No.0180
日本映画「深夜食堂」を観ました。
わたしは、いわゆるグルメ漫画が大好物で、安部夜郎の『深夜食堂』は全巻読んでいます。同コミックはTVドラマ化されていますが、DVDも全部持っています。ということで、今回の映画化を非常に楽しみにしていました。
映画公式HPの「イントロダクション」には、以下のように書かれています。
「累計230万部発行」「国民的『食』コミックの『深夜食堂』がTVドラマに続き、遂に映画化! ワケありな客たちとマスターの味で紡ぐめしやの春夏秋冬――」というリード文に続いて、以下のように書かれています。
「ネオンきらめく繁華街の路地裏にある小さな食堂。夜も更けた頃に『めしや』と書かれた提灯に明かりが灯ることから、人は『深夜食堂』と呼ぶ。メニューは酒と豚汁定食だけだが、頼めば大抵の物なら作ってくれる。そんなマスターが出す懐かしい味を前に、客たちの悲喜こもごもな人生模様が交差する。『ビッグコミックオリジナル』(小学館)で連載中の安倍夜郎の大ヒット漫画を原作に深夜の放送ながら静かなブームを呼び、第3部まで続いている人気ドラマが待望の映画化。主演はドラマ版と同じく小林薫。客と絶妙な距離感を取る寡黙なマスター役を自然な佇まいで演じる。監督は映画『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』で日本アカデミー賞を受賞し、ドラマシリーズ『深夜食堂』も手がける松岡錠司。心も胃袋もやさしく満たす『深夜食堂』の味、大スクリーンでたっぷりとご堪能あれ」
また、映画公式HPの「ストーリー」には、こう書かれています。
「マスターの作る味と居心地の良さを求めて、夜な夜なにぎわうめしや。ある日、誰かが店に置き忘れた骨壺をめぐってマスターは思案顔。 詮索好きな常連たちは骨壺をネタに、いつもの与太話に花を咲かせている。そんなめしやに久しぶりに顔を出したたまこ。愛人を亡くしたばかりで新しいパトロンを物色中だったが、隣にいた年下の男と肌が合い・・・」
続いて、映画公式HPの「ストーリー」には以下のように書かれています。
「無銭飲食をしたことを機に、マスターの手伝いを兼ねて住み込みで働くことになったみちる。いつのまにかめしやに馴染むが、どこか事情を抱えたままで...。福島の被災地から来た謙三は夜な夜なめしやに現れては、常連のあけみに会いたいと騒いでは店の客と一悶着・・・。春夏秋冬、ちょっとワケありな客たちが現れては、マスターの作る懐かしい味に心の重荷を下ろし、胃袋を満たしては新しい明日への一歩を踏み出していく」
この映画の評価が高いことはネットで知っていましたが、いや、素晴らしい作品でした。「ナポリタン」「とろろご飯」「カレーライス」の3品にまつわる物語が連なっているのですが、料理というよりも完全に登場人物たちの人生に焦点が当てられていました。それは、原作のコミックおよびTVドラマでも同様です。その意味で、もう1つの国民的「食」ドラマである「孤独のグルメ」とは一線を画しています。わたしは「孤独のグルメ」も大好きで、DVD-BOXを持っているのですが、「深夜食堂」のほうがよりヒューマンでハートフルな物語に仕上がっています。
「深夜食堂」を名作としているのは、なんといっても主人公のマスターを演じる小林薫の存在感です。わたしはTBSのTVドラマ「ふぞろいの林檎たち」で中井貴一の兄の酒屋の長男を演じたときから小林薫のファンなのですが、この「深夜食堂」のマスター約はまさにハマリ役ですね。わたしは、もともと「マスター」と呼ばれる職種の男性と話すのが大好きで、スナックなどでもマスターのいる店を選ぶことが多いです。この「深夜食堂」の舞台である"めしや"のような渋い食堂のマスターにも出会ってみたいものです。
「孤独のグルメ」といえば、主人公の"井之頭五郎"を演じているのは松重豊です。彼は「深夜食堂」にもヤクザの"竜"の役を務めており、二大国民的「食」ドラマに出演するという偉業を果たしています。そして、わたしから見て、松重豊は"五郎さん"よりも"竜ちゃん"のほうが絶対に似合う!
