日本映画「海街diary」を観ました。吉田秋生のベストセラー・コミックを実写化したドラマで、「家族愛」を描いています。綾瀬はるか、長澤まさみ、夏帆、広瀬すずが鎌倉に住む四姉妹を演じています。

 ブログ「映画で語る人の死」で紹介した映画パーソナリティの襟川クロ氏の講演の中で取り上げられた映画です。
 襟川氏いわく「この映画には、葬儀や法事のシーンがたくさん登場する」とのこと。また姉妹たちは、よく仏壇を拝むのだそうです。わたしは大好きな小津安二郎の映画を連想し、「ぜひ観なければ!」ということで、早速観ました。本当はブログ「校正ラッシュ」で紹介したようにものすごく忙しくて映画など観ている場合ではなかったのですが、どうしても早く観たかったのです。日本映画の王道をゆく素晴らしい作品でした。襟川氏の話を聴かなければ、これほどの名作がわたしのアンテナに引掛っていなかったという不明を恥じました。いやあ、感動しました。ハンカチをびっしょり濡らしました。

 ヤフー映画の「解説」には、以下のように書かれています。

「ベストセラーを誇る吉田秋生のコミックを実写化したドラマ。鎌倉に暮らす3姉妹と父親がほかの女性ともうけた異母妹が共同生活を送る中、さまざまな出来事を経て家族の絆を深めていく姿を追う。メガホンを取るのは、『そして父になる』などの是枝裕和。テレビドラマ『八重の桜』などの綾瀬はるか、『潔く柔く きよくやわく』などの長澤まさみのほか、夏帆や広瀬すずらが共演。実力派女優たちが繰り出す妙演はもちろん、舞台となる鎌倉の美しい四季の風景も見どころ」

 またヤフー映画の「あらすじ」には、以下のように書かれています。

「鎌倉で暮らす、幸(綾瀬はるか)、佳乃(長澤まさみ)、千佳(夏帆)。そんな彼女たちのもとに、15年前に姿を消した父親が亡くなったという知らせが届く。葬儀が執り行われる山形へと向かった三人は、そこで父とほかの女性の間に生まれた異母妹すず(広瀬すず)と対面する。身寄りがいなくなった今後の生活を前にしながらも、気丈かつ毅然と振る舞おうとするすず。その姿を見た幸は、彼女に鎌倉で自分たちと一緒に暮らさないかと持ち掛ける。こうして鎌倉での生活がスタートするが......」

 この映画のウリは、なんといっても四姉妹を演じた女優たちの魅力です。
 家族を支えるしっかり者の長女・幸を演じた綾瀬はるか。
 奔放に生きながらも優しい次女・佳乃を演じた長澤まさみ。
 父の顔を知らずに育った温厚な三女・千佳を演じた夏帆。
 そして、両親を亡くした腹違いの姉たちと暮らす四女・すず。
 それぞれの女優たちの魅力がスクリーンに咲き誇っていて、まるで花見でもしているような気分になってきます。

 中でも、四女すずを演じた広瀬すずの魅力がまばゆいくらいです。 整った顔立ちの中に凛とした「強さ」のようなものを感じさせ、4人の女優が並ぶと最年少の彼女が一番大人に見えました。中学の同級生である風太とすずが自転車に相乗りして桜が咲き乱れるトンネルの下を走ったり、鎌倉の海岸を歩いたりする場面はとても絵画的な情景で、広瀬すずは日本人ではなくフランス人女優のようでした。
 わたしは彼女が誰かに似ていると思って思い出してみたのですが、「あ、ソフィー・マルソーだ!」と気づきました。広瀬すずは、「ラ・ブーム」でデビューしたときの可憐なソフィー・マルソーの雰囲気を感じさせます。

 広瀬すずは、すでに大女優のたたずまいを持っています。いずれ、日本映画の顔になることでしょう。これほど初登場時から輝きを放つ女優というのは、わたし的には「世界の中心で、愛をさけぶ」の長澤まさみ以来です。あの映画は2004年の公開でしたから、もう10年以上経っているのですね。そういえば、TVドラマ版のセカチューでは綾瀬はるかが主演でした。同じ原作の映画とTVドラマの主演女優ということで2人はお互いの存在を意識したことでしょうが、「海街diary」ではケンカしながらも仲の良い姉妹を見事に演じました。また、「海街diary」での長澤まさみは冒頭シーンから作品全体を通じてセクシーでした。

