No.0197


 映画「アリスのままで」をシネプレックス小倉で観ました。50歳にして若年性アルツハイマー病患者となった女性をジュリアン・ムーアが熱演した作品です。 映画館は高齢者のお客さんばかりで、わたしが最も若かったかも?

 ヤフー映画の「解説」には以下のように書かれています。

「若年性アルツハイマー病と診断された50歳の言語学者の苦悩と葛藤、そして彼女を支える家族との絆を描く人間ドラマ。ベストセラー小説「静かなアリス」を基に、自身もALS(筋委縮性側索硬化症)を患ったリチャード・グラツァーと、ワッシュ・ウェストモアランドのコンビが監督を務めた。日に日に記憶を失っていくヒロインをジュリアン・ムーアが熱演し、数多くの映画賞を席巻。彼女を見守る家族をアレック・ボールドウィン、クリステン・スチュワート、ケイト・ボスワースが演じる」

 またヤフー映画の「あらすじ」には以下のように書かれています。

「50歳の言語学者アリス(ジュリアン・ムーア)は、大学での講義中に言葉が思い出せなくなったり、ジョギング中に家に戻るルートがわからなくなるなどの異変に戸惑う。やがて若年性アルツハイマー病と診断された彼女は、家族からサポートを受けるも徐々に記憶が薄れていく。ある日、アリスはパソコンに保存されていたビデオメッセージを発見し・・・・・・」

 監督のリチャード・グラツァーはこの企画があがった当時、ALS(筋萎縮性側索硬化症)を悪化させており、ウォッシュ・ウエストモアランドのサポートを得て完成させたといいます。映画の完成直後、リチャード・グラツァーは亡くなり、この作品が遺作となりました。

 「アリスのままで」の原題h"Still Alice"です。主演のジュリアン・ムーアは第87回アカデミー賞で主演女優賞を受賞ました。じつに5度目のノミネートにしてキャリア初のオスカーを手にしたのです。カンヌ、ベネチア、ベルリンの世界3大国際映画祭の女優賞に続く栄冠で、米アカデミー賞、ゴールデン・グローブ賞、英アカデミー賞を加えた世界6大映画祭の主演女優賞制覇は史上初の快挙となりました。素晴らしいですね!

 わたしが初めてジュリアン・ムーアという女優を知ったのはグレアム・グリーンの『情事の終り』を原作とする映画「ことの終り」でした。1999年公開の作品ですが、トリアス久山で「月の織姫」こと築城則子先生および築城健義先生ご夫妻、「ダンディ・ミドル」ことゼンリンプリンテックスの大迫益男会長と一緒に観た記憶があります。なつかしい思い出ですね。初めてスクリーンで見たジュリアン・ムーアはとても知的で上品な印象でした。

 また、「フォーガットン」(2004年)も印象的な作品でした。 人生がどんどん消えていくスリラーで、大切な息子を「存在しない人物」と言われても、決して信じないヒロインを演じました。「アリスのままで」も「人生がどんどん消えていく」ことの恐怖と悲しみを描いていますが、「フォーガットン」と違うところはスリラーではなくヒューマンドラマだという点です。
 「人生が消える」ということに関しては、誰も葬儀に参列しないという「孤独葬」にも通じるテーマであると思いました。誰からも見送られず、誰の記憶に残らないとすれば、故人は「最初から存在しなかった」にも等しく、それは人間消失という「無の恐怖」につながります。

 「アリスのままで」のアリスは、過酷な病と闘いながらも、「自分らしさ」を必死で守ろうとします。彼女がスピーチの場で「わたしは苦しんでいるのはありません。闘っているのです」と訴える場面は感動的でした。
 これまで、わたしは「読書する習慣があれば、アルツハイマーにはなりにくい」と思っていました。しかし、アリスは現役の大学教授で、しかも言語学の専攻です。もちろん本を読みますし、それも膨大な文献を読み込むのが仕事です。そんな知的な人でも若年性アルツハイマー患者になるのだと知り、ショックを受けました。一般に脳を鍛えるとされている読書やパズルも、遺伝性の病気の前では無力なのです。しかも、その病気は教育度の高い人ほど進行が速く、さらには子どもにも遺伝する家族性の病気であると知り、さらにショックを受けました。こんなに不条理で残酷な話はありません。

