DVDでメキシコ映画「マルタのことづけ」を観ました。ブログ「シネマトークのお知らせ」で紹介したように、今月26日の日曜日に小倉昭和館でトークショーを行うことになりました。
 シネマトークのメインとなる作品はブログ「おみおくりの作法」で紹介したヨーロッパ映画ですが、同時上映がこの「マルタのことづけ」なのです。

 公式HPの「INTRODUCTION」には、「いつか来るその時まで、ちゃんと日々を生きること。」「決して終わりではない、"さようなら"についての物語。」として、以下のように書かれています。

「家族や友人という身近な人、そして自分もいつかは迎える"死"という別れ。突然であっても、あらかじめ知らされていたとしても、それは悲しい出来事。もし自分の命の終わりが見えたとき、人は何をするだろう? 何かを残す? 別れの言葉? 大切にしていた物? もし自分に子どもがいたら、何を伝えるだろう? それとも何も残さない? そして、"その時"をどうやって迎えるだろう? しかし、悲しみや絶望の一方で"その日"までの日々には、きっと笑顔も喜びもあるはず。
マルタのことづけ』は、太陽の国メキシコを舞台に、ある女性の人生を変えた偶然の出会いと、永遠の別れまでを描く珠玉の作品だ。不治の病にかかり、消えゆく自らの命に反して、日々を生きることに前向きなシングルマザーのマルタ。その姿が、マルタと偶然に出会い、ひょんなことから家族の一員に加わることになる天涯孤独のクラウディアを変えていく。そしてクラウディアは"母の死"という大きな悲しみに直面している彼女の子どもたちに寄り添い元気づけていく。そう、本作は『生きること』についての物語でもあるのだ」

 また、「監督自身が体験した、決して忘れられない出会いと別れの実話に基づく作品」として、以下のように書かれています。

「本作で強烈なデビューを果たしたのは、クラウディア・サント=リュス。作品のもとになったのは、監督自身に訪れた思いがけない出会い。両親の離婚後、母親との生活に息苦しさを感じて17歳で家を離れた監督は、そのころの自分について『世界について興味を持てなかった』という。そして大学卒業後の2005年、作品のモデルとなったマルタと彼女の家族に出会う。当時、マルタはすでに闘病生活に入っており、彼女とその家族と過ごした約2年間の出来事が、自分を取り巻く世界との接点を見失っていた監督を変えたという。そして数年を経て、自らに訪れた奇跡のような出会いと別れをもとに、尽きようとする命と、それを見守る家族、そしてそこに関わることで生きる希望を見出す女性の物語として本作を生み出した」

 さらに、「名匠パトリス・ルコントが認めた、メキシコの新星女性監督の鮮烈デビュー作」として、以下のように書かれています。

「"母親の死"という重くなりがちなテーマにユーモアを交え、軽やかに描いていく『マルタのことづけ』は、脚本の段階でメキシコ映画協会のコンペティションを勝ち取るなど、注目を浴びていた。完成後は、トロント国際映画祭国際批評家連盟賞、ロカルノ国際映画祭YOUTH JURY賞グランプリを受賞したほか、メキシコ・アカデミー賞(アリエル賞)では、作品賞と監督賞をはじめ7部門にノミネートし、マルタ役のリサ・オーウェンが助演女優賞を受賞した。さらに名匠パトリス・ルコントが審査員長をつとめたヒホン国際映画祭では審査員特別賞を受賞した。撮影は、アニエス・ヴァルダ、アンドレ・テシネ、クレール・ドニといった名匠の作品に携わってきたアニエス・ゴダール。南米の強い光と、母の死を前に張りつめた家族の時間を繊細なタッチでとらえる。監督自身が投影された主役のクラウディアを演じるのは、ヒメナ・アヤラ。マルタを演じるのはメキシコの人気女優のひとり、リサ・オーウェン。また、マルタのモデルとなった女性の二女、ウェンディ・ギジェンが自らの役を演じているのも見どころ」

 公式HPの「STORY」には、「1人なの? ご家族は?」「体に障るわ 送るから乗りなさい」という言葉に続いて、以下のように書かれています。

「メキシコ第2の都市・グアダラハラ。4人の子どもを持つシングルマザーのマルタと、友人も恋人もいないクラウディアは、偶然病院で出会った。虫垂炎を治療し短い入院を終えたクラウディアを、マルタは自宅での食事に招く。クラウディアは戸惑いながらも、マルタの愛車に乗り込み彼女の自宅へと向かう。クラウディアは強烈な4人の子どもたちと、自分を娘のように扱うマルタに戸惑いながらも、自分を必要としてくれる彼らの中で居心地の良さを感じ、家族の一員のように時間を過ごしていく。そんなクラウディアに、三女のマリアナが誰にも言えなかった胸の内を話し始める」