 2015年5月13日(現地時間)、南フランスで開幕した第68回「カンヌ国際映画祭」のコンペティション部門にエントリーした「海街diary」の是枝裕和監督、綾瀬はるか­、長澤まさみ、夏帆、広瀬すずが出席しました。そのときの女優たちの美しさは尋常でなく、「日本人女性の美」を世界にプレゼンテーションすることに成功したと思います。いや、ほんとに。
 三女の千佳を演じた夏帆など、映画の役柄では地味なルックスでしたが、カンヌでは見違えるように美しかったですね。

 美女を揃えた四姉妹の物語というと、多くの人が谷崎潤一郎原作の「細雪」を思い出すのではないでしょうか。これまで数々の豪華キャストが四姉妹を演じたことで知られる日本映画の王道的作品です。その顔ぶれを見ると、1950年版では、高峰秀子、山根寿子、轟夕起子、花井蘭子。59年版では轟夕起子、京マチ子、山本富士子、叶順子。83年版では岸惠子、佐久間良子、吉永小百合、古手川祐子でした。「海街diary」を観ながら、わたしは「細雪」を連想せずにはおられませんでした。

 他にも連想したものがあります。小津安二郎の映画です。襟川クロ氏の言うとおり、この映画は非常に葬儀や法事のシーンが多かったです。
 そして、それらの場面は「家族」の姿を見事に描き出していました。
 ブログ「小津安二郎展」にも書きましたが、わたしは小津安二郎の映画が昔から大好きで、ほぼ全作品を観ています。黒澤明と並んで「日本映画最大の巨匠」であった彼の作品には、必ずと言ってよいほど結婚式か葬儀のシーンが出てきました。小津ほど「家族」のあるべき姿を描き続けた監督はいないと世界中から評価されていますが、彼はきっと、冠婚葬祭こそが「家族」の姿をくっきりと浮かび上がらせる最高の舞台であることを知っていたのでしょう。また「鎌倉」という小津ゆかりの舞台設定からも、「海街diary」は小津映画へのオマージュのように思えます。

 映画ナタリーの「綾瀬、長澤、夏帆、広瀬、『海街diary』4姉妹と是枝監督が海辺の街カンヌへ」という記事では、カンヌ国際映画祭の記者会見に4人の女優と是枝裕和が登壇した様子が書かれています。女優たちはそれぞれフランス語で自己紹介して臨みました。質疑応答では、日本以外のジャーナリストから是枝へのユニークな質問が相次いだそうです。記事には以下のように書かれています。

「口火を切るように質問された小津安二郎の影響について、是枝は『ヨーロッパに映画を持ってくると褒め言葉として小津の孫のようだと言ってもらうことが多いが、いつもこそばゆい気持ちでいた。原作にたたえられている世界観は人間ドラマというよりは、もっと広い視野で人間を取り巻く時間が積み重なっている感じで、そこが小津映画らしいと思った。小津の作品は参考として観たが、この映画を撮り終えた後に小津映画を少し身近なものに感じられるようになった』と述べた」

 是枝監督といえば、ブログ「そして父になる」で紹介した映画の監督でもあります。子どもの取り違えという出来事に遭遇した2組の家族を描いたドラマでしたが、第66回「カンヌ国際映画祭」のコンペティション部門に正式出品されました。是枝監督はカンヌと縁があるのです。映画祭では、上映後に約10分間という長いスタンディングオベーションに包まれ、是枝監督や主演の福山雅治、尾野真千子は号泣しました。この映画を観た女優の二コール・キッドマンは涙が止まらなかったそうです。結局、「そして父になる」は同映画祭の審査員賞を受賞しました。

 巣鴨子供置き去り事件をモチーフにして、「フランダース国際映画祭」のグランプリに輝いた「誰も知らない」(2004年)などもそうですが、是枝監督の作品にはいつも「家族」さらには「血縁」というテーマがあります。
 「血がつながっているのに」という作品が「誰も知らない」で、「血はつながっていなくとも」が「そして父になる」、そして「血がつながっているのだがら」が「海街diary」であると言えるでしょう。