 この映画は一見「病気」がテーマのようにも思えます。
 しかし、じつは「時間」こそが真のテーマではないでしょうか。
 もともと、過去も未来も自由自在に表現することができる映画というメディアそのものがきわめて「時間的メディア」と言えます。映画評論家の清藤秀人氏は、「映画com.」の「ジュリアン・ムーアが渾身の演技で語りかける、"自分らしさ"とは何なのか?」で以下のように述べています。

「延々12年をまるごとカメラに収めた『6才のボクが、大人になるまで。』、1ショット1テイクと見紛う撮影と編集で観客を欺いた『バードマン』、難病を患った博士とその妻の歴史をラストで一気に巻き戻した『博士と彼女のセオリー』等、偶然か否か、映画に於ける様々な時間の表現がしのぎを削った今年のアカデミー賞で、若年性アルツハイマー患者の症状と心理を、101分の段階演技で表現し切ったジュリアン・ムーアも、今年のオスカーを象徴する勝者だったと」

 清藤氏が言及した3本の映画はわたしも観ました。
 興味のある方は、ブログ「6才のボクが、大人になるまで。」、ブログ「バードマン」、ブログ「博士と彼女のセオリー」をお読み下さい。

 「アリスのままで」では、自分の生きてきた歴史を少しづつ忘れていく様子とともに、それを防ぐためにスマホを活用したりする備忘術も紹介されています。渡部昇一先生との対談本『永遠の知的生活』(実業之日本社)では、「記憶こそ人生」として、記憶の中にこそその人の人生があるというご意見を渡部先生から伺いました。そして、わたしたちは 記憶力を失わないためのさざまな方策について語り合いました。 わたしは、究極のエンディングノートを目指して作った『思い出ノート』(現代書林)の活用を提案いたしました。

 エンディングノートとは、自分がどのような最期を迎えたいか、どのように旅立ちを見送ってほしいか・・・それらの希望を自分の言葉で綴る記述式ノートです。高齢化で「老い」と「死」を直視する時代背景のせいか、かなりのブームとなっており、各種のエンディングノートが刊行されて話題となっています。しかし、その多くは遺産のことなどを記すだけの無味乾燥なものであり、そういったものを開くたびに、もっと記入される方が、そして遺された方々が、心ゆたかになれるようなエンディングノートを作ってみたいと思い続けてきました。また、そういったノートを作ってほしいという要望もたくさん寄せられました。

 『思い出ノート』では、第1章を「あなたのことを教えてください」と題して、基本的な個人情報(故人情報)を記せるようになっています。たとえば、氏名・生年月日・血液型・出身地・本籍・父親の名前・母親の名前といったものです。次に、小学校からはじまる学歴、職歴や団体歴、資格・免許など。また、「私の健康プロフィール」として、受診中の医療機関名・医師名、毎日飲んでいる薬、アレルギーなどの注意点、よく飲む薬などを記します。これは、元気な高齢者の備忘録としても大いに使えると思います。

 『思い出ノート』の真骨頂はこれからで、「私の思い出の日々」として、幼かった頃、学生時代、仕事に就いてからの懐かしい思い出など、過ぎ去った過去の日々について記します。たとえば「誕生」の項では、生まれた場所、健康状態(身長・体重など)、名前の由来や愛称などについて。「幼い頃・小学校時代」の項では、好きだった先生や友達、仲の良い友人、得意科目と不得意科目などについて。「高校時代」の項では、学業成績、クラブ活動、好きだった人、印象に残ったこと・人などについて。

 また、「今までで一番楽しかったこと」ベスト5、「今までで一番、悲しかったこと、つらかったこと」ベスト5、「子どもの頃の夢・あこがれていた職業・してみたかったこと」、「今までで最も思い出に残っている旅」、「これからしたいこと」、そして「やり残したこと」ベスト10といった項目も特徴的です。そして、「生きてきた記録」では、大正10年(1921年)から現在に至るまでの自分史を一年毎に記入してゆきます。参考として、当時の主な出来事、内閣、ベストセラー、流行歌などが掲載されています。こういったアイテムをフックとして、当時のことを思い出していただくわけです。