 また、続けて「ママが死ぬのをみたくない――」という言葉の後に、以下のように書かれています。

「マルタのことづけ4人の子どもの母・マルタは、不治の病を患っていた。そして、遺していくことになる子どもたちの面倒をみることと、残された日々を生きることに全力を注いでいた。自らの人生を愛し、4人の子どもたちとクラウディアを慈しむマルタは、両親を失い、愛を知らぬまま独りで生きてきたクラウディアに愛の意味を教え、生きることへのエネルギーを授けていく。一方、お互いに素直になれなかったり、彼氏とうまくいかなかったり、学校でいじめを受けていたり、入退院を繰り返すマルタに時折冷たくしてしまったりと、"母親の死"という人生における大きな喪失に立ち向かいながらも、若者としての日常も過ごしていくマルタの子どもたち。彼らそれぞれにとって、マルタが連れてきたクラウディアが潤滑油のような存在となっていく。
マルタとクラウディアの偶然の出会いが、彼らの生活に新たな風をもたらした日々。マルタが遺した"ことづけ"とは――」

 この映画を観終わって、わたしは1本の映画を思い出しました。
おそらく、映画好きの多くの人も同じ映画を思い出したことでしょう。 2003年のカナダ・スペイン合作映画「死ぬまでにしたい10のこと」です。

 「死ぬまでにしたい10のこと」は、スペイン出身のイザベル・コイシェが監督・脚本を担当した作品で、ナンシー・キンケイドの短編を原作とします。舞台はカナダのバンクーバーで、幼い2人の娘と失業中の夫と共に暮らすアンは、ある日腹痛のために病院に運ばれ、検査を受けます。その結果、癌であることが分かり、23歳にして余命2ヶ月の宣告を受けるのでした。その事実を誰にも告げないことを決めたアンは、「死ぬまでにしたい10のこと」をノートに書き出し、1つずつ実行してゆくというストーリーです。わたしは、この映画を最初に観たとき、非常に衝撃を受けました。この映画の影響を「マルタのことづけ」も受けていることと思われますが、それよりも日本版スタッフが「死ぬまでにしたい10のこと」を強く意識しているのは明らかです。それは「マルタがやっておきたいこと」というチェックリストからも一目瞭然と言えるでしょう。

 しかし、23歳という若さで、しかも幼い2人の娘を残して死んでゆく「死ぬまでにしたい10のこと」は「マルタのことづけ」よりも残酷な映画だったかもしれません。特に、病院で癌の宣告を受けたにもかかわらず、直後に幼稚園に娘を迎えに行かなければならない若い母親の孤独な姿には泣けました。
 一方、マルタの場合は、亡くなる本人がそれなりの年齢である(とはいえ、47歳の若さですが)ということもあり、残酷とか悲惨というよりも、一種の「爽やかさ」を感じました。ラストシーンは明るくさえあります。わたしは次回作として『死が怖くなくなる映画』(現代書林)という本を執筆する準備を進めているのですが、この映画を観れば、本当に死が怖くなくなります。

 主人公が「死」を覚悟して笑顔で旅立つ「マルタのことづけ」は、いわゆる「終活」をテーマにした映画であると言えるでしょう。
 わたしは日本経済新聞電子版の「ライフ」で「一条真也の人生の修め方」というコラムを連載しています。その第1回目となる「終活より修活 豊かに老い、美しく人生を修めよう」にも書いたのですが、現在、日本社会には「終活ブーム」の風が吹き荒れています。多数の犠牲者を出した東日本大震災の後、老若男女を問わず、「生が永遠ではないこと」そして必ず訪れる「人生の終焉」というものを考える機会が増えたことが原因とされます。

 多くの高齢者の方々が、生前から葬儀やお墓の準備をされています。また、「終活」をテーマにしたセミナーやシンポジウムも花ざかりで、わたしも何度も出演させていただきました。いつの間にか、わたしは「終活」の専門家のように見られるようになり、ついには昨年、『決定版 終活入門~あなたの残りの人生を輝かせるための方策』(実業之日本社)という著書を上梓しました。おかげさまで好評をいただいているようです。同書でも書いたのですが、ブームの中で、気になることもあります。「終活」という言葉に違和感を抱いている方が多いことです。特に「終」の字が気に入らないという方に何人も会いました。

 もともと「終活」という言葉は就職活動を意味する「就活」をもじったもので、「終末活動」の略語だとされています。正直に言って、わたしも「終末」という言葉には違和感を覚えています。そこで、「終末」の代わりに「修生」、「終活」の代わりに「修活」という言葉を提案しました。「修生」とは文字通り、「人生を修める」という意味です。

 よく考えれば、「就活」も「婚活」も広い意味での「修活」であるという見方ができます。学生時代の自分を修めることが就活であり、独身時代の自分を修めることが婚活だからです。そして、人生の集大成としての「修生活動」があるわけです。かつての日本人は、「修業」「修養」「修身」「修学」という言葉で象徴される「修める」ということを知っていました。これは一種の覚悟です。いま、多くの日本人はこの「修める」覚悟を忘れてしまったように思えてなりません。

 そもそも、老いない人間、死なない人間はいません。死とは、人生を卒業することであり、葬儀とは「人生の卒業式」にほかなりません。老い支度、死に支度をして自らの人生を修める。この覚悟が人生をアートのように美しくするのではないでしょうか。この「マルタのことづけ」には、人生を修める知恵、そして人生をアートのように美しくする方法が描かれています。
 太陽の国メキシコの「修活」から日本人が学ぶことは多いはずです。 あなたも、「死ぬまでにしたいこと」「死ぬまでにするべきこと」、そして「愛する人へのことづけ」を考えてみませんか?

  • 販売元:ポニーキャニオン
  • 発売日:2015/06/02
PREV
HOME
NEXT