 特に「海街diary」は究極の「血縁」映画と呼ぶべき作品で、法事や墓や仏壇のシーンがそれを象徴しています。是枝監督の映画は人間の「生」と「死」に対して真摯に向き合い続けていますが、いずれも生きづらさを乗り越えた先にある希望を描いた人間賛歌となっています。おそらく、是枝監督は「血縁」を含んだ人間そのものを信頼しているのでしょう。ちなみに「そして父になる」と「海街diary」の二大名作の架け橋になっているのがリリー・フランキーです。ブログ「凶悪」で見せた極悪人の姿とは一変して、是枝作品ではこの上なくハートフルな中年男性を演じています。

 そのリリー・フランキー演じる喫茶店のマスターが、風吹ジュン演じる食堂のおばちゃん葬儀で故人を振り返る言葉が素敵でした。亡くなった女性は、死の直前に桜の花の美しさに気づき、「死が近くなっても、きれいなものをきれいだと思えるのが嬉しい」と語ったそうです。そして、父親を看取った四女すずは「お父さんも同じことを言ってた」とつぶやきます。このシーンを観て、わたしはこの映画が一種の終活映画であると思うとともに、人生の終わりには「美」を感じる心が何よりも必要であると思いました。

 『決定版 終活入門』(実業之日本社)にも書きましたが、かつての日本は、たしかに美しい国だったように思います。しかし、いまの日本人は美しいどころか醜く下品になり、日本人の美徳であった「礼節」を置き去りし、人間の尊厳や栄辱の何たるかも忘れているように思えてなりません。それは、戦後の日本人が「修業」「修養」「修身」「修学」という言葉で象徴される「修める」という覚悟を忘れてしまったからではないでしょうか。老いない人間、死なない人間はいません。死とは、人生を卒業することであり、葬儀とは「人生の卒業式」にほかなりません。人生を卒業するという運命を粛々と受け容れ、老い支度、死に支度をして自らの人生を修める。この覚悟が人生をアートのように美しくするのではないでしょうか。ちなみに「海街diary」には、末期医療としての「ターミナルケア」の問題も登場します。

 また、この映画の前半に出てくる山形での葬儀のシーンには考えさせられました。夫を亡くして呆然自失する(3番目の)妻が、取り乱してしまって喪主としての挨拶ができないというのです。そこで亡夫の連れ子すずに挨拶をさせようとするのですが、それを知った綾瀬はるか演じる幸が「それはいけません。それは大人の仕事です。どうしても出来ないというのなら、わたしがやります!」と述べ、その言葉で我に返った未亡人は「やっぱり、わたし、挨拶します」と答えるのでした。

 拙著『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)にも書きましたが、多くの人は、愛する人を亡くした悲しみのあまり、自分の心の内に引きこもろうとします。誰にも会いたくありません。何もしたくありませんし、一言もしゃべりたくありません。ただ、ひたすら泣いていたいのです。でも、そのまま数日が経過すれば、どうなるでしょうか。残された人は、本当に人前に出れなくなってしまいます。誰とも会えなくなってしまいます。
 葬儀は、いかに悲しみのどん底にあろうとも、その人を人前に連れ出します。引きこもろうとする強い力を、さらに強い力で引っ張りだすのです。葬儀の席では、参列者に挨拶をしたり、礼を述べなければなりません。それが、大きな癒しの力となっているのです。
 葬儀のシーンでは、他に次女の佳乃が「こんなに多くの人がお葬式に来てくれて、お父さん、けっこう愛されてたんだね」という一言が印象的でした。

 最後に究極の「血縁」映画である「海街diary」の最大の見せ場は、個人的には法事における樹木希林と大竹しのぶのやりとりでした。法事の後で姉妹を捨てて家を出た母が「この家を処分したら」と不用意に発言し、それに激怒した長女との口論が始まるのですが、「はい、もうこれで終わり。やめやめ!」と叫ぶ樹木希林演じる老婆が痛快でした。わたしは四姉妹の共演のみならず、樹木希林と大竹しのぶという日本映画界の宝のような二大女優の迫真の演技まで見られて大満足でした。そして、法事というのは血縁者を集結させる「力」を持っていることを再確認しました。それぞれどのような事情があろうとも、強引に集めてしまうパワーを持っています。逆に言えば、法事や葬儀がなければ親戚が一同に揃うことは少ないでしょう。
 「血縁」というものを見直すことができ、四季折々の自然描写も美しく、そして女優たちもキラキラ輝いている「海街diary」は、この上なく贅沢で、完璧な日本映画でありました。

  • 販売元:ポニーキャニオン
  • 発売日:2015/12/16
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