 「HISTORY(歴史)」とは、もともと「HIS(彼の)STORY(物語)」という意味だそうですが、すべての人には、その生涯において紡いできた物語があり、歴史があります。そして、それらは「思い出」と呼ばれます。自らの思い出が、そのまま後に残された人たちの思い出になる。そんな素敵な心のリレーを実現するノートになってくれればいいなと思います。

 『思い出ノート』は、記入される方が自分を思い出すために、自分自身で書くノートです。それは、遺された人たちへのメッセージなのですが、わたしは渡部先生から「暗記」についてお話しを伺っているうちに、こういうアイデアを思いつきました。つまり、痴呆症などで自分の人生や家族を忘れてしまったならば、自ら書いた『思い出ノート』を何度も読み返して、その内容を暗記してみればどうでしょうか。おそらく、人生のさまざまな出来事や家族の姿を思い出すきっかけとなるのではないでしょうか。そのように申し上げたところ、渡部先生からは「それは面白いアイデアですね。それにしても、こういうノートがあること、初めて知りました」と言われました。

 一方、記憶を失うことはけっして不幸なことではないという見方もあります。
 『解放老人』野村進著(講談社)という本を少し前に詠みました。「認知症の豊かな体験世界」というサブタイトルがつけられた同書は、認知症を"救い"の視点から見直した内容になっています。たとえば、著者の野村氏は次のように書いています。

「重度認知症のお年寄りたちには、いわゆる"悪知恵"がまるでない。相手を出し抜いたり陥れたりは、決してしないのである。単に病気のせいでそうできないのだと言う向きもあろうが、私は違うと思う。魂の無垢さが、そんなまねをさせないのである。言い換えれば、俗世の汚れやら体面やらしがらみやらを削ぎ落として純化されつつある魂が、悪知恵を寄せ付けないのだ。こうしたありようにおいては、われらのいわば"成れの果て"が彼らではなく、逆に、われらの本来あるべき姿こそ彼らではないか。
人生を魂の長い旅とするなら、彼らはわれらが将来『ああはなりたくない』とか『あんなふうになったらおしまい』と忌避する者たちでは決してなく、実はその対極にいる旅の案内役、そう、まさしく人生の先達たちなのである」
 こういった一般に良くない現状を「陽にとらえる」発想は大切だと思います。

 若年性アルツハイマーを扱った映画といえば、渡辺謙が主演した「明日の記憶」(2006年)が思い出されます。やり手の広告代理店の営業部長が突然、病に襲われ、記憶をなくしてゆく物語でした。わたしも公開時に観て考えされられました。「明日の記憶」では、記憶をなくし続ける夫を支える妻を樋口可南子が好演していました。

 「アリスのままで」でも、アリスを支える家族が描かれました。
 特に、アレック・ボールドウィン演じる夫の姿が印象的でした。苦悩するアリスに対して「何があってもボクがついている。君の全てが好きだ」と語りかける彼の言葉には感動しました。まさに理想の夫を演じ切りました。

 家族を支えることほど人として当然の行為もありません。
 子孫を残し、家族を支えることは、古今東西を通じての「人の道」です。しかし、なかなか思い通りに行かないことも多いのが現実です。
 「アリスのままで」では、ずっとアリスと意見が衝突してケンカばかりしていた娘が最後は母を支える覚悟をします。

 そのラストシーンを観ながら、わたしはしみじみと感動しました。
 そして、「やはり最後に頼れるのは娘だなあ」と思ったのでした。

 なお、「アリスのままで」を観た直後に日本映画「イニシエーション・ラブ」を鑑賞したのですが、この映画のメガホンを取ったのは「明日の記憶」の堤幸彦監督でした。映画の縁というものも色々とつながるものですね。

  • 販売元:ポニーキャニオン
  • 発売日:2016/01/06
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