遂にエニグマを解読する」

 さらに映画公式HPの「STORY」には、以下のように書かれています。

「しかし、本当の戦いはここからだった。解読した暗号を利用した極秘作戦が計画されるが、それはチューリングの人生はもちろん、仲間との絆さえも危険にさらすものだったのだ。さらに自分に向けられるスパイ疑惑。そしてチューリングが心の奥に隠し続け、ジョーンにすら明かせなかった、もう一つの大きな悲しい秘密。あらゆる秘密と疑惑が幾重にも積み重なり、チューリングの人生は思わぬ方向へと突き進んでいくが――」

 この映画の主人公アラン・チューリングには以前から関心がありました。
 彼は1912年生まれのイギリスの数学者、論理学者、暗号解読者、コンピュータ科学者です。1954年に41歳で自殺しています。いわゆる「コンピュータの父」といわれる人物は多いですが、その最有力候補こそ、このアラン・チューリングであるとされています。映画パンフレットには、朝日新聞社ジャーナリスト学校シニア研究員の服部桂氏が「コンピューターは、天才チューリングの愛と夢の結実」という文章を寄稿していますが、その冒頭には「現代のコンピュータの基礎を確立」として、こう書かれています。

「誰もがスマホでネットを自由に使える現在、ほとんどの人は、こうしたデジタル革命の中心にあるコンピュータはアメリカで生まれたものと思っている。確かにパソコンを作って広めたのはスティーヴ・ジョブズやビル・ゲイツであり、第2次世界大戦中に作られた初の電子式コンピュータはアメリカのENIACというのが通説になっている。しかし、世界で最初に現代のコンピュータを発想したのは、アラン・チューリングだった」

 なお服部氏は、アラン・チューリングの伝記『チューリング――情報時代のパイオニア』B・ジャック・コープランド著(NTT出版)の訳者でもあります。

 コンピュータは、現代ではパーソナルコンピュータからスーパーコンピュータなどを含めたデジタルコンピュータを指す場合が多いです。しかし、もともとは自動計算機、とくに計算開始後は人手を介さずに計算終了まで動作する電子式汎用計算機です。そして、その歴史は、1936年に動き始めました。
 Wikipedia「コンピュータ」の「歴史」には、以下のように書かれています。

●1936年 アラン・チューリングが、論文 "On Computable Numbers,with an Application to the Entscheidungsproblem"を発表。同論文でチューリングマシンを提示。
●1938年 ドイツのコンラート・ツーゼが、自宅で機械式の計算機V1(後にZ1と改名)を作成。
●1939年 ツーゼがZ1をベースに演算部がリレー、記憶部が機械式のテスト用の計算機Z2を作成。
●1940年 ツーゼがZ2をベースに全リレー式のZ3を作成。Z3はプログラム可能な最初の計算機である。ツーゼがコンピュータの発明者だと主張する者もしばしばいる。
●1942年 ジョン・アタナソフとクリフォード・ベリーが電子素子を使って演算処理をする世界初のデジタル計算機ABCを作成。
●1943年 ローレンツSZ42暗号機によるドイツ軍の暗号を解読するため、イギリスでColossusが発明される。
●1944年 ツーゼがZ4を作成。メモリ部分は機械式に戻る。
●1945年 ジョン・フォン・ノイマンがプログラム内蔵方式を提唱。
●1946年 ペンシルベニア大学でENIACが完成。

 コンピュータが人類史上最大級の発明の1つであることに異論を唱える人はいないでしょう。しかし、その元になったチューリング・マシンの発明者であるアラン・チューリングの人生は、後のスティーヴ・ジョブズやビル・ゲイツなどとは違い、栄光とは程遠いものでした。いや、彼ほど悲劇的な人生を歩んだ人も珍しいかもしれません。わたしも、この映画を観て、初めてチューリングの実際の人生について知ることができました。

 わたしは、『唯葬論』執筆の気分転換としてこの映画を観たわけですが、結果として、執筆への大きな勇気を貰いました。ナチスの暗号解読に苦しんでいるチューリングの姿は、不遜ながら、「なぜ人は葬儀をするのか?」というネアンデルタール人以来の暗号を解読しようと苦闘するわたしの現状に重なりました。どんなに周囲から「本当に、そんなマシンが出来るのか?」と露骨に疑問を投げつけられても、チューリングは毅然として「必ず出来る!」と断言しました。この場面を観て、これまで『唯葬論』といった壮大なテーマの著作を書くなど自分には荷が重すぎると弱気になっていましたが、そんな自分を恥じました。わたしは「必ず書ける!」と自分に言い聞かせました。
 チューリングがナチス・コードを解いたのなら、わたしはネアンデルタール・コードを解きたい!本気で、そう考えています。

 この映画で最も印象に残った場面は、やはりエニグマを解読した瞬間です。
 興味深かったのは、チューリングは、ドイツからの無線を傍受している女性がパブでつぶやいた何気ない一言から暗号解読のヒントを得たことです。わたしは、この場面を観ながら、ニュートンが「万有引力の法則」を発見した瞬間を連想しました。彼は、リンゴが木から落ちるのは、すべて物体に重力があるからである。もっとも、ニュートンはリンゴが木から落ちるのを見て、「万有引力の法則」を発見したというエピソードは、事実かどうかはっきりしていません。少なくとも言えることは、ニュートンは常に「引力」について考えていたということです。リンゴの落下はあくまでも1つの「きっかけ」に過ぎません。チューリングもいつもいつも「暗号解読」について考えていたのでしょう。それがパブでの女性の発言という「きっかけ」を呼び込んだのです。

 わたしも、いつもいつも「なぜ人は葬儀をするのか?」について考え続けています。いつかは「きっかけ」が訪れてくれるかもしれませんが、じつはこの映画を観たことそのものが「きっかけ」かもしれないと思いました。というのも、チューリングは後にチューリング・マシンと呼ばれる暗号解読機に「ステファニー」という名前をつけていたのですが、この名前は彼の少年時代の同級生の名前だったのです。その同級生はチューリングに「暗号」の世界の面白さを教えてくれた張本人でした。そして、彼らは濃密な友情を育てていきますが、突然、同級生は病死してしまうのでした。
 その後、チューリングが自ら開発したマシンに親友の名を冠したというのは、暗号開発そのものが夭折した親友を弔うことであり、彼自身にとっての「喪の作業」ではなかったかと思います。
 そう、この映画はある意味で、グリーフケアの映画だったのです。

 まさに、すべての人的営為は死者の存在を前提としているという「唯葬論」そのものです。思えば、エニグマが解読できた瞬間というのも、亡き親友のサポートがあったのかもしれません。発明というものは、突然のインスピレーションで生まれることがあります。これまで人類の歴史に残るような偉大な発明、たとえば火薬、羅針盤、活版印刷、蒸気機関、自動車、飛行機、写真、映画、ラジオ、テレビなどの発明の裏には死者の援助があったように思えてなりません。そうでなければ、生きている人間の力だけであのような偉大な発明は不可能ではないかと思うのです。

 なんということでしょう!『唯葬論』のことを忘れて気分転換のために観た映画によって、わたしは『唯葬論』の内容にとって多大なインスピレーションを受けてしまいました。これも、ある意味では、死者たちが「早く書いて下さいよ」というメッセージを送ってくれているのでしょう。こうなったら、もう書くしかありません。ナチスの暗号解読によって、結果的に第2次世界大戦を2年早く終結させ、1400万人の命を救ったというアラン・チューリングの御霊のためにも、わたしは『唯葬論』を一日も早く書き上げ、「死者を忘れてはならない」というメッセージを広く発信したいと思います。