これはファンとして言うのですが、松重豊は素晴らしい俳優ですが、やはり人相から見て人の良いビジネスマンよりもヤクザのほうが似合います。
昔、フジテレビの深夜ドラマに「NIGHT HEAD」というのがありました。
松重豊は悪役として出演しており、主演の豊川悦司と武田真治の超能力者兄弟を追い詰める場面がありました。このとき以来、わたしは松重豊という俳優に注目したのです。1963年1月生まれだそうなので、学年でいえばわたしの1つ上ですが、なんと北九州市出身とのこと。もしかしたら、中学か高校の頃に小倉のどこかの食堂で会っていたかもしれませんね。
「深夜食堂」の話に戻りましょう。
わたしは「食」の物語としてこの映画を観たわけですが、意外にも「葬儀」とか「骨壺」といった自分と関わりの深いテーマが出てきて驚きました。
葬儀のエピソードは第2話「とろろご飯」に登場します。第2話の主人公は、〝栗山みちる"という若い女性で、多部未華子が演じています。みちるは新潟県親不知の出身で、事情があって上京したものの、お金がなくなり、"めしや"で無銭飲食をはたらきます。しかし、後から謝罪に訪れ、"めしや"で働くことになります。彼女は料理上手で、利き腕である右手の腱鞘炎に苦しむマスターに代わって厨房に立ち、故郷・新潟の料理などを作るのでした。
みちるが作った料理の1つに、卵焼きがありました。
その卵焼きについての思い出が彼女の口から語られるのですが、それが泣かせる内容なのです。親不知の出身である彼女には、実際に両親がいませんでした。祖母と一緒に暮らしていましたが、貧しい生活を送っていました。その彼女には、母親と二人で暮らす女の子の友達がいましたが、母子家庭である彼女の暮らしはさらに貧しかったそうです。母親がパートの掛けもちをしているので、料理はその女の子の役目で、いろんな工夫をして「安くて美味しい料理」を作っていたそうです。
彼女が中学生のとき、母親が亡くなりました。香典として包むお金がないので、みちるは卵焼きを作って彼女の家を訪れました。すると、白い布を顔に被せられて横たわっている母親の遺体の横で、彼女は健気にも通夜の料理1人で作っていたというのです。彼女はみちるが持ってきてくれた卵焼きを食べて、「おいしい。みちるちゃん、ありがとうね」と言いました。そして、彼女は翌日、北海道の親戚に引き取られていったのです。
このエピソードを聴いて、わたしは涙が止まらなくなりました。
そして、わたしは「互助会というのはもともと貧しい人の味方であるはずだ」と思いました。お金がなくて親の葬儀があげられない人もいるかもしれません。しかし、最低限の費用で葬儀をあげられるためのシステムを提供するのが互助会であるはずです。わたしは、「貧しい方のためのお葬儀を心をこめてお手伝いしたい」と強く思いました。
それから骨壺というのは、ある夜、深夜食堂に白い骨壺が置き忘れられたのです。それを知った常連たちが、「東京では電車の中にも骨壺の忘れ物が多いそうだよ」「わざと置いていったんだろうねぇ」「都会で墓を持つのは大変だからねぇ」といった会話が交わされます。じつは、この骨壺には驚くべきストーリーが隠されていたのですが、それはネタバレになるので書くのは控えます。でも、赤の他人の骨壺を警察に届けた後、わざわざ引き取って寺で供養してあげるというマスターの優しさには心が洗われました。
それから、第3話の「カレーライス」では筒井道隆演じる3・11の大津波で最愛の妻を失った福島の男性が、深夜食堂に置かれた骨壺を見ながら、「俺のカミサンの骨はない。津波で遺体が見つからなかったんだ」と述べます。そう、大津波の発生後、しばらくは大量の遺体は発見されませんでした。いま現在も、多くの行方不明者がおられます。火葬場も壊れて通常の葬儀をあげることができず、現地では土葬が行われました。さらには、海の近くにあった墓も津波の濁流に流されました。
葬儀ができない、遺体がない、墓がない、遺品がない、そして、気持のやり場がない・・・・・まさに「ない、ない」尽くしの状況は、今回の災害のダメージがいかに甚大であり、辛うじて助かった被災者の方々の心にも大きなダメージが残されたことを示していました。現地では毎日、「人間の尊厳」というものが問われました。亡くなられた犠牲者の尊厳と、生き残った被災者の尊厳がともに問われ続けていたのです。わたしは、そのことを『のこされた あなたへ』(佼成出版社)に書きましたが、映画「深夜食堂」を観ながら、同書の内容を思い出しました。
最後に1つだけ苦言を呈するなら、第2話の"みちる"を演じた多部未華子と第3話の"あけみ"を演じた菊池亜希子の顔があまりにも良く似ていて、映画を観ながら混乱しました。おそらくは松岡錠司監督も気づいていると思いますが、2人は容姿といい雰囲気といい似過ぎていて完全にキャラが重なります。2人ともそれぞれのエピソードの主役級なのですから、ここは違うタイプの女優さんを起用すべきだったのではないかと思いました。
それはともかく、「深夜食堂」は心に沁みる素晴らしい日本映画でした。
久々に、映画を観て心がポカポカと温かくなりました。
鈴木常吉が歌う主題曲「思ひで」が今も耳から離れません。